第5話


 王都を南下してしばらく。

 雲間から目的地が見えた。ソフィは自分を乗せてくれている大型の魔物に、少しずつ高度を落とすよう杖で指示を出す。


 魔物が一対の翼を大きく揺らし、風が生まれた。その風がクッションとなり、柔らかい着地を可能とする。


 魔物の背中から降りたソフィを、勇者が出迎えた。


「ワイバーンで来たのか」


「はい。レンタルしました」


 ソフィの背後で、ワイバーンが「キュルル」と鳴いた。

 二本の足に、二枚の翼手、つるつるの鱗に覆われた蜥蜴のような巨躯に、長い尾。これらがワイバーンという魔物の特徴だ。


 ソフィの知人に運送業を営んでいる魔法使いがいる。彼女の使い魔はワイバーンであり、ソフィは仕事の都合上、彼女から一時的にワイバーンを借りることが多かった。彼女が提供している「ワイバーン便」というサービスは、しばしば競合相手として意識してしまうが、幸いあちらは軍事関係者のみを顧客にしている。今のところ棲み分けはできていた。


「では早速、荷物の配置を始めたいと思いますが……」


 ソフィは言い淀む。

 淡々と作業を始めるにしては、どうしても異様な光景が目の前に広がっていた。


「……本当に、ここでいいんですか?」


 そこは、枯れた木と砕けた岩しかない荒野だった。

 見れば少し先に二つの家がある。荒んだ景色にそぐわない綺麗さだから、引っ越しに際して新しく建てたのだろう。だが綺麗といっても新築だからそう見えるだけで、安物の木材で建てられていることは明らかだった。数日も経たないうちにボロ屋のようになってしまうだろう。


 不動産に騙されているわけではないはずだ。なにせ相手はあの勇者である。下手に騙して機嫌を損ねでもすれば、少なくともこの国では二度と商売ができなくなる。


「この辺りには、魔物の巣もあります。あまり人が住むには適さない場所かと……」


「心配はいらない。これでも私は勇者だ」


 ですが、という言葉の続きを見失い、ソフィは口を噤んだ。

 王都の中心で、あれだけ豪奢な家に住んでいた勇者が、どうしてこんな何もない荒れ果てた地に住むのか、疑問でいっぱいだった。


 そんなソフィを見て、勇者は静かに告げる。


「とにかく、ここでいい。私はここで骨を埋めるつもりだ」


 それはこれ以上の詮索を許さない発言だった。

 ソフィは小さく頷き、杖を握る。


「では、《召喚サモン》」


 足元の魔法陣から、ひょこひょことミミックが現れた。

 ミミックに足はないが、箱の角を利用して動くことはできる。ミミックはソフィの指示に従って勇者の家に近づき、その口から収納していた家具を取り出した。


「本棚はこの部屋に頼む」


 ソフィが浮遊魔法で本棚を浮かせ、指定された場所へ置いた。


「ベッドは二階だ」


 同じように、ベッドも運ぶ。


「誰かと一緒に住むのですか?」


「いや、私一人だ」


 そのわりには――広い。

 王都の屋敷の方が何倍も広いが、こちらの家は広さの種類が異なる。


 なんていうか、間取りが家族向けなのだ。

 夫婦二人で使うような寝室、家族で団欒するのに向いているリビング。一人で住むために用意した家にしては、些か違和感を覚える。


「封印した武器はどうしましょうか?」


「それは……あっちの家に頼む」


 勇者は窓を指さした。

 窓の奥には、こことは違う別の家が鎮座している。


「あちらの家も、勇者様のものなんですか?」


「ああ。普段使いはこっちの家にするから、あっちは実質物置だな」


 物置にしては、普通の家と同じ造りをしている。

 これだけ違和感が揃うと、どうしても考えてしまった。


 どうして――勇者様はここに引っ越したのだろう。

 こんな、何もないところへ。


 どうして――勇者様はこの土地で骨を埋めることにしたのだろう。

 こんな、縁もゆかりもない土地で。


(ここは……魔王軍によって焼かれた村だ)


 流石に不思議に思ったソフィは、事前にこの土地のことを調べていた。

 勇者と魔王の戦いは、多くの土地を巻き込んだ。かつてここにあった村はその一つである。


 かつてこの村に、魔王の配下たちが軍を編成して攻め込んできたのだ。侵攻に気づいた王国側はすぐに兵士を派遣したが、人類もまた軍を編成して丁度出発させたばかりだったので人手不足だった。結果、魔王軍の侵攻は王都にこそ至らなかったが、この村を守り切ることはできず、ここで生きていた人々は皆死んでしまった。


 大地は踏み荒らされ、家屋は焼かれ、時が経った今も目の前の景色は寂れていた。

 土地が死ぬとはこういう光景を指すのだろう。

 そんな、無惨に死んだ土地を、どうして勇者は選んだのか――――。




「…………畑を、作りたいな」




 それは掠れた呟きだった。

 だがソフィの耳には確かに届き――答えをもたらした。


「勇者様」


 世界の英雄が、こちらを振り向く。


「先日いただいた原稿、読みました」


「早いな。……どうだった?」


「面白かったです。でも……」


 言い淀むつもりはなかった。

 けれど、ここから先の会話は彼を傷つけるかもしれない。

 そんな思いがソフィの唇を少しだけ重たくした。


「……矛盾があります」


 勇者の目が微かに見開かれる。


「百三十八ページの九行目で、勇者様が故郷を想いながら星空を眺めるシーンがあります。その故郷は、王都を南下したところにある小さな村だと書かれていましたが……勇者伝説の一巻では、勇者様の故郷は西にある辺境の村だと書かれています」


「……まいったな。見落としていたか」


 今まで、勇者の故郷は王国の西側にある辺境の村とされていた。西の辺境は交通の基盤が整っておらず、自給自足で成り立っている村や集落が幾つもある。ただしそのどれが勇者の故郷かは名言されていなかった。なんでも、勇者の親族や知人が、自分たちの生活を守るために村の場所を公にしたくないと主張しているらしい。国は彼らの意思を尊重して、勇者の故郷を秘匿しているとのことだ。


 これは本だけではなく、教科書などにも載っている話である。

 勇者の故郷は王国の西にあるが、その場所を詮索してはならない。そういう不文律がこの国にあった。


 だが勇者の反応を見て、ソフィは確信する。


 その話は――嘘だ。

 勇者の故郷は、西にある村ではない。


「王都を南下したところにある、小さな村………………それは、ここですか?」


 原稿に記されていた場所。

 勇者が星空を眺めながら想った場所。

 それは、西の辺境ではなくではないかとソフィは問う。

 勇者は観念したように肩を竦めた。


「……そうだ。ここが、私の本当の故郷だ」


 戦火に飲まれ、無惨に死んだ目の前の土地を、勇者は眺めながら言った。


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