第13話 皇帝ササン
赤毛は一人、集落に帰った。
「グゲ? ゲゲ、ゲチャ?」
「ああ、そうだ。胸が苦しい。マリアに会いたい。でも駄目なんだ。マリアは王になる。人間の王だ。きっとそこに俺がいては駄目なんだ」
「グゲ?」
「会えないなら食えばいい? あほか!」
強烈な赤毛のツッコミとともに、あっという間に肉塊になったゴブリンは、すぐに別のゴブリンの胃の中に納まる。
「ギャ、ググ?」
「そうだ。
「ゲチャ」
「ああ、そう俺が決めた」
そういって赤毛は立ち上がって空を見つめる。
「会いたいな。マリア。でも、我慢するよ」
やがて時は満ちる。
終わりへと。
時が満ちる。
「叛乱軍が会談を申し入れてきただと?」
「はい」
「陛下、どう思われますか?」
藩王ギルモアは、娘であり、神政フラート帝国の女王となったマリアに確認を取る。
「平和への道筋は探せるのでしょうか?」
赤毛と別れ、すでに4ヶ月が経過していた。
マリアの腹は膨らみが目立ってきている。
愛おしそうに腹を撫でながらも、女王としての責務をマリアは果たしていた。
「読めませぬ。アッカドが占領されてから、まったく情報が入ってきませんでしたから」
「そうですか」
叛乱軍の手により墜ちた
その帝都アッカドを中心として叛乱軍の首魁となったササンは自らがフラート帝国の正統な後継者であると名乗り、西側を制圧していった。これを便宜上帝政フラート帝国と呼ぶ。
一方で、藩国パールサの藩王ギルモアは教会と手を組み、神の子を産むマリアを擁立し神政フラート帝国を建国。現在まで帝都アッカドには手を出さず、東側にある他の藩国と交渉していたのだ。
最近になり、ようやく有力な3つの藩国と教会勢力が手を組み東側諸地域へ睨みを利かせることで、マリアを君主とする王国連合体として安定した。
これらの要因が重なり、東西フラートにおける会話は滞っているどころか、完全に没交渉だったのだ。
「皆さんのご意見は?」
マリアはギルモアに並ぶ3人の藩王と教皇の意見も確認する。
「まずは会談だけでも行いましょう。平和を目指すのか
「罠の可能性は?」
「警戒はしておく方がいいでしょう。亡きキュロス陛下を騙し討ちにした叛徒どもです」
「周辺国の動きも考えれば、奴らも戦いには持ち込んだりしないだろう」
全員の意見は会談を行うことには前向きであった。
「それではまずは会談を行うということで、進めてください。またわが国がとるべき選択肢の検討もお願いします」
「はっ」
マリアの意見で決定したようにも見えるが、実質は5人の合議で神政フラート帝国は運営されている。
これはマリアの父であるギルモアも同様である。
王父であることから一定の配慮はされているギルモアではあったが、宗教界への影響力では教皇に勝てず、軍事面でも他の藩王から突出しているわけではない。
結果的にマリアの権力基盤も非常に不安定なものであった。
「ワンさん……この子も順調に大きくなっていますよ」
マリアはお腹をさすりながら、自分の立場の不安定さを憂い、遠くにいるであろう赤毛を思い出していた。
「マリアに会いに行こう!」
「ゲチャ?」
赤毛はよく我慢をしていた。
基本的にゴブリンには何かを我慢するという概念が無い。
人を超える成長をしたとはいえ、赤毛の本質的な部分では我慢をするということはなかったのだ。
それでもマリアへの愛情が勝っていた。
彼女を困らせないために、赤毛は我慢に我慢を重ねていたのだ。
「ああ、ちょっとだけ。ちょっとだけマリアを見に行く」
「ゲゲ?」
「ああ、付いてくるなよ。あといつも言っているが人を喰うな、人を攫うな。いいな」
「ゲチャ」
「おれたちは良いゴブリン、怖くないよの精神だ」
「ゲゲ、ゲチャ、ゲチャ」
運命の日へ向けて、赤毛は旅立った。
「女王よ、余がフラート帝国の真の皇帝ササンである」
「……フラート帝国女王マリアです」
最初に交わされたのは、どちらもが正当なフラート帝国の後継であるということを主張する名乗りであった。このトップ同士の会談が実現したのは、何回かの事前協議の後、叛乱軍が会話の意思を見せてから4ヶ月も経ってからのことだった。
すでにこの時、マリアは臨月を迎えていたため、挨拶だけで退室し、あとは藩王たちとの協議となる予定であった。
「その胎にいるのがゴブリンの子か?」
「なっ」
だが、席に腰掛けると同時に出たササンの侮蔑するような言葉と視線にギルモアは思わず声を上げてしまった。
(しまった)
慌てて他の藩王の様子を窺う。
それは何か隠し事があるという所作にしか見えない。
「ゴブリンの子? ギルモア閣下、何か心当たりが?」
「心当たりなどない」
それでもギルモアは表情は変えずに取り繕うとする。
「そうでしょうとも。ササン殿は、いわれ無き誹謗で神政フラート帝国を貶めるつもりか。マリア陛下は教会も認めた神の子を宿しております。それをゴブリンの子などと」
教皇もギルモアに歩調を合わせようとするが、それをササンは許さない。
「なんだ、お前たちは聴いていないのか? その女王の胎の中にいるのはゴブリンの子だ。アッカドから逃げ出すおり、ゴブリンに攫われ、子を成したと聞いているぞ」
「そんな馬鹿な」
「その女の表情を見てみろ。余が嘘を吐いていないことがすぐに解る」
「マリア陛下!」
ササンの言葉に藩王たちは一斉にマリアを見る。
その顔は色を失い、僅かに震えていた。
だが実際、表情ほどマリアは動揺していなかった。
これは急に始まった陣痛に耐えていたのだ。
それでも事情を知らない藩王たちには、そんなことは伝わらない。
事態は悪い方へ転がり始める。
「まさか……」
「ギルモア閣下、これはどういうことか」
「ゴブリンの子など馬鹿な話はあるか。教会神判でも確認した通り、マリア陛下は処女懐胎をされたのだ。お腹の子は間違い無く神の子だ」
「嘘です!」
その時、ササンに付いていた侍女が大声を上げた。
「マリア様のお腹は間違い無くゴブリンの子です!」
「お、お前は!」
そこにはマリアの処女性を確認した修道院長の姿があった。
「マリア様はゴブリンと旅をして、パルーサまで辿り着きました。そして妊娠していたのです!」
「だが、あなたも処女であることを確認しましたよね」
その言葉を否定するように教皇が口を挟んだ。
「ゴブリンがどのように人間に種付けするかなど知りませぬ。私はマリア様がゴブリンを旅をし、そして妊娠をした。その事実だけを知っているのです! 神の誓いに背こうとも、この告発は真実! 真実であれば、きっと神もお許しくださるはず!」
早口に捲し立てられた告発に一同は言葉を失った。
「ギルモア閣下……我らにゴブリンの子を次代王として仰げと?」
「そんなことは無い!」
「われらを謀ったのか?」
「そんなつもりは無い、間違い無く女王陛下は処女懐胎されたのだ!」
「それを信じろと?」
「教会と手を組み、フラートを貶めるつもりだったのか!」
会談の場は一気に混乱した。
ギルモアに詰め寄る藩王。
痛みに耐える顔を伏せるマリア。
そして――
「ふふふ、これでわかっただろう。神政フラート帝国など、まやかしに過ぎぬ。余こそが真のフラート帝国皇帝なるぞ」
ササンは後ろに立っていた護衛兵士から剣を受け取ると、そのままマリアの胸に、剣を突き立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます