万引き少女と過去の清算と(没原案)


 俺の名前は入間いるま翔太しょうた

 社会人四年目で、そろそろ身の回りも安定してきた頃合だった。

 周りに結婚する人たちも出てきていて、同じ部署の同期は先日、慰労会と称した飲み会を休んだと思ったら翌日には後輩女子と恋愛関係になっていた。

 そんなわけで、少し焦っていたりもするわけだ。


 「外食しようかな……」


 今日は残業で、帰宅が遅くなったのと疲れたのどで自炊する気力は無かった。

 でも感染症が蔓延してる昨今、外で食べるのもリスクだと思った。 

 結果としてコンビニで買って帰ることになった。

 パスタとお握り二つと缶ビールを買い物カゴに突っ込んだところで、俺はとある光景に遭遇した。


 「やめた方がいいんじゃないか?」


 隣で制服の上にパーカーを着た少女が、ポケットにおにぎりを突っ込んでいたのだ。

 思わず声をかけると、鋭い目で睨まれた。

 そして、彼女はポケットに突っ込んでいたおにぎりを取り出すと俺のカゴへと放り込んで、逃げるように店の外に出ていった。


 「……仕方ないな」


 なぜ俺の買い物かごに突っ込んだのかを察すると、それらを棚に戻すことなく俺はレジへと向かったのだった。


 ◆❖◇◇❖◆


 店を出ると、駐車場の車止めブロックにさっきの少女が座り込んでいた。

 パーカーを纏って、背中を丸めた少女の背中はどこか物悲しい雰囲気をただよわせていた。


 「ほら、買ってきたぞ」


 少女が俺のカゴに突っ込んだおにぎりを手渡すと、少女はチラリと俺の表情を窺ってからおずおずとそれを受け取った。


 「聞かないんだ?」

 「気にはなるが、聞かれたくないこともあるだろう?」


 それに加えて面倒事に首を突っ込まないためには、人に興味を抱かないのが一番だ。


 「そっか……私としては理由を聞いてちょっぴり同情して欲しいかなって思うんだけど?」


 誰かに話て楽になるというならそれもいいだろう。

 だが初対面の人間に対してそう言えるのは何故だろうかと気になった。


 「ろくに知りもしない人間によく話そうと思うな」


 そう言うと少女は微笑みながら言った。


 「だってお兄さん、優しそうなんだもん」


 どこにそんな判断を下せる根拠があるんだろうか。

 そう考えていると、少女は見透かしたような表情を浮かべた。


 「普通の人なら制止したりしないし、面倒くさいタイプの人なら店員を呼ぶから。でもお兄さんはそのどちらでも無かったでしょ?むしろ、私を心配して制止するような言葉をかけたんじゃない?」


 自分だって明確な意思があって声をかけたわけじゃないから、そうだという確信を得るには至らなかった。

 

 「無意識下で声をかけたのなら、私は尚更優しい人だって思っちゃうよ」

 

 自分よりも十歳は下の少女にそう言われてるのにも関わらず、少女の言葉は不思議と妙な説得力を持っていた。


 「そうか……」


 頷くと少女は俺の手を包み込むように握った。


 「だからさ、聞いてよ?私の話――――」

 「その前に、場所を変えた方が良くないか?」

 

 立春はとうに過ぎたとはいえ、まだまだ夜は冷える。

 長話になるかは知らないが、どこか暖かいところに場所に移す方がいいだろうと提案すると、少女は一拍間を開けて


 「お兄さんの家、行ってもいいかな?」


 手には買ったばかりの晩御飯の入ったレジ袋があって、場所を移したところで店内にそれらを持ち込むのは気が引けて、家しか無いかぁ……という考えが脳裏をぎったが、美人局みたいなことになったら困るしな……という可能性も考慮して俺は首を横に振った。 

 

 「それは無理だな。そこまで信用出来ない」


 キッパリそう伝えて、代わりに喫茶店を提案したのだった。


 ◆❖◇◇❖◆


 というわけでやって来たのは、大手チェーンの喫茶店。

 奥まったところにある席が空いていたので、そこを選んだ。


 「奢ってくれるの?水だけでもいいよ?」


 心配そうに少女は言ったが、


 「さすがに社会人の懐事情を舐め過ぎじゃないか?」


 と返して、好きなものを注文させることにした。


 「うん、美味しい……」


 少女は余程お腹が空いていたのかあっという間にサンドイッチとケーキとを平らげてしまった。


 「話そっちのけだな」


 二人で二千円の出費はちょっとだけ痛手だったが、その嬉しそうな表情を見れただけでそんなことはどうでもよくなった。


 「お腹すいてたんだもん……」


 少女はそう言うとテーブルナプキンで口元をそっと押さえた。

 それから少しばかり無言になって、店内の音楽が途切れると話し出した。


 「私は、石動いするぎ莉奈りなって言うの。お兄さんは無理に名乗らなくてもいいよ」


 少女は珈琲に口を付けると話を続けた。


 「親は絵に書いたような毒親で、父は母の金遣いと男遊びが原因で離婚。それからますます母は金遣いが荒くなっていってもう貯金も底を尽きたの。私もバイトしてるけど、バイト代は母に取られてる。正直に言えば食べるのにも困ってて万引きしようかなって思ったタイミングで、お兄さんと出くわしたってわけ」


 少女あらため石動は、堰を切ったように自身が置かれた状況について口にした。


 「……返す言葉に困るな……」


 俺は赤の他人、話を聞けば同情の念を抱かずにはいられないが、親権を持ってるわけでもなし、どうすることも出来なかった。


 「無理に何か言えなんて言わないよ。でも誰かに聞いて欲しかった」


 酷く沈痛な面持ちで少女は言った。


 「聞くことしかしてやれなくてすまない」

 

 何もしてやれない非力な自分にため息をつかされた。

 

 「ううん、お兄さんが真剣に聞いてくれただけでちょっぴり気持ちも楽になったの。元々、手を差し伸べてなんて厚かましいこと言うつもりもなかったから。でもこういう境遇の人間がいるってことを知って欲しかったし、誰かに話て楽になりたかったの」


 少女はそう言うとまた、今日何度目かも分からない笑みを浮かべた。

 でもその笑顔は貼り付けたような不自然な笑顔。

 そして笑顔の裏で泣いているのが丸わかりな表情だった。

 そんな笑顔を浮かべる少女を疑うなんてことは出来なかったし、放っておけるほど人に興味を抱かないでいられるほど俺はドライな人間じゃなかった。

 いつの間にかテーブルの下で握っていた拳を開いてそっと少女の肩に載せた。


 「助けてやるよ」


 幸いにして俺は独身貴族、自由に使えるお金がないわけじゃない。

 養う人間が一人増えたところでどうってことない。

 

 「お兄さんが面倒なことになるだけだから、そこまではしなくてもいいよ」


 変わらぬ表情のままに、石動は俺を見つめて言った。


 「お前についてまわる面倒事社会規範くらい、どうとにでもしてやる」


 そんなことは何も考えちゃいない軽はずみな言葉。

 自分でもなんでそんなことが言えるかは分からない。

 いや、正確に言えば忘れていた事柄を石動のつらそうな笑顔が想起させたんだ。 

 俺がまだ小さかった頃、いつも隣にいた幼馴染の少女。

 彼女の家庭事情は、石動のそれとよく似ていた。

 そして彼女は最後に俺に全てを打ち明けると、忽然と姿を消してしまった。

 俺はその時の自分では処理しきれなかった感情をよく覚えている。

 何も出来なかった無力な自分が憎かった。

 幸せに安穏と生きていた自分が嫌いになった。

 そばにいたのに何も気付いてやれなかった自分を恨んだ。

 そして傍にいる人に、自分と親しい人に、自分を頼ってきた人にそんな思いをさせたくは無いと誓った。

 だから―――――


 「俺を頼ってくれないか?」


 気付けば自然とそんな言葉が口から飛び出した。

 一度出してしまった言葉はもう戻らない。

 でも、その言葉を口にしたことに何の後悔も無かった。


 「お兄さんは、後悔後先に立たずって言葉を知っているのかな?」


 石動はため息混じりに、でも嬉しそうにそう言った。


 「ことの言葉の後にも先にも後悔はないって意味だろ?」


 もちろんそんな意味じゃない。 

 でもそれがこの言葉に対する今の俺の解釈の仕方だ。

 それが幼馴染との過去の清算、自分の我儘エゴの押し付けだったとしても、俺は石動のことを助けたいと本気で思っていた。


 「お兄さんってば馬鹿だね。でも私、こんな気持ちになったの生まれて初めてだよ!!」


 目尻に目頭に涙を浮かべた石動はぐちゃぐちゃになった顔を拭いながらそう言った。

 こんな場所でするべきではない会話。

 もちろんそれを石動も弁えているのか言葉のやり取りは静かなもの。

 それでも集まってくる視線はしかし、今の俺にとっては心底どうでもよかった。


 ◆❖◇◇❖◆


 五年後――――――


 「行ってらっしゃい」


 頬を赤らめながらそっと口付けをしてくる莉奈の左手の薬指には煌めく指輪。

 あの後、面倒事は山ほどあったけど、あの日に喫茶店で彼女に対して放った言葉には全くもって後悔は無い。

 なぁ……俺は間違った選択はしちゃいないよな?

 心の中での自問自答に脳裏を過ぎったのは幼馴染の屈託のない笑顔だった。

 

 

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