第12話 祭典

 すべての世界線の自分を倒し、なにものにも脅かされることのない唯一絶対の覇者となる。朝比奈大輔に向けてそう言った魔王・新羅辰馬の本来の目的は確かに覇王を目指すことでもあるが、それ以上に失われた6皇妃を取り戻すこと。そのために、この世界の新羅辰馬を狙う。


女神イーリスを打倒した今、この世界線における霊的な力はことごとく辰馬に収束している。よって辰馬から力を奪うことは世界からすべての魔力を奪うことに等しい。この世界は神力魔力の干渉からの解放を選んだ世界線ゆえにそれらの力を必要としていない、むしろ要らなくなった魔力を一人で抱え込むことになった辰馬はその力に灼かれて苦悶にあえいでいるのだが、魔王辰馬にしてみれば辰馬がもてあましているその力こそ至宝に等しい。


(それくらいねーと、あいつらを生き返らせてやれねーからな……)

 目立ちすぎる美貌をマントのフードでくるんで隠し、フードの下で魔王辰馬は痛みを噛み締める。彼の世界線において辰馬は創世女神グロリア・ファル・イーリスの打倒には成功したがその代償として6皇妃を喪うこととなり、またイーリスの力を正統に継承することもできなかった。逆説的には皇妃たちの犠牲あればこそ力を奮い起し、女神を打ち倒すことを果たせたのだが、そのせいで辰馬は非情の羅刹の道を選び、魔王として君臨することになったのである。


 大切な皇妃たちをよみがえらせる。辰馬にとって彼女らの存在が大きぎるゆえに、必要な対価もまた莫大。事を成すためには世界を覆すほどの力が必要となる。それは女神を弑しはしたがこちらの世界線の辰馬のようにイーリスの力を継承したわけではない魔王辰馬の力では足りず、また、いま一人別の世界線から訪れた、女神に敗れてその走狗に成り下がった神徒辰馬から奪った力を足してもまだ足りない。6皇妃を蘇らすだけならこと足りるかもしれないが、彼が望むのは己が世界の全存在の救済であるがゆえに。


(だが、もうすぐ。ここのおれを倒せば……)

 喪って、もう届かないぬくもり。それを追い求めてここまできた孤独の皇帝は、フードの下で顎を引いた。


………

……


 太宰の町、二等市街区町人街区の目抜き通りは人波で黒山の賑わい。そこかしこに出店が並び、老若男女が繰り出す。人々が醸し出す明るく晴れやかな雰囲気は天下泰平の享楽を体現するようでもあり、祭り囃子と騒乱はいっそのこと五月蠅いほど。今日という日はトゥアハー海戦においてアルティミシアの精鋭が異大陸の勢力を打ち払って帰国した凱旋記念日であり、そしてまた、皇帝・新羅辰馬が世界を悪意的に支配してきた創世の竜女神・グロリア・ファル・イーリスを打倒したことを広く世界に交付して最初の休息日でもあった。世界から魔力が失われる道を選んだことについて、相談なしの独断で決を下した皇帝に批判的な言葉も多少は見られたが、人々の多くは運面を支配していた女神の力が取り払われたことを好意的に受け取る。


 設営された壇上で、先日、牢城雫とのデート以来約1月ぶりに民の前に姿をあらわした皇帝・新羅辰馬は、約20年前にさかのぼりヒノミヤ事変の端緒、創世女神の娘神であり現アカツキ本尊サティア・エル・ファリス打倒から弁を起こし、その後のヒノミヤ事変、異母姉である魔皇女クズノハとの邂逅、第二次魔神戦役とそこから派生した神軍との戦い、大陸大同盟後に現れて同盟を破壊、世界をふたたび戦乱の災禍に堕とそうとしたグロリア・ファル・イーリスに言及、ついに今年の春、それを撃ち果たして世界を悪意的支配から解放した経緯を語った。周囲には記者たちがつめかけているが言辞は記者たちに向けるのではなく、むしろこの太宰の民、ひいてはアルティミシアのすべての民草に向けて言の葉を紡ぐ。時折、もっと上手くできたはずのところをできなかった自分の不明不徳については謝罪を述べつつ、長いスピーチを終えた。


 スピーチを終えると皇帝へ、万雷の歓声が起こる。もちろんすべての民が好意的に解釈しているわけではなく、悪意的支配のもとではあっても安寧が保証されていた世界の方がよかったと憤慨するものもいる。壇上の辰馬からはそうした苦々しげな人の顔もよく見えはしたが、為政者が全員に受け入れられるなどと考えるのは不遜の極みであり、思想や言論を押し付けることはできないししてはいけない。そこは残念ながら自分の力不足と受け取る。


 そして、言辞に区切りがつくと、皇帝はもうひとりの主役を壇上に迎えた。


「どーもー。勝ってきましたっスよー、辰馬サン!」

「おー、ごくろー」

 壇上に上がるなり、シンタこと今回の武勲で大将に昇進した上杉慎太郎将軍は皇帝・新羅辰馬と気安くハイタッチ、詰めかける記者たちに向けて皓歯を向けた。かつてはチンピラ士官だとか新羅将校の腰巾着だとか言われていいところのなかったシンタだが、いまとなっては新羅将校が皇帝、シンタ自身も大将であり、異大陸との本格的初交戦において大勝利の立役者となった元勲である。誰も彼に後ろ指を指すものはない。なにしろ、トゥアハー海戦において、海軍元帥に超擢された梁田篤や将軍・長船言継の働きも大きかったが、やはり最大殊勲者はシンタ。それはもう、老人たちにとっては誇らしい倅のようであり、若者にとっては誇るべき同胞、子供たちにとっては憧れの対象であった。


「ま、オレにかかりゃーね、あの程度の連中は? 朝飯前っつーか?」

 皇帝陛下と肩を抱き合い、およそ将軍のスピーチとは思えない砕けた口調。その気安さが皇帝陛下ともども民にとっては好印象。若く美しい皇帝のご学友でもある凱旋将軍には、子供たちのあこがれの視線だけではなく淑女たちの熱い視線も集まる。昔のシンタならここで調子に乗って失敗するわけだが、今の彼は自制というものを身に着けている。むしろ、はしゃいで見せる皇帝を心配する気遣いを見せた。


「つか、辰馬サン大丈夫なんスか?」

「あー……気にすんな。今日一日くらい保たせるし。今日はおまえが主役なんだから遠慮しねーでいいんだって」

「え、あ、そーっスか? んじゃ、ケツ触らして……」

「やかましーわボケ殺すぞ。つーかお前、林崎はどーした?」

「あぁ、あとで会いに行きますよ、モチロン。……オレ、戦勝のヒーローになって彼女もできて、大丈夫ですかね、これ? 幸せすぎて死なねーかな?」

「なんで臆病になってんだよ。へーきだろ。おまえくらいの幸せで死ぬんだったら、おれこそ幸せすぎて100回は死なねーとならん」

「そーっスねぇ。辰馬サン6人も嫁さん貰ってるし」

「そーいうこった。世間で幸せになることに怯えてるやつがいるんだったら、お前おれほど幸せやなかろーと言ってやりたい」

 辰馬は背後に控える皇妃たちを見遣って、臆面もなく言い放つ。皇妃たちは皇帝の大胆な発言に一瞬、驚いたように目と口を開き、ついで自慢の夫に負けないように幸せそうな顔で微笑んだ。瑞穂は控えめに、雫は元気に、エーリカは華やかに、穣は淑然と、文は怜悧に、美咲は楚々として。


「お、惚気るっすね、辰馬サン?」

「そらもう。こんだけの果報をもらって、不満とか言えねーからな」

 1か月間、民の前に姿を現すことのなかった皇帝の、思いのほか元気な姿に観衆や記者たちは喜びの歓声を上げ、記者は皇帝の玉言をメモに書き留める。観衆の中からは「勝利、平和、万歳!」という歓呼の声が鳴り響いた。


………

……


「(お幸せだな、新羅辰馬。……つーても、ありゃあおれの辿ったかもしれない可能性の一つか……)」

 魔王辰馬は凱旋パレードの会場に紛れた。一度は手にした幸せを失った身としては、この世界の辰馬の幸せボケっぷりが苛立たしくてしかたがない。とはいえひとつ気づいたこともある。ここで辰馬を殺して皇妃たちを蘇らせたとして、それはこの世界線の皇妃たちに自分の味わった悲哀と絶望を味合わせることにほかならない。魔王辰馬にとってこの世界の皇妃たちの姿は彼の世界の皇妃たちと同一ではありながら同一ではなく、彼女らをもって代替にするという考えは一切、怒ることがなかったが、やはり彼女らに哀しみを味合わせることは忍びない。


(それでも、だ……)

 それでも。辰馬を殺すという、魔王辰馬の決意は揺るがない。それだけ彼が自分の世界に向ける愛情は強い。


(いま、このパレードのどさくさで殺すのは簡単だが。まあ、あいつらの前で殺すのはあんまりだからな……、一人のところを狙う。邪魔されたくもねーし)

 魔王辰馬は口の中に呟くと、皇城柱天に足を向ける。そして門衛の前でフードを外すと、偽物と疑うことなど絶対不可能な、模倣不能の美貌をもってして堂々と正面から城内に入った。

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