第9話 マルクの本音

 お昼時だったせいで、飲食店はどこも店の外に行列が出来ていた。マルクの店も例に漏れず、店先に長い列が出来ていた。


 常連客は離れてしまったようだが、意外にも新たな客がこの店に足を運んでいた。

 さすが料理がうまいと評判なだけある。


 イシスがさっそく店内に入ろうとすると、列に並ぶ先客から厳しい洗礼を受けた。


「おいおい、嬢ちゃん。割り込みはいけねぇよな」

「そうだぜ。俺らはずっとここで並んでんだ。列の最後に並びな」


 至極真っ当な彼らの主張に対し、イシスは堂々と大嘘を言ってのける。


「ごめんなさい。私ここの従業員なの」


 全身不気味な程真っ黒な衣装に身を包む彼女は、どこからどう見てもこの店の従業員には見えなかったが、あまりにも堂々としたその佇まいに、彼らも呆然として何も言い返せなかった。


 幾人かは「この人、例の聖女様じゃないか?」と気付き始めていたが、イシスの動きの方がコンマ早く、彼らの頭に「?」が浮かんでいる隙に店内に滑り込む。


 カランカランとベルの音が入店を知らせた。


「すいません、お客さん。お呼びしますので、外でお待ち……って、あんた朝のっ! こっちは忙しいんだ。頼むから帰ってくれ!」

「お手伝いに来ました!」

「手伝いなんていらないから、邪魔しないでくれ!」


 1番忙しい時間帯とあって、店内は人で溢れ返り、慌ただしい状態だった。マルクは大柄な体が小さく見える程、忙しなく動き回っている。


 イシスは構わず、手を上げて待つ客に声を掛けた。


「ご注文をお伺いします」

「おいっ! 勝手に注文を受けるな!」

「サーモンとキノコのクリームリゾットと、ホキの香味フライで」

「かしこまりました。ホキのフライには白ワインがよく合いますが、ご一緒にいかがですか?」

「あ、じゃあワインも貰おうかな」

「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」


 イシスは慣れた様子で注文を受けると、丁寧にお辞儀した。

 頭を上げると、くるりと体を反転し、店主に向かって大声で告げる。


「店長ー! 注文入りましたー! サーモンとキノコのリゾット、ホキの香味フライ、ご一緒に白ワインです! どうぞー!」

「うるせえ! 聞こえてる!!」


 イシスが大声で復唱すると、マルクから咄嗟に怒号のようなツッコミが入る。

 それがあまりに絶妙な間だったので、その場はドッと笑いが起こった。


「ははは、威勢がいいな。姉ちゃん!」

「ありがとうございます! 褒められました、店長ー!」

「うるせえ! 口より手を動かせ!」

「かしこまりましたー!」


 「もう勝手にしろ」とばかりに、店主からお手伝いの許可を得たイシスは、気を良くしてテンポ良くホールの仕事をこなしていく。

 注文を受け、合間に皿を洗い、食事の終わったテーブルを拭いて外の客を呼び……あの格好でなぜそこまで動けるのか甚だ疑問だが、イシスは慣れた様子で1つ1つテキパキこなしていった。


 気付くと、店内は先程とは見違える程、回転率が上がり、さすがのマルクもイシスに感謝せざるを得なくなっていた。




 店内が空になったのは、お昼の営業時間から30分程過ぎた頃だった。


「…………さっきは助かった」


 「疲れたー」と言いながら店内の椅子にぐでんと手足を広げて座ったイシスに、マルクはばつが悪そうに声を掛ける。


「どういたしまして! どうぞー!」

「もういいっつーの!」

「「………………ぷっ、あはははは!」」


 マルクは、イシスと顔を見合わせて笑う。


「朝は悪かったな。話も聞かず、無下に帰して」

「いえいえ。こちらもお忙しい時にお邪魔しちゃって。お一人で大変ですよね」

「まぁな。でもこれからは1人でやってかなきゃいけないからな」


 マルクは懐かしむように、遠くを見つめて言う。


「アクアちゃんにお手伝いを頼んだらどうですか?」

「アクアはまだ小さいから無理だよ」

「え? でも今までもお手伝いしてたんですよね?」

「それはカンナに付き添ってただけだろ。客と喋ってただけで、手伝いって言っていいのかどうか。それに、客の中には酒飲んで変に絡んでくる奴もいる。俺は厨房に掛かり切りで、何かあってもアクアの事を守ってやれないからな」


 イシスが「アクアちゃんに会えなくて寂しくないですか?」と聞くと、「そんな当たり前の事、聞くなよ」とマルクは寂しそうな目を向けた。


 アクアがいなくなったと知って、あれだけ必死になって探した人だ。可愛い娘に会えなくて寂しくない訳がなかった。


「アクアちゃんもお父さんに会えなくて寂しがってますよ」


 イシスの言葉に、マルクは首を横に振る。


「あの子は母親にべったりだったから、今は母親を失って寂しいんだよ。あの子の事は両親が見ててくれるから大丈夫だ。母親の代わりにはならないだろうが、きっと時間が解決してくれる。俺はあの子のために、カンナとの思い出が詰まったこの店を守っていかなきゃいけない。だから俺の個人的な気持ちで、アクアに会ってる場合じゃないんだ」


 マルクはどこか自分に言い聞かせるようにそう語った。


「マルクさん。奥様の葬儀に反対してるのって、その事に関係してますか?」


 イシスが思い切って尋ねると、マルクは申し訳なさそうに答えた。


「ああ。あんたには悪いけど、葬儀をする気はない。何をしたってもうカンナは戻って来ない。アクアが前に進むためには、早く母親の事を忘れなきゃいけないんだ」


 「それに」とマルクは続ける。


「お客さんには、同情でこの店に通って欲しくない。カンナもそれは望んでないだろうからな」


 マルクは、葬儀をする事でアクアが母親の事をかえって忘れられなくなってしまう事を危惧していた。

 それだけではない。周りからも同情を買い、変に気を遣わせる事になるだろうと考えていたのだ。

 そして、それは本意ではないと。



 マルクはふと我に返って恥ずかしくなったのか、大袈裟に伸びをして話を切り上げる。


「んあーーあ。こんなにゆっくり休憩したのは久しぶりだ。ありがとな、あんたのおかげだよ。何かお礼をしたいが、俺には料理を振る舞うくらいしか」

「それは最高のお礼ですよ! 良かったら、お弁当にしてもらえませんか?」


 マルクは「お安い御用だ」と言って、厨房でささっと手際よく作ってくれた。

 マルクから出来たてのお弁当を受け取ると、「ありがとうございます。また来ますね!」とさり気なく次回の約束を取り付け、イシスはその場を後にした。


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