少女はやがて全知へ至る。

 大事故だった。

 トラックが電柱にぶつかり、電柱が折れて倒れ、電線が切れて辺りに電流が走ったのだ。

 しかし、その事故で死んだ人は、トラックの運転手を含めゼロ人だった。


 かなり広い規模の事故で、下校のタイミングということもあり。

 辺りには沢山の学生や子どもたちがいた。

 しかしながら、それでもなお、死傷者はゼロだった。


【神眼:神の一手】


 全ての可能性を見抜いた上で、限りなく正解に近い活路を見出す究極の予知能力。

 私が千年の経験を経て磨き上げた霊感に加え。

 体のリミッターを解除し『感覚領域』を生み出すことで可能となる技だ。


 神眼を発揮している時、私はおよそ全ての脅威を直感的に見抜くことが出来る。

 そしてそれを『神回避』するための方法すらも読めるのだ。


 いつ、どこで、何をどのように行動すると、どんな結果が起こるのか。

 その一切を知ることが出来る。


 だからこれだけの大事故なのに、死傷者はゼロだった。

 私が行ったのは、この世に存在する無数の石ころの中から、たった一つを見つけて地面に投げるということ。


 あの瞬間、あの場所、あのタイミングで。

 私があの石を投げなければ、誰かが死んでいた。

 まさに針の穴に意図を通すような、奇跡的な正解を私は掴んだのだ。


 多くの見物客が集まり、のりおくんが道の端で座り込んでいる。

 警察や救急車がやってきて、辺りは騒然としていた。


「のりおくん、大丈夫?」


 私が声をかけると、「あぁ、紹巴つぐはちゃん」とのりおくんが安堵した顔をした。

 その笑顔に、心臓がドクンと高鳴る。


 あれだけ辛い時の狭間のなかで、私が今もなお狂うことなくここに居るのは、間違いなくこの人のおかげだった。

 今も私の胸の中で息づくのりおくんへの恋心が、私の正常を保っていた。


「大変だったね、怪我はない?」


「おかげさまでピンピンしてるよ。って言っても、正直、もうダメだと思ったけど」


「無事でよかった」


 すると、騒ぎを聞きつけたのりおくんの友人らしき人たちがやってくる。

 その中には女の子もいた。


「のりおくん、大丈夫!?」


 一人の女子がそう言って、私を押しのけ、のりおくんの手を取る。

 押しのけられた私は輪から追い出されてしまった。


 ムッとして何か言ってやろうと思う。

 誰のおかげでのりおくんが助かったと思ってるんだ。


 でも、なんだか不意に悲しみがこみ上げてきて、私はその場を離れた。


紹巴つぐはちゃん」


 のりおくんが後ろで私を呼んでいる。

 彼はこういう時でも私への気遣いを忘れないんだ。

 素敵な人だと思う。


 だけど私はその声を無視した。


 だって今は、まだ安心するのは早いから。


 私のループにはルールがある。

 それは、九月七日から九月十二日の間をさまようということ。

 九月八日にのりおくんが死ぬと、確定で九月十二日の葬儀後に意識を失い、ループする。


 しかし私はたった今。

 九月八日の午後三時を乗り越えた。

 それまでと違う、死の運命から逃げるわけではなく。

 死の運命と向き合わせた上で、その全ての脅威を退けたのだ。


 これで……どうなる。


 私は神眼で半径十キロ圏内の気配を探る。

 のりおくんが死んでしまう驚異が、あとどれくらい残っているのか。


 そこで、絶句した。



 約二十七億五千通り。

 それが、のりおくんが九月八日に死ぬであろう、死因となりうる驚異の数だった。



 そんなまさか。

 ありえない。

 私が最初に神眼で探った時は、あの事故だけだったはずだ。


 運命を無理やり歪めたから……?

 じゃあ、こうしている間にものりおくんは――


 私が振り返った時、すでにそこにはキイロスズメバチに刺されアナフィラキシーショックを起こしたのりおくんが地面に倒れていた。


 あの時、私がアナフィラキシーショックへの対処法を知っていれば。

 きっと神眼は、その術すらも私に導いたはずなのに。



 その後も、のりおくんは死に続けた。

 私の神眼をもってしても、彼の死を避けることは出来なかったのだ。


 ある時はどこかの家で発生した塩素ガスを吸って。

 ある時は空から降り注いだ隕石に首を吹き飛ばされ。

 ある時は突如として生まれたワームホールに飲まれ。


 実に様々な方法でのりおくんは死んだ。

 まるで運命がその終着点に帰結しているとでも言わんばかりに。

 迫りくる驚異を回避すればするほど、通常考えられない方法でのりおくんは死んだ。


 そして不思議なことに、どんな大事件が起こっても。

 のりおくん以外に死ぬ人は居ないのだ。


 世界がのりおくんを殺そうとしている。

 そうとしか思えなかった。


 私が彼を助けるには、それら全ての脅威と対峙せねばならない。


 神眼だけでは足りなかった。

 私は彼を救うための、ありとあらゆる知識を得ねばならなかったのだ。

 今までも神眼を扱うための勉強は重ねてきたけれど。



 それだけじゃ尚ぬるい。



 言語学、医学、物理学、科学、工学、数学、国語、歴史、美術――


 私はおよそ考えつく限りの、全ての知識を会得しようと試みた。

 さもないと、二十七億もの驚異から彼を救うことは不可能だからだ。


 知識をつけたことで、私の神眼もまたより磨かれることになった。

 驚異を退けるルートはより明確に映し出されるようになり。

 そこに〇.〇〇一%以下でも可能性があるなら、実現できるまでに至った。


 その頃には、私は悟りを開き。

 森羅万象を理解するまでになっていた。



 ある時、私はのりおくんの学校に忍び込んだ。

 なんだか疲れて、今回は休憩しようと思ったのだ。

 長くのりおくんの死と向き合っていると、時にそう言うタイミングがやってくる。


 私がこっそりのりおくんの様子を見ると、彼は沢山の友達に囲まれて教室で談笑していた。

 のりおくんは昔から話し上手だったから、彼が話すとああやって沢山の人が集まるのだ。


 不意に一人の女子が目に入ってきた。

 彼女はのりおくんの腕に自分の手を絡め、親しげに笑っていた。

 明るい髪色のロングヘアーで、毛先が大人の女性みたいに緩くウェーブがかかっていた。

 まるでモデルさんみたいな人だと思った。


 私はふと自分の姿を見つめてみる。


 野暮ったい、どこにでも居るような、田舎臭い女子中学生。

 制服を着崩すこともしないで。

 オシャレだって勉強したのに、自分には一切還元できていない。

 そんな自分を、ついついのりおくんの隣の女子生徒と比べてしまう。



 私は、何をやっているんだろう……。



 たとえ全ての脅威からのりおくんを助けられたとしても。

 あんな魅力的な人が隣りにいたら、奪われてしまうに決まっている。

 私が勝てる要素など、どこにもないんだから。


 諦めたかった。

 でも、諦められなかった。

 だって私は、どうしようもなくのりおくんが好きだったから。



 彼が生きてくれていれば、それでいいと思った。



 覚悟を決めるのだ、里村 紹巴。

 今や私は全知を手にし、森羅万象すらも理解した。

 間違いなく、現存する人類のなかで神に近い存在なんだ。


 私は踏み出し、学校を出る。


 今度こそ、のりおくんを助けるために。

 決死の覚悟でのりおくんの死の運命に抗うんだ。


 何千、何万、ひょっとしたら、何億回。

 私はのりおくんを取り巻く『死の運命』に抗った。


 しかし、それでもなお。

 九月八日の二十三時五十九分に。

 のりおくんは死んだ。

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