第4話 赤毛の名前

 夜通し泣き続けたマリアは、夜明けとともにようやく立ち上がった。

 目の下には酷い隅ができていたが、誰もそれを指摘する者などここにはいない。


「赤毛さん」

「なんだ」

「こちらへ来て下さい」


 夜通し、マリアを少し離れた場所からみつめていた赤毛は、その声に弾かれるようにマリアのそばへやってきた。 


「なぜ、私だけ助けたのですか?」

「マリアが美しかったからだ」

「なぜ先生やアニスたちは助けてくれなかったのですか」

「俺が獲った獲物ではないからな」

「ですが、あなたは私を助けてくれた」

「美しかったから」

「そうですか」

「マリアを見ていると、ここが暖かいのだ。これが心か?」

「心は形にはなりません。ですが、人を見て暖かいと感じるものがあるのなら、きっとあなたたちのようなゴブリンにも心があるのでしょうね」

「昨日まではなかった。でも心ができた。やっぱり心だ」


 赤毛は昨日と同じように立ち上がり、全身で喜びを表す。


「だったら!」


 だが、マリアは大きな声を上げて立ち上がった。


「なぜ、先生たちを助けてくれなかったのですか!」

「マリアはなぜ大きな声を出しているのだ?」

「怒ってるんです。心の底から! そう、心があるからこの怒り、憎しみが……黒い感情が止まらないのです。先生は、アニスは! エレンは! ヘナだって。みんな心がありました。私の大切な先生と友だちでした。それをあなたたちがが……ゴブリンが……」


 そう言い、こらえきれなくなったのかマリアは地面に突っ伏して赤子のように大きな声を上げて泣き出した。

 森の中にいたゴブリンたちは、赤毛が気分を害しないかと恐れて、さらに気配が遠くなる。


「ごめん、マリア。わからない。何かゴブリンが困らせてしまったのか? マリアが泣くと、胸が苦しい。どうか泣くのを止めてくれないか」


 しばらく泣き叫んでいたマリアだったが、いつまでも周囲でおろおろする赤毛に噴き出した。


「もういいです。きっとわからないのでしょうね。私がゴブリンのことを解らないように。あなたたちにはあなたたちの生態があるのでしょう。私のこの怒り、憎しみを理解をしてもらおうとは思いません」


 そして今度はゆっくりと立ち上がった。


「それに人間のように感情や理性で私たち人間を襲っているわけではないことも理解しました。この感情は消すことはできませんが、それを罪だと問うても仕方ないのでしょう。獣ですものね」

「獣? おれたちはゴブリンだ。獣とは違う」

「どう違うのでしょうか」

「おれたちはおれたちだ。獣は獣」

「そうなのですか……よくわかりませんね。プライド……とは違うようですし。ところで赤毛さん、あなたは本当にゴブリンなのですか? どうみても人間にしか見えませんが?」


 赤毛はその問いに首を傾げる。


「人間? 俺はゴブリンだぞ。見た目は少し違うが」

「いえ、あなたの見た目は人間そのものですよ。やはりゴブリンに攫われ、ここで育てられたのですか?」

「なんのことだ? 俺は生まれてからずっとここで育った。もう30年は経つ」

「30年……暦がわかるのでしょうか?」

「ああ、教えてもらった」

「誰に?」

「非常食が教えてくれたのだ」


(非常食?)


 マリアが先ほどの赤毛と同じように首を傾げる。


「決定的に理解し合えない部分がありそうですね。わかりました。深く考えるのはやめましょう。とりあえず、これからです」

「これから?」

「わたくしは帰らなければなりません」

「どこにだ?」

「パールサへです。何としてでも帰らなければならないのです」

「わかった。なら行こう」

「付いてくるのですか?」

「ああ」

「なぜ?」

「わからない、でもマリアといると心が暖かい。きっと離れたらこれが冷たくなる」


 その言葉にマリアは少し顔を赤らめ、「だめだめ、ゴブリンですよ。しっかりするのですマリア。先生の仇だということを忘れてはいけません」、と呟くやくと一度、頭を振ってから赤毛をじっとみつめ、大きく頷いた。

 

「わかりました。それではよろしくお願いします」

「ああ、いいのか?」

「ええ。どうせ一人では生きて辿り着くことはできませんし。先生のご遺志です。私は生き続けなければなりません。そしてご遺族に、皆が誇り高く天に昇ったことを伝えなければなりません。たとえ、それが嘘に塗り固められ、私がその罰で地獄に堕ちようとも」

「そうか」

「はい。そういえばお名前をお聞きしても?」

「名前?」

「そうです。いつまでも赤毛さんでは嫌じゃありませんか?」


 赤毛は赤毛だ。そう思いつつも名前という甘美な誘惑に赤毛は勝てなかった。


「名前……どうやって決めたらいい?」

「友人は何てあなたのことを何て呼んでいたの?」

「友人? 友人などいないが?」

「一人くらいいたでしょ」


 そういえば、人間に呼ばれていた名前。

 赤毛は思い出した。


「ああ、あの非常食からはワンと呼ばれていた」

「ヒジョウショクさん? さきほどのお話に出た方でしょうか。面白い名前のご友人ですね。ワン1さんですか。覚えやすい名前ですね。これからよろしくお願いします」


 一つにして全。

 全にして一つ。


 ゴブリンおれたちに君臨するワンは、こうして名前を得た。

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