Beit1.5:契約

 路地裏で立っている男は地味なのに異様な風貌で、自然ととても目を引いた。近くで葬式など無いのにネクタイまで真黒なスーツ姿。不審人物かただの変なヤツか。最近この国では『連続猟奇殺人』なんてフィクションみたいな事件も起きていて、その調査をしていた俺は気づけば声を掛けてしまっていた。それが俺の運の尽き。いや…… 一応助けてもらったわけだし、ついているのか?

 今にして思えば、あの時点では単なるどこかの葬式帰りの可能性だってあった。なのに自分がどこか違和感を覚えた理由は、今思い返しても上手く説明ができなかった。


「私は季節のグリーンスムージーで」


「俺はステーキセット」


 きっちりと整えられた髪にお堅いスーツ。この目の前の英国紳士気取った男は、先の事件を解決した張本人だ。かといって、刑事でも無ければ復讐に燃える被害者の関係者でもない。自称ただの観光客である。


「飯食わねえの? ここの飯どれも美味しいんだぜ」


「私はスムージーが好きなので」


 にっこりと笑った笑顔は女ウケが良さそうだが、俺には腹黒野郎にしか思えなかった。鼻につくほどの上品さがこの大衆料理屋とは酷く不釣り合いだ。

 今回の事件では、二十代から三十代の女性四人がつま先・踵を切り落とされた挙句、目玉をくり抜かれた状態で遺体として発見された。最後となる五件目の被害者にして唯一の生存者である女性もつま先と踵を切り落とされている。警察関係者から期待されていた彼女の証言は支離滅裂であり、恐怖による精神疾患だろうということで現在は警察病院に入院しているそうだ。アレを見てしまった後では、彼女のその“支離滅裂さ”は多分真実を話していただけなのだと分かる。


「おなかすかないの?」


「小食なので」


「ああ、そう……」


 事件の翌日、依頼通り俺はリンデンバウムさんの依頼で彼を王宮博物館にもう一度連れて行った。そこで事後処理だとか何とか言って、リンデンバウムさんは硝子の靴の展示ケース内部の空洞に小さな水晶玉を仕込んでいた。

 見たところマジでただの水晶玉っぽかったし、あの化け物を抑制するためだなんて言われたら許可──── というか目をつぶるしか無い。事件と重なるように展示室で体調不良者が出たことと何か関係があるのだろうか。そういえばリンデンバウムさんも最初青い顔をしていたっけ。


「そんで諸々説明してもらえるんだよな?」


「ええ。約束を守るのは模範的人間の行動ですから。しかし、諸々と言うほど説明するべきことはありませんよ。バイターについては昨日話した通り。そして、我々は《光》を喰らうバイターを唯一喰らう者。サーペントと呼ばれています。私の場合は副業のようなものですね」


 意味ありげにリンデンバウムさんが微笑む。


「サーペント?」


「具体的にはバイターを倒して、その際手に入る"核"を売るんですよ。ミッドナイトという大変貴重な宝石の原石になるため、存外高く売れまして。死ぬかもしれませんが割はいいんです」


「割はいい、ね......」


 物腰はやわらかくても、他者にそれ以上深く内情を触れさせない壁のようなものがそこにはあった。ルビー色の瞳の奥で揺れる光が酷く冷たい。


「私のことよりあなたはどうなんですか」


「俺?」


「私のことは話したわけですし、次はあなたの番です。王宮博物館にコネがあったり、女装して事件の調査をしたり。正義感の強い善意の観光ガイドってわけでもないでしょう?」


「俺は色々知ってるただのお兄さんだよ。分かりやすく言うと、何でもござれの情報屋ってとこかな。だからガイドってのも嘘じゃないぜ? それに博物館は館長が知り合いってだけだから、コネってほどじゃない」


 リンデンバウムさんは少し驚いたような顔をしたが、「なるほど」としか言わなかった。さっきサーペントを”副業”と表現していたが、ならば本業は何なのだろうか。詳しく聞く前に話題を変えられてしまったし、相手のペースに自然と呑まれているのはいつもと逆で調子が狂う。

 俺と大して変わらぬ背丈に、細身とはいえスーツの上からでも分かる筋肉。どうやってその体をたかだかスムージー一杯ごときで保っているのか。ステーキにかぶりつく俺をよそに、リンデンバウムさんは何種類かのカプセルを割り手際よく中身をスムージーに入れていく。


「なあ、調味料……? それ」


「栄養剤です」


「プロテイン的な感じ?」


「そんな感じです」


 ヤクの類とは匂いが違うし、多分本当に栄養剤だ。重度の健康オタク・ヴィーガン・減量中の筋トレマニア、様々な選択肢が脳内に浮かぶ。なんにせよ、はた目から見ればかなり異様な食事スタイルであることに変わりは無い。


「てかさ、リンデンバウムさんがそのサーペントって奴だとして」


「だとして、というかそのものですよ」


「なんでここの事件がバイターの仕業だってわかったんだ? イカれた奴が犯人のただの連続猟奇殺人事件かもしんねぇだろ? いや、ただのってのはあれだけど」


「その土地の《光》の具合と、詳しい調査で判断するんです。それでも実際にバイターを見るまでは確定じゃないですが。何にせよ現地に行けばお金にはかえられますし、徒労になるとかはありませんね」


 その何にせよ、というのは本業と何か関りがあるのだろう。場所が限定的でないうえに『お金にかえられる』という表現をしているところを見ると、警察関係者では無さそうだし。記者だとしても名前を聞いたことが無い。


「私普段はお手玉と風船で子供を喜ばせる大道芸人なので」


 リンデンバウムさんのあまりに予想外の言葉に、口を開けたままステーキを口に運ぶ手が止まる。


「嘘です」


「なんだその謎の嘘!」


「ふふ、失礼。あなたの反応随分面白いのでつい」


「つい、じゃねえわ! びっくりしたぁ」


 突飛な内容よりも、リンデンバウムさんが冗談を言うタイプだったということに驚いた。こういう人間の冗談が一番心臓に悪い。


「そうだ。ここのお代はあなたの臨時収入で払ってもらっても?」


「スムージー一杯分くらい別にかまわねぇけど、臨時収入って? リンデンバウムさんからの給料のこと?」


「三十代の男と、女性と歩いていた五十代の男」


「へ?」


「先程繁華街で歩いている時に、あなたが財布をスった相手です」


 反射的に息が止まる。


「見てたのか」


「ええ、それはもうバッチリと。きちんと通報させていただいたのでご安心を」


 瞬時にスムージーを悠長に飲んでいたのは、ただの警察が来るまでの時間稼ぎだと気づく。よりにもよってスリなんてしょっぱい犯罪で捕まってたまるか。俺が慌てて荷物に伸ばした手をリンデンバウムさんは静かに制する。


「慌てないで大丈夫ですよ。あなたじゃなくてちゃんと“相手”を通報しましたから」


「相手?」


「前者は薬物のブローカー、後者の男も連れの女性へのDV常習犯。私も善人では無いですし、悪人がいくらスられようが知りませんよ。でも善良な市民なら普通の通報はするものでしょう?」


 さも当然のことかのように言ってのけ、リンデンバウムさんはスムージーをすする。

 あの一瞬でどうやってそれを見抜いたかはさておき、“普通”はスリだって通報する。一体どういう判断基準で動いているんだこの人は。


「ははっ…… まあそうだな。てか通りすがりのやつより、名前の分かる俺の方が通報しやすいだろ」


「財布に彼らの身分証が入っていましたから、その点は心配いりません」


 にっこりと笑うリンデンバウムさんの手には財布が二つ。驚いて慌てて自身の持ち物を確認したが、やはりスッたはずの財布が無かった。この俺がスられるだけでなく、それに気づきもしなかったなんて。


「いつの間にっ!」


「お返ししておきますね」


「こりゃどうもっ。スムージーは口止め料ってわけか」


 ひったくるようにして財布を取り返すと、今度は自分の財布も入っているスられにくい場所にしまった。


「口止め料にしては良心的価格だと思いますよ。それと、あなた分かっててスったんですか?」


「馬鹿みたいにヤクの匂いぷんぷんさせてる男と、怯えた女連れてる男だぞ? どんな奴か詳しく分からなくても、少なくとも清廉潔白な一般市民じゃないことくらい分かる」


「ふっ、なるほど」


 リンデンバウムさんは鞄からケースを取りだし、テーブルに一枚の名刺を置いた。白地にタイプライターでしたような黒い印字がしてあるシンプルな名刺だ。


「あんた····· 私立探偵だったのか」


「リクルートですモーガンさん。仕事はずっと独りでしていくつもりでしたが気が変わった。表も裏もあなたと一緒なら心強そうだ」


 どうせ事件が解決した以上、俺はまた各地転々とする生活に戻る。エグラスにあまり長居する気もなかったし、安定しないその日暮らしよりまともな職に就いていた方がいいだろう。ただ、それだけだ。


「改めて、タリス・モーガンだ。よろしく」

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