第十三番聖典
尾八原ジュージ
第十三番聖典
運転席の窓から外を眺めると、木々の向こうに白っぽい尖塔のようなものが見えた。
それから間もなく僕のワゴンは空き地へと乗り入れた。一応アスファルトが敷かれているが、あちこちから雑草が顔を出している。
四つの尖塔を持つ西洋の城を模したような建物は、まるでテーマパークかラブホテルの廃墟という風情だった。ただ、ここはそういったものではない。地元住民の多くにすら忘れ去られたこの城は、十年前までカルト教団の教会として機能していた。
十年前、教祖を名乗っていた男と信者の一部が逮捕され、教団は解体された。まさにこの建物の中から、他殺体が三体発見されたためである。遺体は一様に胸を開かれ、心臓を取り出されていた。
『彼らは我々に聖典を提供した』
当時、この事件を取材した雑誌に載っていた教祖のインタビューには、そう書かれていた。彼によれば、選ばれた人間の心臓の裏には神による聖典が書かれているのだという。三人の心臓を取り出すことによって、彼は一番から三番までの聖典を書くことに成功した。ただ、肝心の聖典自体はまだ見つかっていない。
僕は建物の前にワゴンを停めた。やはり教会というよりは城のようだ、と思う。実際、僕の姉もこの建物を指して「お城」と呼んでいた。
姉はその教団の信者だった。
本人によれば、かなり高い地位にいたという。家から出奔して行方知れずになっていたが、十年前の教祖の逮捕と共にしれっと実家に戻ってきた。その当時、僕はまだ十六歳だった。
カルトにはまっていたとは思えないほど、姉はすぐ日常生活に溶け込んだ。両親に不在を詫びて就職先を探し、旧友との再会を喜び、持病の悪化した母に代わって一通りの家事までこなした。数年前の狂信者の面影が見られないことに、両親は喜んだ。
姉が教団の話をするのは、ただ一人、僕に対してだけだった。
車を降り、朽ちたドアのすき間を通って建物内に入った。何ともいえない悪臭が鼻腔を襲い、僕はつけていたマスクの上から口元を抑えた。
あちこちのステンドグラスから光が差し込んでくる。中は存外明るかった。
「でもね」
突然、頭の後ろで姉の声が聞こえた。
僕は振り返った。誰もいない。
前を向き直し、ロビーを通って礼拝堂へと向かった。姉によれば、そこに地下室への入り口があったという。
凶行が行われたのは、その地下室でのことだったらしい。タイル張りの床に手術台、血を洗い流すための水場まで備えていたと聞く。
礼拝堂の中には何もなかった。教団は例の聖典だけを信仰の対象とし、教祖を象った像などは拝んでいなかった。奥の扉を開くと地下へ続く階段があり、僕は(聞いていた通りだ)とひとりうなずきながら、手元のライトをつけて一歩踏み出した。
「待っていただけなの」
また姉の声がした。僕のことを監視しているのだろうか、と思った。そんな監視などいらないのに、弱虫だった弟のことが余程気がかりなのだろうか。
もうそんな心配はいらないのに。
階段を下り、そこにあった金属のドアを開けると、一層の悪臭が押し寄せてきた。
死体の臭いだ。
タイル張りの床に、何体もの死体が転がっている。古いものもあれば、まだ腐り始めたばかりのものもある。
それらは一様に胸を開かれ、心臓を取り除かれていた。
僕は死体を数えた。九体ある。教祖の逮捕と共に発見されたのが三体、ここにあるのが九体。
姉の言っていた通りだ。姉が嘘をつくはずがない。選ばれた人間である彼女の言葉が違うわけはない。
教団の――聖典の言葉が真実だと見抜くことができたのも、姉が繰り返し僕にそう説いたおかげだった。
「ようやく順番が来たの」
今朝、ひさしぶりに実家に帰った僕に向かって、姉は嬉しそうにそう告げた。両親が亡くなり、僕が出て行った後の家に、姉はまだひとりで住んでいた。
「私は十三番目なの。十三番目の聖典が、この心臓の裏に書かれている」
「そうか」
僕はうなずいた。言葉でのやりとりはそれで足りた。その場に座って祈りを捧げ始めた姉の後ろに回ると、僕はベルトを手にして姉の首を絞めた。
生命の抜けた姉は、純粋な聖典の入れ物になった。今は毛布に包まり、ワゴン車の荷台で準備が整うのを待っている。
手術台の上が綺麗に洗われ、傍らに揃えられた刃物が鋭い切れ味を保っているのを確認すると、僕は外にとって返した。姉の死体を持ってこなければならないのだ。
これから早急に姉の心臓を取り出し、その裏の聖典を記憶する必要がある。そうすることによって、僕が第十三番聖典そのものとなる。
聖典はそのようにして、各地に散っている。
・ ・ ・ ・ ・
大仕事を終えて城の外に出ると、すでに日は沈んで星が瞬いていた。僕は車に乗り込み、城を後にした。
いずれすべての聖典が揃ったとき――それがいつかはわからないが、世界は大きく揺らぐことになる。
第十三番聖典には、そのように書かれている。
第十三番聖典 尾八原ジュージ @zi-yon
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