第6話 情報の対価

 イシスが帰ってきたのは外が暗闇に包まれてからの事だった。

 玄関ベルの音が、彼女の無事を告げる。


「ただいまー」


 用もなく店の中をウロウロしながら店主の帰りを待っていた2人は、いつもと変わらぬ様子のイシスを見てホッと胸を撫で下ろす。


 ラピスは安堵すると同時に、ぶつけようのない溜め込んだ不安を店主にぶつける。


「こんな遅くまでどこ行ってたんですか!! この辺りは夕方になったら人通りが少なくなるから、夜遅く出歩くなとあれほど!!」

「そんな私、子どもじゃないんだから」

「なんかアクアちゃんを心配するマルクさんみたいですね」

「俺はこんなでかい娘を持った覚えはない!!」


 一頻り胸につかえていたものを出し終えると、ラピスはスッキリした様子で元の涼しい顔に戻る。


「……で? 問題は解決したんですか?」


 ラピスの言葉に、イシスは目を丸くする。


「俺があなたの行動をわからないとでも? どうせ父親の説得材料でも探しに行ってたんでしょう?」

「ラピスって、私の事よくわかってるのね」

「"理解"はしていますが、"納得"はしていません」

「さっすがラピさん! 妻の考えている事は何でもお見通しなんですね!」

「お前は都合良い所だけ切り取るな!」



 イシスは「とりあえず遅い夕食にしない?」と提案すると、鞄から3つ分の容器を取り出した。


「何も食べてないでしょ? お弁当買って来たから一緒に食べよ」


 2人はイシスの言葉にハッとすると、揃ってお腹で返事した。




「これ美味しいですね。どこのですか?」


 口元にトマトソースをつけながら、ルビーは言う。


「マルクさんの向かいの店」


 ルビーは「グフッ」と口に含んだ鶏肉を喉に詰まらせる。

 ラピスが呆れ顔で自身の水を差し出すと、ルビーは奪い取るようにして受け取り、勢いよく飲み干した。


「ちょっと大丈夫?」

「……な、なんとか。それより今マルクさんの向かいの店って言いませんでした?」


 ルビーは学習しないのか、また次の一口を口いっぱいに放り込む。


「言ったよ」

「はふふはんほひへ」

「飲み込んでから話せ」


 ラピスに注意され、ルビーはごっくんと音を立てて一気に飲み込む。


「マルクさんのとこでは、お弁当に出来なかったんですか?」

「いや、出来ると思うよ」

「じゃあ、なんでそっちで買わなかったんですか?」


 ルビーの素朴な疑問に、イシスはあっけらかんと答える。


「この店、唐揚げ1個おまけしてくれるって言うから」


 ルビーは、「そんな唐揚げ1つで簡単に買収されるなんて……」と軽蔑の眼差しを向ける。


「店長、わかってます? ここ、私達の貴重なお客さん(仮)のライバル店ですよ?」

「そうだね」

「そんなっ……! わかった上であえて行くなんてっ……! 店長いつからそんな性格悪くなっちゃったんですか……! 店長は、顔とお人好しなところだけが取り柄だったのに……!!」

「さらっと悪口言ったな」


 ルビーは「まぁそれは冗談として」と気を取り直して続ける。


「店長は、マルクさんを説得しに行ったんじゃないんですか? なにちゃっかり寄り道しちゃってるんですか」

「寄り道というか、そもそもマルクさんの店には行ってないんだけど」

「なお悪いです」

「いやいや、あえてライバル店に行ったのには、ちゃんと理由があるんだってば」


 ルビーは疑いの目を向けるが、イシスは気付かないふりをする。


「少し外から様子を見てたんだけど、マルクさんの店を気まずそうに見た後に他の店に入って行く人達がいたんだよ。ちょっと気にならない?」

「なりますね。まぁ単純にカンナさんの事を聞いて同情してるだけなのかもしれないですけど」

「そういうのも含めてね、話を聞いてみようと思って、お客さんが入って行ったお店全部回ってみる事にしたんだよ」

「えっと……全部って、一体いくつ行ったんですか?」


 マルクの店の辺りは、この街で有名な飲食店激戦区だった。当然その場にある飲食店は、1店や2店ではない。


「うーん、ざっと6店舗かな」


 2人は顔を引き攣らせ、異質なものを見る目で見る。


「店長が飲食店に入ったって事は、当然お酒も飲んだって事ですよね?」

「当然! お酒がないと、情報も引き出せないからね!」


 イシスは自慢げにそう語るが、絶対ただお酒を飲みたかっただけだと2人にはわかる。

 イシスはお酒が大好きというだけでなく、どれだけ強いお酒を飲んでも酔わないという特異体質を持っている。

 以前3人で飲んだ時には、2人が酔い潰れて眠ってしまった後も1人黙々とお酒を楽しみ、2人が翌朝目を覚ました時もまだ平気な顔で飲み続けていた。


「まさかその全部の店でお酒を飲んだのではありませんよね?」

「飲んだよ!」

「……そのお金は一体どこから?」

「あ、そうそう。持ち合わせがなかったからね、葬儀屋に請求しといてってお願いしちゃった! 経費で落ちるよね?」


 ラピスは俯き、体を震わせる。ルビーは危険を察知し、両耳を塞いだ。


「葬儀屋に、んな経費あるかーーーーーーーーー!!!!」


 ラピスの声が深夜の店内に響き渡る。プライバシー保護のために、店全体に防音の結界を張っておいてよかったとイシスは思った。


 ラピスは叫び疲れて肩で息をする。


「あれ? ダメ? 接待費とかでいけるかなって思ったんだけど」

「店長って、意外とこういう時、肝が据わってますよね。普通こんな目が釣り上がったラピさんを前にしたら、ひたすら土下座ですよ」

「あ、そうなの? 今からでも間に合う?」

「ダメだ、ただの鈍感だった」


 ラピスは拍子抜けして、大きくため息をつく。どれだけ言っても、イシスには暖簾に腕押しだった。


「で? それだけのお金を使ったんですから、当然有益な情報は得たんでしょうね?」

「もちろん! 大いに元が取れる情報よ!」


 イシスは口角を上げると、2人に今日見聞きした話を話し始めた。


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