第7話

寒い。身体も心も。


 地下牢は薄暗く、じめじめとしていて、かび臭いにおいが漂っていた。

 独房までの通路は、ぐねぐねと曲がりくねり、長い階段をいくつも降りなければならなかった。燭台の照らす、わずかな明かりを頼りに人が二人並んでやっと通れるような狭い通路を、看守に急かされながら歩いていく。公爵令嬢である自分が、まさかこのような場所に来ることになるなどとは夢にも思わず、ヴィクトリアは両手をぎゅっと握りしめた。一生、日の当たるところに戻ることはできないのではないかという絶望と恐怖に震えながら、一歩一歩、躓かないようにだけ注意して歩く。


 ある鉄格子の扉の前で、看守が歩みを止めた。


「ここだ。入れ」 


 どんっと乱暴に背中を押されて、よろめきながら牢の扉の中に入ると、すぐさま非情な音を立てて錠がかけられた。

 看守の足音が遠ざかっていく。このみじめな場所に、一人きりになると、ヴィクトリアはさめざめと泣いた。


 あの火事以来、どれほど流しても涙は枯れないことを知った。己の無力さを知った。世間の理不尽さを知った。かつての父母の温かさを知った。そして、こんな時頼れる友人の一人さえいないことの絶望を知った。皇妃候補として多くの学問を学んだが、こんな感情はだれも教えてくれなかった。


「私はここで死ぬのかな」


 ぽつり、つぶやいた言葉は、ひたひたと反響する。自分の声にぞっとして耳を澄ませた。


 耳を澄ませてみると、ここには自分一人ではないことに気づく。

 ヴィクトリアがいるのは独房だが、あちこちから正気を失ったような声が響いてくるのだ。そんな中、まともに聞き取れる声もあった。


「新入りか」


 初めは自分に語り掛けているとは思いもしなかった。


「娘、お前に話しかけてんだよ。さっき、看守に連れられてきたやつ」

「私ですか?」

「そうだ。俺とお前以外、この地下牢で正気を保っている奴がいるかってんだ。まあ、お前もあと三日もすれば、奴らの仲間入りだろうがな」


 ヴィクトリアはぶるりと身震いをした。


「あなたはなぜ正気なの? 最近ここに入れられたの?」

「俺はもう1年はここにいるだろうぜ。まあ、ここでは昼も夜もわかりゃしねえから、もしかしたら半年かもしれないし、三年かもしれねえがな。 ここで正気を保つにはよほどの精神力がなくちゃいけない。ま、俺様が優れてるってことだな」


 男はくつくつと笑うと、ヴィクトリアに問いかけた。


「お前はなんでこんなところに入れられたんだ? ここは、国中の大悪党が入れられる、脱獄不可能な地下牢だぜ。ほかのケチな牢とはわけが違う。若い娘が何をやらかしゃ、こんなところに入れられるってんだ?」

「人の詮索をする前に、ご自分の話をなさるのが礼儀ではなくて?」

「へえ。俺にそんな口を利く女は初めてだ。悪くないな。ここを出たら、俺の女にしてやるよ」

「結構です」


 得体のしれない相手だったが、話をしていると自然と落ち着いてくる。

 かつての自分なら、こんな粗暴な言葉遣いをするような相手には、さながら虫けらを見るような視線を投げていたかもしれない。しかし、今、こんな過酷な状況で、何も考えずに軽口を言い合えることは、ヴィクトリアにはどうしようもなくありがたいことだった。

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