第2話 ゴブリン

 ゴブリンおれたち

 人に似た最厄の魔物。人間から醜くて意地が悪く子供をさらう伝説の精霊をなぞらえてゴブリンと呼ばれる生き物。

 子宮を持つ雌となら何だって繁殖が可能という特異な性質を持つことから、他の動物とは区別され魔物と分類されている生き物だ。


 そして交わった雌から産まれてくるのは、必ず雄のゴブリンおれたち


 人の大人よりは小さく、10歳の子供よりは大きい。

 力は人間の雄より弱く、雌や子供よりは強い。

 頭脳は人より愚かで、猿より賢い。

 道具を使い、火も扱う。

 森林奥深くや深い洞窟などに集落を作る。

 大きなものでは数千から数万の群れとなっていく。

 

 それがゴブリンおれたち


「ギャ、ギャ、ギャ!」


 目の前では苗床として機能しなくなった人間の雌が、また今日も餌になった。

 虚ろな目はすでに死への恐怖すら映し出さない。

 実際、痛みすら感じていないのだろうか。ただじっと、自分が終わっていくのを待っているようだ。


 おおよそ、苗床の最後はこんなものだ。


 ゴブリンおれたちは弱い。

 だから積極的に人の集落を襲うことは無い。

 数では勝っていても、人間は強力な武器を持ちゴブリンを追い込んでいく。

 ここへ連れてくるのは群れから外れた弱い個体のみ。

 人間の住処からはぐれたものは、苗床となり食料となっていくのだ。


 人とゴブリンおれたちはよく似ている。

 だからなのか、他の動物と交わるよりもはるかに早く、人のメスと交わればゴブリンおれたちは数日でが産まれてくる。

 子を産めば、また犯され、孕まされる。

 場合によっては、産んだばかりのゴブリン子供にその場で犯される。

 

 あくなき繁殖力。

 まるで増えることだけが存在意義かのような行動原理。

 だから彼はゴブリンおれたちが少し嫌いだった。

 それに――


(人間なんて何が美味いんだろうな)


 ゴブリンとしては孕ませる対象は雌であれば何でもいいのだが、同じような二足で歩く人間を好んで喰らう。繁殖先の相手としての人間はついでのようなものだ。

 賢き同類の血肉を取り込むことで自らを昇華でもさせようというのだろうか。

 いや、そこまでは考えてはいまい。

 ゴブリンおれたちは、ただ本能のおもむくまま孕ませ、喰らう。

 それだけのことだ。


 勿論、ゴブリンおれたちは雄も喰う。

 雄だろうが雌だろうが好き嫌いはしない。

 子を産む必要の無い雄は犯す必要などないので、すぐに喰らうだけの話だ。

 たまに性欲が限界まで昂ぶった個体に犯される雄もいるが、そいつらも、終わればそのまま喰ってしまう。


 ゴブリンおれたちが狩った人間の辿る道筋は苗床として経由するか、しないかだけであり、胃袋へ行き大地に環えるのだ。


「どちらにしても俺には関係の無い話か」


 喰らい尽くされた残骸を眺め一体のゴブリンが呟く。

 まるで人と同じように言葉を発したのは、他のゴブリンおれたちと違い、赤い頭髪を持つ巨大なゴブリンだ。

 人間が見れば、まるで剣闘士のようんだと言ったであろう。

 人の平均としても、まだ尚巨大な体躯である。


 通常、ゴブリンは体毛を持たない。

 よくよく観察すると薄らと茶色い産毛が生えているが、肌の色と同化しているので、人間からは無毛だと思われている。

 

 そのゴブリンにあって、血を連想させる深い赤髪と巨躯を持つのは異端だ。

 彼こそがゴブリンおれたちの中の赤毛の王。


「だいたい、犯すと死ぬって、どんな設定だよ」


 赤毛は頭髪をぼりぼりと掻きながら呟いた。

 人間の言葉を発することから分かるように、知能も高い。

 実際、この時すでに赤毛は人よりも高い知能を得ていた。

 そしてその知能と観察により、ゴブリンの寿命と生殖行為の関連性に気が付いていたのだ。


 雌を孕ませると、ゴブリンは死ぬ。

 ゴブリンおれたちに付きものの、生まれもった性欲がなかったために、赤毛は生き延びていた。


「あいつは、もうそろそろか」


 赤毛の視線の先には、苗床に跨がり腰を振っているゴブリンおれたちがいる。他のゴブリンとの違いは、見かけ上分からない。だが、そのゴブリンは精を放った瞬間に死んだ。


「計算どおり」


 そういって寝床にしている集落で一番大きな岩の片隅に石を使って何やら書き記している。

 赤毛は自分の集落にいる数万のゴブリンを、それぞれ個体として識別し、観察し続けていたのだ。


「平均24回」


 赤毛が見出したゴブリンおれたちの寿命だ。

 苗床の入手度合いにもよるが、1~4年でゴブリンおれたちは、死ぬ。

 赤毛が力尽くで寿命を延ばすために性欲を抑えるようにしたが、雌を犯したいという強い本能を抑え込むことは、ほとんど不可能だ。

 結果、本能に抗えない。

 何体か性欲に支配され暴れ死ぬのを見てから、赤毛は諦めた。

 

「生きるための力みたいなものを子供に譲渡するから死ぬんだろうな」


 赤毛は自らの観測結果から結論付けていた。

 一方で、ゴブリンは交尾さえしなければ、死なずに力も知能も成長をする。その成長は蛇が脱皮するがこごとく、唐突に何度も訪れ、その度に強くなっていく。


「お陰様で俺は長生きだよ」


 この世に生まれ落ちてから約30年。

 誰とも交わらず、赤毛はゴブリンおれたちの人生をただじっと見送ってきた。


「ゲ、ゲ、ゲ…ギャ、ゲ」

「ああ、いらんよ。俺は自分で肉を獲ってくるから大丈夫だ。俺は人は喰わない」

「ギャ、ギャ、ギャ」

「だからお前たちの王じゃねぇって何回言えば解るんだ?」

「グゥ」


 この集落で一番、力がある。

 この集落で一番、知恵がある。

 いつのまにか王という扱いになっていた。

 王という概念をゴブリンおれたちに広めたのも赤毛だったのだが、まさか、その地位に自ら就くとは思っていなかったようだ。


「俺もそろそろ次の成長期か……これまでと同じであれば、大成長のタイミング。楽しみだな」


 10年目の成長期に赤毛は人間よりも強くなった。

 20年目の成長期に赤毛は人間よりも賢くなった。

 

 賢くなっても足りなかったのは知識。

 それを補うためにゴブリンは人間に頼ることにした。


「助けてくれ」

「ああ、それで国というのはどういう意味なんだ」

「国か。国というのは――」


 赤毛は苗床と一緒に攫ってきた雄を強引に奪い、非常食として保管した。

 そして、彼は人間非常食と何千回と会話を試みた。

 最初の頃は意思疎通からだ。

 人間が言葉というもので情報を交換していることを理解していた赤毛は、自分にもそれを教えるよう非常食に請うた。

 そして言葉を覚えると、様々な知識を求め、非常食と会話を続けたのだ。


 言葉を得て、歴史を知った。

 計算を知って、科学を識った。


「お前、言葉が分かるなら、俺の気持ちが分かるよな? わかるだろ。なぁ、頼む。助けてくれ。俺には妻と子供が……」

「気持ちというのは何だ?」

「愛とか、悲しみとか……とにかく心だ! 心だよ!」

「まずは愛について詳しく教えてくれ」


 色々な非常食と繰り返し会話をした。

 たまに理性を保っていた苗床とも会話をすることもあった。

 だが赤毛は、どうしても愛、憎しみ、怒り、悲しみといった心が理解できない。


「助けてくれ」

「なぁ、心について、もう一度説明してくれよ」

「説明したら助けてくれるのか?」

「ああ、喰わないぞ」


 色々な情報を聞いた。

 人間は賢く狡い。

 赤毛に心を理解させようとし、色々な手管を使った。

 抱きついて色目を使うような雌もいた。

 だが、何度教えを請おうとも、言葉の説明では心というものが理解できない。


「もういい」


 ある日、赤毛は諦めた。

 そこに悲しみも怒りも無い。

 聞いても理解できないということを、ようやく理解したのだ。


「助けてくれ」

「ああ、俺はお前を喰わない。約束したからな」


 次の日に行くと、赤毛と会話をしていたその人間は骨になっていた。


「非常食は非常事態以外に喰うな!」


 赤毛に殴られたゴブリンおれたちが肉塊に代わる。

 この人数を支える食料は大切だ。

 ともすれば、共食いだってしてしまうゴブリンおれたち


 案の定、肉塊に変わったそれをゴブリンおれたちは直ぐさま喰らう。

 同族も死ねばただの肉。

 それがゴブリンおれたちの日常だった。


 それを冷たい目で眺めながら赤毛は心について考える。


 まだ、足りないのだ。

 成長が足りない。

 ただ、それだけ。


 そう確信を持ちながら。

 そしてその日がやってくるのだ。



「そろそろ成長が始まりそうだ。おい」

「グギャ?」

「誰も近づけるな」

「ゲチャ」


 赤毛はそう言って、集落の一番大きな岩の上で横になる。

 10年ごとの大成長では数日は眠ることになるのだ。

 喜び、楽しみ。

 そういった情動は無かった。

 だが次こそ確実に何かが変わる。

 そう確信するような期待だけがあった。

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