第5話
あの後、ソフィーとどんな話をして、彼女がいつ帰ったのか、まったく記憶がなかった。
レティスが結婚?エザベラ皇女と?
準備が整ったというのは、エザベラ皇女との結婚のことだったの?
言いようのない悲しみと虚しさが、津波のように胸に去来する。
「わああああああ……」
ヴィクトリアは大声で叫んだ。
限界だった。
手あたり次第のものをつかみ壁に向かって投げつける。机や椅子はひっくり返り、花瓶が割れ、枕の羽毛は飛び散った。それでも衝動は収まらず、ヴィクトリアは自分の首にかけられたチェーンを両手で思い切り引っ張った。細めのチェーンは、見た目は脆そうに見えるが、どれだけ強く引っ張っても切れることはない。わかっていても、そうせずにはいられなかった。ヴィクトリアの両手はきつく握りしめたために血の気が引き、こすれた手のひらからは、鮮血があふれる。
「お父様、お母様、助けて……」
そうつぶやいたとき、部屋の中に小さな竜巻が巻き起こり、レティスが現れた。
「なにしてる!」
結界の異変を感じ、瞬間移動で飛んできたのだ。レティスは、ヴィクトリアの両手をつかみ、強引にチェーンから手を外し、暴れるヴィクトリアを無理やり抱きしめた。
「離して! もういや! ここから出して!」
「言ったはずだ。お前は一生俺の玩具だと!」
腕の中で無我夢中で暴れるヴィクトリアを、レティスはベッドに押さえつける。
「いや! 汚らわしい! 触らないで!」
「ヴィクトリア!」
生まれて初めて、レティスから名を呼ばれたヴィクトリアは、驚き、レティスを見つめた。なぜか、レティスの顔が苦痛に歪んで見えた。苦しいのは、自分のはず。レティスがなぜこんな表情をするのか、わからなかった。
ヴィクトリアはゆっくりとレティスに言った。
「皇女を抱いたその腕で、私を抱くの? お願い、もうやめようよ。……レッティ」
幼いころの愛称で呼ぶと、レティスの目が大きく見開かれ、ヴィクトリアを拘束する力も弱まる。ヴィクトリアが暴れないのを確認すると、レティスはおもむろに立ち上がった。
よく見ると、レティスはこの国の正装をしていた。仕立ての良い真っ白の軍服。いくつもの装飾品で飾られたそれは、レティスの金髪に良く似合っていた。
レティスは無造作に上着を脱ぎ、サーベルを外して放り投げると、ベッドに戻り、ヴィクトリアを優しく抱きしめた。そして、ヴィクトリアの傷ついた両手に回復魔法をかけ、ぽつりと言った。
「もう一生その名で呼ばれることはないと思っていた」
「え?」
「なんでもない。今日は疲れているからこのまま休む。動いたりして起こすなよ」
そう言ってヴィクトリアを抱いたまま、目を瞑った。
この部屋に監禁されて初めて訪れた、レティスとの穏やかな夜はゆっくり更けていった。
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