第13話 合わせ鏡の皇と魔王

 辰馬が壇上を下りて奥に下がったのとほぼ、時を同じくして。新羅辰馬快癒の霊薬をもとめて果たせなかったコタンヌのフミハウと李詠春、テルケのベヤーズ、蕭芙蓉の4人もウェルスの霊峰からクールマ・ガルパ、ラース・イラを経過してアカツキに帰国、祭りのさなかの京師を抜けて京城柱天に入る。彼女らはひそかに皇妃神楽坂瑞穂、磐座穣の二人を呼びつけて探索行の失敗を告げるつもりであったが、殿上に通され、その場に皇帝本人があったことに身をすくめる。


謝罪する4人。その顛末を聞くにつけ瑞穂は悄然、穣は憤然とした。ことに穣の怒りは激しく、のぞきを働いた子供たちを見つけ出して殺すとまで言い出した。しかしそれを辰馬が止める。


「まーそー怒んな、磐座。やむなしだ。もともとおれは長生きしたいと思わんし」

「しかし! 早死にしたいわけでもないでしょう!?」

「いやまー、そらそーだが。けどもうな、そろそろ終わりが近くなると、自然と諦めもつくんだわ。…それにアレだ、アムリタって女神起源の神薬だろーが。女神を殺したおれがその力使って長生きすんのもな」

 辰馬は言って、羽織った竜袍を鬱陶しげに脱ぎ捨てて平服になる。身を灼く熱と骨を軋ませる痛み、神経を裂き指一本動かすことも呼吸すらつらい苦しみは絶え間なく、すでに視界もなかばうつろな辰馬は、上着をまとっているだけで重い。祭儀用の竜袍ともなるとそれだけで数キロの重さがあり、今日のような礼祭とあると皇帝として着ないわけにいかないがそれだけで体力を奪われるのはいかんともしがたい。


「ご主人さま……」

「ん。だいじょーぶ。それで、えーとフミハウ、だっけ? そして詠春とベヤーズと、芙蓉」

 はかないほどに薄く細くなった身体を支えようとする瑞穂を制して、辰馬は一人、毅然として立つ。背筋を伸ばし、顎を引き、居住まいをただして4人の冒険者に向き直るその姿はなお帝王の風格、強すぎる力の内訌に苛まれてはいてもこの地上に唯一無二にして最凶の盈力の持ち主であることを証明する。


「4人とも、大儀。なれどわが身はもはや甘露を求めず。ゆえに、汝らへの神薬探索の任を解く。……これまで、あんがとさん」

 短く告げて、そのあとはまた怠そうにつらそうになってしまうが。ともあれフミハウたちは平伏して恥じ入った。


………………

…………

……

 彼女らを帰らせ、祭りの夜も更けた夜更。


 普段ならとっくに眠っている時間。皇帝は寝室に客を迎えた。


「よー」

「おー」

 銀髪緋顔の美貌はこの世に唯一無二のものであるはずだが、いまこの場においてはそれがごく自然とふたつ、両立する。夜着に毛布という姿の皇帝に対し、かつてよく身にまとった旅装・冒険装束の魔王、新羅辰馬。ふたりの皇は声もまた同じ、挙措すらも、寸分たがわぬ。似ているなどという表現が陳腐に思えるほどの同一。合わせ鏡の皇帝と魔王は互いの顔を無遠慮にジロジロとみつめて、そして同時にため息をつく。


「はぁ……。まーな、いー加減諦めてはいるんだよ。けど、客観的にこれ見せつけられると凹むなー、その顔……。女やんか」

「おれも同じこと思ったわ。なんでお前こんな顔してんの? 気持ち悪い」

「それはこっちのセリフなんやが……、ま、それはいーとして。なにしにきた? 別の世界線のおれ」

 皇帝・新羅辰馬はもううんざりしたと言わんばかりにもう一度、大きなため息をつき。そして相手の核心に触れる。異世界からやってきた、などという莫迦げた与太話としか思われない説明を受けるまでもなく、すべてを理解している顔で。


「誰から聞いた? いや、違うか……自在通の完全形か?」

 不完全とはいえ同一存在。魔王辰馬は一発で正鵠を射て見せる。辰馬はうなずいて、夜着の上から羽織った毛布をどかした。


「……正直、これ羽織ってるだけでも重くてつらいくらいのおれだが。それでもこれは絶対なんで言っとく。喧嘩売るのはやめとけ。おまえじゃおれに勝てんし」

「その身体でか?」

「あー。だって、おれにはおまえの100手、1000手先まで見えてるし。どんだけ身体が衰えてたってこれだけ読めりゃー負けねーわ」

「……………、しっ!」

 ならば、試す。そう言わんばかりに、一瞬の沈黙から瞬転。魔王辰馬は数歩の間合いを一息に詰めての右フック。


 攻撃の起こり、その一拍前に、すでに辰馬は魔王辰馬の背後に立つ。すでに衰え切った辰馬の肉体に魔王辰馬の攻撃を回避するだけの身体能力は残っていないが、その身をむしばむ力のごく一部を移動や運動能力に回すだけで十分。それだけでありとあらゆる攻撃を、辰馬は発生より前に潰せる。


「おまえがおれなら、これでわかるよな? 絶対に勝てないって」

「あー。……けど、おまえもおれならわかってるよな? 勝てないからって退くわけないって! 輪転聖王!」


 無詠唱での輪転聖王だが、実際に魔王辰馬が言えたのは「輪転(ルドラ…、)」まで。その先を言う前に突き倒され、正確無比の打撃投げで後頭部を強打、一瞬、意識を駆られて術の発動を止められる。すぐに意識を取り戻し、辰馬へと挑みかかっていくがすべては釈迦の掌の上、ありとあらゆる攻撃が、戦法が無為に終わる。


………

……


 皇帝・新羅辰馬にとって、異世界線の自分という相手はもはや敵ではない。身を焼く発熱と肉と骨と神経の痛みに苛まれるものの、盈力に加え女神イーリスの神力を継承し、さらに世界すべての霊的なる力を引き受けた身。さらにいまの辰馬は先日、没落貴族の子弟である不良少年に刺されて限りなく死に近い臨死体験を体験、肉体の損壊と引き換えに完成された自在通を手にしている。十全の肉体を持つ魔王辰馬では到達しえない境地であり、負けるはずがなかった。


 辰馬がその気なら、一撃で勝負は終わる。それをしないのは気が済むまで魔王辰馬を戦わせてやりたいという思いからだった。自在通の最終境地によって辰馬は見ようと思えば一瞥でひとの心を完全に見て取ることができるようになっており、元来保有する感受性・感応力とあわせて相手の心に自分を融け合わせる。魔王辰馬の感情は辰馬のそれであった。魔王辰馬の抱えるすべての事情を知って辰馬は皇妃たちを失う痛みを思い知り、それゆえに魔王辰馬を倒して終わらせる、という選択肢がとれない。


 何十回、打ち倒されてなお立ち上がる魔王辰馬。その姿を見て、心底から思う。「あー、これっておれだよなぁ……」と。それは字義通りの意味で別世界線の同一存在なのだから当然だが、勿論それだけの意味ではない。愛しいものを想い、焦がれ、一度はそれを手にして満たされ、そこから喪失の痛みと虚無に叩き落された男の姿は、辰馬が辿るかもしれなかった可能性の一つであり到底、関係ないと切り捨てることはできない。


 それからも何十回、何百回と、魔王辰馬はダウンした。そしてついに動けなくなる。あまりに隔絶した力の差に涙する彼に、辰馬は手を添える。


「この手の、奪ったり分け与えたりの術は苦手なんだが。かーさんとかアトロファみたいな専門じゃねーからな……まーいいや。持てるだけもってけ」

 辰馬は自分の力を、魔王辰馬に流し込む。あまりにあっさりとそう言えてしまう辰馬に、魔王辰馬は瞠目する。


「……! お前!?」

「気にすんな、慈悲心とかじゃねーし。おまえの嫁ってことはおれの嫁たちだ。嫁を助けるのに理由はいらん」

 そう言って微笑んだが、それは自己犠牲という生ぬるいものではない、破滅願望と言われても仕方ないほどのこと。現在の辰馬を灼く高熱と激痛は膨大過ぎる力が器の許容量を超えすぎているゆえだが、このアルティミシアの霊性のすべてを一身に引き受けている辰馬の身体はかぎりなく霊体に近い。ゆえに盈力を失ってはやはり維持できない。にもかかわらず、持てる力のすべてを魔王辰馬に与えてしまう。力を適度に分配して与えるということが苦手とはいえ、やってできないはずはないのに全部をくれてやるのは辰馬の優しさなのか、愚かしさか。


「お前…ばかたれが……!」

「うるせーわ、ばかたれ。その力、返そーとか考えんなよ。さっさと持って帰れ。みんなを救え」

「……おれがお前だったら……」

「あ?」

「おれがお前の立場だったら、同じことができたかな?」

「できただろ。同一存在なんだから。立場が逆だったらそーやって這い蹲って情けなく泣いてんのはおれの方だったわ」

「うるせー……ばかたれ……」

 魔王辰馬はのろのろと立ち上がると、辰馬に最敬礼してその場を去った。そして寝室にひとり残った辰馬は、ガクリと膝をつく。


「かはぁ! ぁぐ……! くそ、今度こそ、限界か……かろうじて身体を支えてた力、全部やったからな……」

 喉を掻いた。身を焼く灼熱は肌の外の空気が熱で陽炎を立てるほど、全身をさいなむ痛みは肉を擦り潰し骨を軋ませるほど。頭蓋の中で割れ鐘が鳴り、乾ききった瞳は激痛とともに裏返るような感覚が襲う。脳の神経一本一本に爪を立てて掻きむしられるような不快感に、からだ中の臓器がドロドロに溶けて取り返しようなく区別がつかなくなったような苦痛。息はかぎりなくか細く一呼吸するのが途方もなく奄奄であり、血液を循環させるのにも自然には任せず、自意識を解さねばならない。よって意識を手放すことも不可能。


 こうして。新羅辰馬は今度こそ、完全に力を失い。人として最低限の生命活動すら追いつかない身体となった。

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