第3話 鎮魂

「マリア……マリア……」

「そう、マリア。私の名前はマリア。ねぇ、言葉が分かる解るなら、私たちを助けて! お願い!」

「マリア!」

「きゃぁ」


 赤毛は何度かマリアの名前を口の中で呟くと、おもむろにマリアを抱えたまま走り出した。


「グギャ? ギャ! ギャ!」


 慌てたようにマリアを連れてきたゴブリンが抗議の声を上げながら追いすがってくる。獲物は捕まえたゴブリンの権利。この雌を最初に孕ます権利は、追いかけるゴブリンにあったのだ。

 

「うるさい、これはやらん!」


 振り切るのは赤毛にとって簡単だったのだが、マリアを返せというゴブリンに腹を立てた赤毛は振り返ると、そのまま向かってきたゴブリンを蹴り飛ばした。

 それだけで簡単にゴブリンは臓物をぶちまけながら弾け飛んでしまう。


「いや、待って、ジュリエッタ先生が……」

「マリア、美しい。胸の中が何か暖かいものが拡がる。これは何だ!?」

「お願い! 赤毛さん、ジュリエッタ先生達を!」

「マリアは美しい。嬉しい。これは何だ? この暖かいものは何だ!?」


 赤毛はまるで踊るように村の中を駆け回る。

 唖然と、それをゴブリンたちがみつめていた。


「ああ、暖かい。胸が暖かい」

「止まって、赤毛さん」

「ああ、マリア。凄い、マリア!」

「止まって!!」


 ついにマリアが叫び、赤毛は止まる。


「どうした。マリア? どこか痛いのか」

「そうじゃなくて、ジュリエッタ先生を……いやぁぁぁぁ、先生!」


 マリアの視線の遠くには、すでに服を剥ぎ取られた連れてこられた雌がゴブリンに組み敷かれていた。


「赤毛さん、助けて! 先生を! アニスたちを!」

「あいつらは苗床だから。マリアは俺がもらったけど、あれはゴブリンおれたちのものだ」

「お願い、助けて!」

「なんでだ?」

「いいから!」


 マリアの叫び声に赤毛は渋々と戻る。


 マリアと同時に運ばれてきていた雌は4人。

 すでに逃げられないように四肢を砕かれ、裸にされた状態でゴブリン達にのし掛かれている。

 腰を振り射精を繰り返すゴブリンを赤毛は全て蹴り飛ばした。


「駄目だそうだ、やめろ」

「グキャ? グチャ?」


 蹴り飛ばされたゴブリンたちは、肉塊に変わった。

 周囲にいたゴブリンが恐る恐る赤毛に抗議する。


「ん? ああ、そうだな。なぁ、マリア、食うのはいいのか」

「それも駄目! ああ、みんななんてこと」


 股間から血と精液が混ざった液体を流している4人の雌は、突然弾け飛んだゴブリンの返り血を浴び、一瞬呆然とした。だがすぐに生き延びようとする本能なのか、悲鳴も上げず、折れた手足を必死に動かしながら逃げようとした。


「赤毛さん、みんなを助けて」

「助ける? どうすればいい?」

「どうすれば……とにかく下ろして」

「ああ」


 赤毛の手から離れたマリアは4人の姿に呆然とする。


「なんてこと……ジュリエッタ先生! アニス! エレン! ヘナ!」


 マリアが悲痛な呼びかけに、やや年配の女性だけが辛うじて正気を取り戻したのか、虚ろだった目の力が戻る。 


「マ、マリア。よく無事で」

「ジュリエッタ先生、なんて酷い……」

「あなたは無事なのね……それなら、あなたは生きなさい」

「先生?」

「私たちは……もう無理よ。もう汚されてしまった。きっと、すぐにゴブリンを産み落とすのでしょう。赤毛のあなた、そうですよね」

「ああ、そうだ。すぐに産まれてくる」

「そうなったら、そのゴブリンがまた女性を襲います。マリア、わたしたちを殺しなさい。禍根を断つのです」

「そんな……」


 マリアは赤毛に振り返る。


「ねぇ、あなた、言葉がわかるんでしょ! 攫われた人なの? どうにかして。みんなを助けて!」

「そんな……」


 マリアは一歩下がる。

 ようやく赤毛が彼女を助け出した救世主では無いと言うことに気が付いたのだ。


「こんなひどいことを……ジュリエッタ先生、一緒にパールサに帰りましょう。きっと間に合う」


 マリアはそのまま振り返りジュリエッタを抱き上げようとする。


「痛い!」

「先生! ごめんなさい。怪我が……」

「ああ、大丈夫よ、ジュリエッタ……優しい子ね。赤毛のゴブリンさん。私の言葉はわかって」

「ああ、わかるぞ。俺は人間の言葉も知識もある」

「そう……私がゴブリンを産み落とすまで何日かかるの? 人間と同じ8ヶ月くらい?」

「早ければ今日にでも産まれる。遅い場合でも4日」

「……そう。マリア、やはり間に合わないわ。それにほら、もう痛みで辛いの」


 そう言ってジュリエッタは自分の動かない四肢を見る。

 二の腕とスネの部分がどす黒く腫れ上がり、曲がっている。


「先生……なんでこんなにひどいことを!」


 マリアは涙を浮かべながら赤毛を睨み付けた。


「ひどいこと? ごめん、マリアが言っていることがわからない。おれたちはゴブリンだ。雌がいないと増えない。食わないと生きていけない。でも、マリアが泣くと苦しい。こいつらは食べない。それでいいのか?」

「そんなの当たり前でしょ!」

「でも、弱いから食われる。弱いから苗床にされる。ごめん、マリア。何で泣くのだ。マリアがなくと、胸が痛い」

「胸が痛い? 先生たちをこんなに酷いめに合わせて……それで胸が痛い? あなたたちにもは心が無いの!?」


 赤毛はその言葉に動きを止めた。

 

「心? マリア、心とは何だ? この胸の暖かいものか? マリアが泣くと痛いものか?」

「そう、それが心よ!」

「そうか……そうか。やっぱり、大成長で心を得たのか!」


 赤毛は再び身体を大きく動かし、喜びを露わにする。


「ああ……きっとこれが嬉しいだ! ああ、そうだ。俺には心がある。ありがとうマリア」

「え、ええ?」

「心だ。俺に心がある!」


 マリアは、抱きかかえようとしてくる赤毛を両手で押し、もう一度叫ぶ。


「だから、先生たちを助けて!」

「助ける。わかった、お前がマリアに酷いことをしたのか。おい、お前か!」

「グギャ? グェ!」


 赤毛が近くで様子をうかがうようにしていたゴブリンを殴り飛ばす。

 あっさりと肉塊に変わるゴブリン。


「マリア、マリアに酷いことをしたやつはどいつだ? こいつか?」

「ゲチャ!?」

「こいつか?」

「ゲゲ!?」


 次々と周囲のゴブリンを屠る赤毛だった。

 やがて近くにいたゴブリンは逃げだし、周囲の森の中に隠れてしまった。


「マリア、もう大丈夫だ」

「いやぁぁぁぁ!」

「おい、マリア!」

「来ないで! みんなを元に戻して!」

「ぎゃぁぁぁぁぁ」


 マリアの叫びと重なるように、必死にその場から逃げようとしていた雌が大きな悲鳴を上げた。


「エレン! どうしたの!」

「いやぁぁぁぁぁぁ」


 エレンと呼ばれた雌の腹が急速に膨らむ。


「な、何? 何が起こっているの?」

「ああ、産まれるんだ。良いからだだ。こんなにすぐに産まれるなんて」

「ど、どうすれば!」


 呆然とするマリアにジュリエッタが怒鳴り付ける。


「殺しなさい! マリア・ベレスフォード!」

「先生?」

「マリア、どうかエレンを楽にして上げて。それが慈悲よ」

「む、無理です。先生……エレンは……エレンは親友なんですよ」

「ゴブリンに汚されたわたしたちは領都へは戻れません。どうか……マリア、わたしたちを哀れむなら、どうかこれ以上苦しませないで」

「そ、そんな」


 その声に被さるように、別の雌が悲鳴を上げる。

 続いてもう一人。


「ぐっ」


 ジュリエッタも苦しそうな声を上げた。

 気丈にも悲鳴はあげないが、その腹が急速に膨らんでいく。


「お願い、マリア。嫌なの……私の身体からゴブリンが産まれるなんて……死ぬにしても耐えられないわ。後生だから、助けて……」

「先生……」


 それを見ていた赤毛は恐る恐るマリアに声を掛ける。


「マリア、あの……俺が殺せばいいか?」

「なんてひどいことを!」

「だって、こいつら、ゴブリンを産みたくないんだろ? もうすぐ出てくるぞ。胎の栄養が良かったのか、今回はとても早い。あと少しで出てきちゃうのだが」

「マリア! お願いだから! 家族にお前の妻は、母は女を犯すゴブリンを産んで死んだのだと知って欲しく無いの。だから!」

「ああ……先生……」


 震えながら俯くマリア。

 そして、しばらくしてからポツリと「赤毛さん、お願いします」と呟いた。


「ああ、マリア・ベレスフォード様。それでいいのです。よく決断しましたね」


 どこかほっとしたようなジュリエッタの最期の言葉だった。




「赤毛さん……どうか、先生たちを埋めて上げてください」


 ほんの数刻ですっかりやつれてしまったマリアは、しばらくすると静かに顔を上げて、赤毛にそう伝えた。


「あいつらが食べたそうにしているのだが、埋めた方がいいのか?」

「食べないでください! 人の命をなんだと思っているのですか?」

「人の命? 命っていうのは何だ?」

「あー、あなたはゴブリンでしたね。なんで私はゴブリンと呑気に会話をしているのでしょうか! 頭がおかしくなりそうです! とりあえず、ジュリエッタ先生たちを食べては駄目です。どうか、このまま安らかに眠らせて上げてください。これ以上、汚さないで!」

「わかった」


 そういうと赤毛は両腕で掻くように地面を掘り始め、あっというまに4人が入る穴を作ってしまった。


「どうか、安らかに」


 マリアはそう祈りを捧げた。


「あとで掘り返されないようにしてください」

「わかった。おい、お前ら! これは食べては駄目だ。わかったな!」


 誰もいない集落で赤毛は大きな声を上げる。

 森の中から、やや不満そうな「ゲチャ」という声があちこちから聞こえてくる。


「あいつらも食わない。ここは掘り返さない。これでいいか」

「ええ」

「次はどうする」

「少し、離れていてください」

「わかった」


 そのままマリアは4人が埋められた場所に跪き、泣きながら一晩中祈りを捧げていた。

 赤毛は少し離れた場所で静かにマリアをみつめていた。

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