第7話 伝わる想い

 イシスの話を聞けば聞く程、2人は理解に苦しんだ。


「つまりこういう事ですか? お客さんはあの時カンナさんを助けられなかった事に責任を感じて、マルクさんのお店から足が遠のいていると」

「意味がわからない」


 2人は、彼らの行動に全く共感出来なかった。


「責任を感じるなら、なおさらあのお店に通い続けるべきじゃないですか。こんなのカンナさんへの裏切り行為ですよ」

「全くその通りだ。珍しく意見が合うな」


 普段水と油の2人が、珍しく融合する。

 それくらい彼らの行動は理解不能だった。


「ま、そういう訳だから、朝になったら私はマルクさんのとこに行って来るよ」

「は? 行ってどうするんですか? 今の話をしたら、火に油注ぐだけですよ」

「でもあの店が今どうなってるのかも気になるし」

「店長の空気読めない部分が、悪い方に働いている……」


 ルビーはもはや考えるのが嫌になって、頭に浮かんだ嫌な予感を強引に奥底に仕舞い込んだ。




 イシスは朝になると予告通りマルクの店に話を聞きに行ったが、1時間もしない内に帰って来た。

 どうやらルビーの予想通りマルクに「出てけ!!」と怒鳴られ、追い出されたようだ。


「だから言ったじゃないですか」

「うーん、なんでかなぁ」

「店長のその肝心な時に鈍感なところ、時々羨ましいです」

「ある意味平和だからな」


 2人が撃沈したイシスに追い討ちをかける。それでも落ち込む様子がないのは、日頃から磨き上げた鈍感力の賜物だ。


「じゃあ今度はアクアちゃんと話して来ようかな。さっきはお店にいなかったんだよね」

「やめなさい。いい加減この街出禁になりますよ」

「住民なのに……!!」




 まだ当分この街に住んでいたい。

 イシスが仕方なくアクアに会いに行くのを諦めると、突如アクアの方からイシスの前に現れた。


 チリンチリン


「こんにちは」


 葬儀屋の玄関からひょっこり少女が顔を出す。


「アクアちゃん!?」


 ルビーが驚いて少女の元に駆け寄る。ラピスは無言でイシスをジトリと睨みつけた。


「いやいや、私は何もしてないって!」


 イシスは必死に自身の疑いを晴らそうと両手を上げて訴える。


「おねえちゃんは かんけい ないの! アクアが かってに きた だけなの!」


 アクアの言葉を聞いて、ようやくラピスは疑いの目を緩めた。


「お父さんは、ここにいる事知ってー……?」


 ルビーの問いかけに、少女は静かに首を横に振る。


「だ、だよねー……」


 予想通りの返答に「はは……」と空笑いしか出来ない。

 それはそうだ。つい先程追い出した店主の所に大事な娘を行かせる筈がない。


「でも おじいちゃんとおばあちゃんには いってきた」


 どうやら母親が亡くなって以降、彼女は父方の祖父母の家に預けられていたようだ。

 「道理で」とイシスは少女が店にいなかった理由が腑に落ちた。


「おじいちゃんとおばあちゃんが あとで むかえに きてくれるの」


 ラピスもルビーも「それならいいか」と、イシスの方を見てコクリと頷く。

 イシスは2人から了承の合図を受け取ると、アクアをソファに座らせた。


「アクアちゃんは、今も変わらずお母さんの葬儀をしたいと思ってる?」


 イシスは話を進める前に、彼女の意思をもう一度確認する。

 アクアは迷わずコクリと頷いた。


「ずっと気になっていたんだけど、どうしてアクアちゃんは、お母さんの葬儀をしたいと思ったの?」


 ルビーはずっと抱いていた素朴な疑問を彼女にぶつける。


「いや、うちらが言うのも何なんだけどね、この世界で葬儀って馴染みのないものなのに、なんでなのかなぁって」


 「あ、答えにくかったら、答えなくてもいいんだけど」と付け加えるが、アクアに気にした様子はなかった。


「このまえ ミレおばさんの ソウギ してたでしょ? アクアもね みてたんだよ」


 彼女の言うミレおばさんとは、2ヶ月半前に亡くなった花屋のミレイユの事だ。


 彼女の事は、3人もよく覚えている。

 1年程前に大病を患い、顔から足の先まで全身げっそりと痩せ細った姿で亡くなった。


 彼女はカルセドニー大聖堂にも訪れ、イシスの診察を受けているが、イシスにもその病を治す事は出来なかった。

 魔法や呪い等の外的要因による病は治す事が出来るが、通常の病を魔法で治す事は出来ない。


 解決策にはなっていないが、イシスは出来る限りの治療をしたいと考え、魔力で彼女の体が持ち堪えられる限界まで、彼女の体力を向上させた。

 そのおかげで余命1ヶ月の命が半年以上も延び、夫婦で最後の時を思い残す事なく過ごす事が出来たと、彼女からの手紙には書かれてあった。

 そんな彼女からのたっての希望で、イシスはミレイユの葬儀をあげる事になった。


 イシスは「奥様史上最高の奥様にしてみせます」と言って、ミレイユの遺体にありったけの想いを込めてヒールをかけた。


 ヒールとは生きている人間を回復させるためにかける魔法であって、亡くなった人間にかけるような事は通常まずあり得ない。


 前代未聞のその行為に周りは響めいたが、イシスは気にも留めず、ミレイユとだけ向き合った。


 ミレイユの衰弱して変色した体はみるみる肉づき、肌艶を取り戻し、まるで生きているかのようにその体は復活を遂げた。


 イシスはミレイユに向かって「とっても綺麗よ」と何度も語りかけながら、彼女に化粧を施していった。

 ブラシで髪をとかし、眉を書き足し、ファンデーションを塗り、チークで頬を色付かせると、最後に唇に紅をさした。


 その様はまるで魔法をかけているかのようで、あまりに美しいその光景に誰もが言葉を失った。



「お待たせいたしました。皆様、ミレイユさんとの最後のお別れの時間です。悔いのないよう、ありったけの想いを伝えてください」


 イシスがそう告げると、1人1輪ずつ花を手に持ち、ミレイユの眠る棺の中にそっと並べていった。その花は、ミレイユが生前大好きだったスミレの花だった。


 穏やかでいつも優しかったミレイユは、沢山の人から愛されていた。

 皆静かに頬を伝う涙を拭いながら、ミレイユに「ありがとう」と繰り返した。


 最後に夫のダリーがスミレを持って彼女の傍に歩み寄ると、動かない筈の彼女の口元が微かに微笑んだように見えた。



 ダリーの頭の中に、ふと彼女との思い出が呼び起こされた。



 水仕事のせいか、彼女の手はいつも乾燥し、ひび割れをしていた。時折ひび割れたところから出血する事もあり、ダリーはいつもその手を痛々しく見つめていた。


 出会った頃の彼女は美しい手をしていた。私なんかと結婚しなければ、こんなに苦労する事はなかっただろうに……。


 そんなダリーの気持ちに気付いてか、彼女は少女のような可愛らしい笑顔で「この仕事は天職だわ。毎日お花に囲まれていられるなんて本当に幸せ」といつも話していた。


 ダリーはそんな健気に頑張る彼女のために、ハンドクリームを買ってあげた。これでせめて彼女の手を守ってやれたら。

 だが、普段プレゼントなんてした事もなかった彼は、タイミングや切り出し方がわからず、何度も引き出しから取り出しては戻すを繰り返していた。その内に彼女は病に伏せ、結局渡す事が出来なくなってしまった。


 彼女が病を患ってからは、彼女が寝静まった頃にこっそり彼女の手に塗ってやった。

 こんな事になるなら、あの時何が何でも渡せば良かった。そんな後悔を胸に抱きながら。

 ダリーは毎日欠かさず塗ったが、病の進行は思ったよりも早く、彼女の手の荒れは治らなかった。

 それでも彼は毎日愛おしむように、寝静まった彼女の手に優しく何度もクリームを塗ってあげた。



 今目の前で安らかに眠る彼女は、肌荒れ一つない出会った頃のような艶やかな美しい手をしていた。


 ダリーは彼女の手を取り、人目も憚らず泣き崩れた。


「ミレイユ…………すまない……っ……。私が至らなくて…………。本当にすまない……っ……。綺麗だよ…………本当に綺麗だ……ミレイユ…………」


 沢山のスミレの花に囲まれたミレイユは、とても幸せそうに微笑んだ。


(ありがとう。あなたのおかげでとっても幸せよ)


 その光景は、紛れもなく美しかった。



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