第4話

「失礼いたします」


 控えめなノックが聞こえる。


「どうぞ」


 ヴィクトリアの返事を待って、ドアが開かれる。

 入ってきたのは、ヴィクトリアがレティス以外にただ一人会うことを許されている、メイドのソフィーだった。ソフィーはヴィクトリアが囚われの身となった当初から、身の回りの世話を一手に引き受けている。


「マリア様、お食事をお持ちいたしました」

「ありがとう。ソフィー」


 ヴィクトリアは窓辺に置かれたソファから、ゆっくりと立ち上がった。

 ヴィクトリアは、ソフィーから「マリア」と呼ばれている。ヴィクトリアの身元を隠すためだとレティスは言っていた。ヴィクトリア自身、こんな格好の自分が公爵令嬢だとは知られたくなかったので、甘んじてそれを受け入れている。


「マリア様、お加減はいかがですか?」

「ええ。もうすっかりいいわ」

「手錠の跡もだいぶ薄れましたね」

「魔力封じの形が首輪に変わっただけなのだけれど。それでも、ずいぶん過ごしやすくなったわ」


 質素な食事を終え、後片付けをするソフィーを眺めながら、ヴィクトリアはため息をついた。


 最後にレティスにあった日から、2週間が経過していた。

 最後のあの日、気が付いたら手錠が外れていて、首には細いチェーンが巻き付いていた。この首のチェーンも魔力を封じるものだ。相変わらず、ヴィクトリアに魔力は戻らないし、この殺風景な部屋から抜け出すこともできないでいた。しかし、両手を自由に動かせる分、こちらの方がよほど良かった。


「ずっとこんなところに閉じ込められて、おかわいそうなマリア様。マリア様にこんなひどいことをなさる、殿方を許せません。あたしがどこのだれか知っていたらこらしめてやるのに」


 ヴィクトリアはあいまいにほほ笑んだ。


 ソフィーはレティスとは会ったことがないと言う。雇われた時も、使用人らしき人が来て仕事内容と驚くような高給を提示して去っていったらしい。この部屋来るときも、二人はいつもちょうど入れ代わるようにやってきていた。レティスが顔を合わせないように時間を調整していたのかもしれない。


「すみません、あたしったら! 余計な詮索をするなと厳命されておりますのに!」

「いいの。私は今あなたしかおしゃべりできる人がいないの。どんな会話も楽しいわ」

「あたしもマリア様とおしゃべりできるの、楽しいです。マリア様がお元気になられて、良かった。先週までは、本当にお辛そうで見ていられませんでしたもの」

「ええ、そうね」


 ヴィクトリアは、今の気持ちをうまく表現できなかった。一人殺風景な部屋に閉じ込められて、時間だけが過ぎていく日々。穏やかな日々に安堵もしているし、レティスに会えないのがすこしだけ寂しくもある。


 ヴィクトリアは、体力が回復したとき脱走を試みた。しかし、レティスが結界を張っていたため、それはかなわなかった。

 この世界の結界は、結界の核となる物質を破壊すれば解ける。昔、レティスが木をなぎ倒して結界を解いた時のように。つまり、その核をうまく隠すことができる人間ほど、強力な結界が張れるという仕組みだ。魔力を奪われたヴィクトリアには、その核を見つけることはほぼ不可能だった。


 ヴィクトリアはもう一度ため息をつき、重い気分を振り払おうと、ソフィーに話しかけた。


「ソフィー、その髪飾りとてもかわいいわね。よく似合っているわ」

「ありがとうございます。これ、街で買った、エザベラ皇女の結婚を祝したオリジナルアイテムなんです」

「まあ、エザベラ皇女がご結婚? 知らなかったわ」

「今、街中がお祭りムード一色ですよ。みんな大騒ぎで、歌って踊って。あたし、こんな雰囲気初めてだから、とても楽しいんです。叶うなら、マリア様もぜひお連れしたいわ」

「私も一緒にお祝いしたいわ。エザベラ皇女のお相手はどんな殿方なのかしら。きっと素敵な方よね」

「ふふ。エザベラ皇女は、もうぞっこんなのだそうです。でも、その気持ちはすっごくよくわかります。なんたってお相手はあのフォーベルマン公爵様なんですもの」

「え? いま、なんて」

「エザベラ皇女とフォーベルマン公爵様がご結婚されたんですよ! 公爵様は、あの大火事の悲劇からお一人だけ生き残られて。ご家族を亡くされてお辛かったでしょうに、気丈に振る舞って、公爵家をお継ぎになったんですわ。その公爵様をお支えになったのがエザベラ皇女だったんです。本来なら、皇族のご結婚は早くても半年はかかるのだそうだけれど、皇帝陛下はエザベラ皇女を溺愛していらっしゃいますから、押し切られてしまわれたんだとか。お二人のラブストーリーは、今や街中の女性たちのあこがれの的ですわ!」


 ソフィーが興奮気味に話すのを、ヴィクトリアは茫然と聞いていた。

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