第11話 隴を得てまた蜀を望むや

 朝比奈大輔は順撫使として帝国内の巡察隊を指揮していた。


 兵数は200。ウラーのフォモル族相手の海軍6万を出し、大陸全土に大輔と同じような順撫使を派遣する以上、これ以上の兵力を一か所には与えられない。対するに反帝国勢力やはぐれの魔物たちは数千から数万におよぶこともあり、大輔たちが特に選抜された精鋭であるとはいえ事態が簡単に済むことは少ない。


 それでも元帥・朝比奈大輔の戦闘力は出色であり、旧エッダからヘスティア、桃華帝国を経由して帝都に帰らんとする途上を危なげなく進んでいた。


 その日も軽く騒動を片付け、駅亭所の宿で大輔は妻・長尾早雪への手紙を書いていた。結婚前から今日にいたるまで、大輔が早雪への手紙を書くという日課を欠かしたことはない。多忙であったり、旅先で投函できないことはあっても、筆を止めることはなかった。朝比奈大輔と長尾沙雪の間の愛情というものはおそらく歴史上、新羅辰馬と6皇妃のロマンスのように顕揚されることはないだろうが、その紐帯の強さで劣るものではない。


「…ふう、今日はすこし書きすぎたか。これでは早雪さんを疲れさせてしまうな…」

 若き元帥は書きあげた手紙を見直して、冗長になりすぎた部分を削ぎ落す作業に入る。時間は深夜1時過ぎ。多忙の中、公務としての行軍日誌とは別の手紙執筆という作業はたしかに疲れるが、愛するひとのためとなればどうということもない。


 その後、大輔は日課である筋トレをこなして寝台に入るが、やけに目が冴えて眠れない。妙に不穏な予感を感じ、それが高まるに及んで起き上がった。


「…なんだ? この感じ…」

 夜衣を平服に着替え、駅亭を出る。


 しばらく歩く。


 薄暗がりの中、争うふたつの影法師が見えた。


 目を凝らした。大輔の視力は1.5。上杉慎太郎のように超人的な視力ではないが、この距離、この薄闇の中で十分に相手を識別する程度には足る。


 ふたりの双剣使いによる、凄絶を極める戦いだった。突き、薙ぎ、切り付け、払い、互いの隙をうかがってフェイントを仕掛け合い、打ち込み、離れて蹴足を繰り出し、懐に飛び込んでは肘、靠。


 どこか見覚えのある戦闘スタイルの、やや小柄な銀髪の青年ふたり。互角と見えた二人の激突はしかし、二人がその全力を解放したときに明確な差を生じさせる。漆黒の闇の羽根を生じさせた青年の力はあまりにも絶大に大きく、きらめく光の羽根を生じさせた青年の力も強大ではあるが敵手の力には遠く及ばないのが、傍目の大輔にもわかる。


デーヴァにしてまたアスラの王、大暗黒マハーカーラの主なる、破壊神にして自在天! 汝、燃える男根より生まれし者! 世界を遍く照らす三眼! 偉大なるマハーデーヴァにして悪鬼のブーテーシュヴァラ! 破壊者ハリにして創造者ハラ! 1000の名を持つ王、その霊威を示せ!!」


 魔訟に大輔の背筋が震える。この詠唱を使う人間はこの世にただひとり、友にして皇帝たる新羅辰馬をおいてほかにないはず。辰馬は京師太宰の柱天城、その寝所で長時間立っていることも難しいような肉体に衰えているはずであり、ここが京師からほど近い桃華帝国南方の駅亭町であるとはいえやってこれるはずがない。


 しかし、次の瞬間発せられた力ある言葉は。


「嵐とともに来たれ、輪転聖王!」

 肉薄と同時に片手で相手の腕を引き込み、崩しと固めを同時にかけて反対側の掌で敵の胸板を叩く。次の瞬間、漆黒の光の柱が光翼の青年を飲み込んだ!


「——ッ!!」

 黒光の柱が立ち上ったのはわずかに数瞬。しかし光翼の青年は一撃で戦闘力を根こそぎ奪われ、地に堕ちる。


 大輔は二人の姿を克明に記憶すべく目を凝らし。


 そこにある貌は。


「新羅、さん?」

 まぎれもない皇帝・新羅辰馬の姿が、そこにはあった。


「…よお、大輔」

 倒れた光翼の新羅辰馬を踏みつけにして、黒翼の新羅辰馬が獰猛かつ酷薄な視線を、大輔に向ける。その瞳に一瞥された瞬間、ひとが動物である以上絶対的に存在する畏怖と恐怖心が大輔の心懐を満たした。ましてや相手は新羅辰馬、大輔に歯向かうという選択肢は最初からない。


「し、新羅、さん?」

「あー。最近おれのニセモン出回ってんのな。迷惑するわ」

 やや伝法でガラの悪い、新羅辰馬そのものの語り口。まぎれもなく愛すべき皇帝であり、そしてあまりにもよく似ているからこそ、大輔は違和感に気づいた。恐怖を払い、身構える。


「誰だ……? わが皇帝を欺くことは未曽有の大罪、許しがたい!」

「んぁ? いや、おれ新羅辰馬だけど」

 あごを掻きながら、ついでにシャツの下のおなかを掻いて見せる偽辰馬。その態度もしぐさもきわめて新羅辰馬そのものだが、やはり大輔には違和感しかない。新羅さんはこんなに邪悪な気を纏わない!


「謀るなよ、偽物」

「いやホントだって。ほら、こいつも新羅辰馬だし…」

 といって、光翼の新羅辰馬を蹴り飛ばす。蹴られた辰馬はほとんど力が残っていないようで、小さくくぐもった呻きをもらすしかできない。大輔としては辰馬の顔で敗者に鞭打つ真似をされることが許しがたく、辰馬の顔を足蹴にされることも許しがたく、なにより辰馬の顔で邪悪に嗤うのが許しがたい。慎重になるべしという自戒より奔騰する怒りが勝り、偽辰馬に躍りかかる。


「おおぁ!」

 大きく弓を引くように、腕を引き絞り、一気に打ち放つ。辰馬や牢城雫のような技巧に富んだテクニックはないが、一撃の威力では決して劣らない正拳のオーバーハンドブロウ。轟拳の威力は擦過で空気を燃やす威力を発するが、偽辰馬は軽く上体をそらしただけで強烈無比の一撃をかわしてのけると同時、掌底の一撃をぶち当てる。


「がふぁ……っ!?」

掌底の一撃にカウンターで自分の一撃の威力を上乗され、大輔は二回三回ときりもみ回転して砂上を転がる。自身の一撃を完璧に逆用された形で、大輔は一発にして瀕死のダメージを負わされた。


 が、立つ。


 フラ付きながらも瞳は戦意に燃やし、ファイティングポーズをとって偽辰馬をにらみつける。


「やめとけって。おまえとやり合うつもりねーし」

「うるせえ。話し合いたきゃそのツラをやめろ! 新羅さんへの冒涜は決して許さん!」

「いや、この顔自前だし。ニセモンとかじゃねーって。ま、この世界線の新羅辰馬から見たら偽物か…」

「この、世界線……?」


……

………


 かつて10年以上前。

 朝比奈大輔は出水秀規と語り合っていた。


「異世界転生?」

「俺ちゅえー、と並んで最近ちょっと流行りでゴザルな。異世界から召喚されたバカ強い主人公が無双する、拙者から見たらまったく魅力を感じんジャンルでゴザルが」

「ふーん…」

「が、まあ異世界が存在するという考え方はアリかもしれんでゴザル。まあ、拙者が考えるのは別世界というよりは、役者は同じで役どころが違う…並列世界の概念かもしれんでゴザルが」

「並列世界……、おれが新羅さんに出会えてなかったり、早雪さんと結婚できなかった世界があるってことか」

「そういうことでゴザル。拙者がモテモテウハウハの世界も、アリかもしれんでゴザルなぁ…」

「あははー、ヒデちゃんアタシだけじゃ足りないのかなぁー?」

「ひ、ヒィッ!? シエルたんこれは浮気ではないのでゴザル、ヒイイイーッ!?」


………

……


「別世界線の、新羅さん……?」

「そーいうこった。アレだな。完全に魔王化した世界線の新羅辰馬がおれ。で、こいつは女神に膝を屈して神徒に成り下がった新羅辰馬」

 偽辰馬…魔王辰馬はそう言って、神徒辰馬を蹴り飛ばす。完全魔王化。なるほど邪悪な気配はそういうことか。


「それで? その魔王新羅さんが、この世界になんの用だ?」

「まあ。死んでもらうかなって。せっかく自分の世界以外にも世界があることに気づいたんだ、すべての自分を殺し、おれが唯一絶対の新羅辰馬になる。……まーあれだな、我ながら欲深で困るが、人は足ることを知らずして苦しむ。すでに隴を得てまた蜀を望むや、頭髪ために白し……ってわけでな」

「………………」

「こいつも似たよーな考えでこっちに来たらしーが、所詮女神の犬っコロがおれに敵うはずもねぇ。で、この世界の甘ちゃんなおれもぶちのめしておれが三界の覇者になる」

「………………」

「お前らを殺すつもりはねーから、安心してくれ。おれに忠誠を誓うなら今まで通りに…」

「黙れよ」

「ん?」

「黙れや、ゴミクソ。新羅さんの顔でつまんねぇー実のねえ口を、いつまでも囀るんじゃねーや」

「どーしたよ、大輔。口調がむかしのお前に戻ってんぞ?」

「うるせぇ、テメェはこの場でぶちのめす! かかってこいやニセモンが!」

「……大輔、おまえおれに勝てるつもりじゃねーだろ?」

「新羅さんならそんなこと言わねーよ。そんな決めつけたようなこと言うテメーは新羅さんとは違う!」


 シュ!


 短くコンパクトに、体幹を使って小さな動きに威力を乗せての短打。油断しきっていた魔王辰馬の脇腹に、ショートフックが炸裂する!


「……っ」

「新羅さんに回すまでもねぇ。お前のちっぽけな野心はここで終わらせる!」

「なるほど……確かに油断してたわ。まがりなりにもクソ女神を倒した勇者の一人、だよなぁ」

 ペッと唾を吐き、魔王辰馬は呟いた。闇の翼は大輔を敵手と認めてより昏くより強く輝きを増す。


「本気出すわ、殺しても恨むなよ」

「安心しろ、死なねーよ。そっちが死ぬかもしんねーけどな!」


 元帥・朝比奈大輔と皇帝・新羅辰馬の戦いが始まった。先んじるのは魔王辰馬、右フック、大輔が腕を上げてガード。それを上から叩き落とすように崩して、空いた側面に肘撃ち。大輔は速力や先読みでは辰馬に追いつけないが、これまで数え切れないだけ見てきた辰馬の戦いぶり、その記憶から魔王辰馬の動きを予測、ガードを潰して肘撃ちを狙ってくることを読んで右拳を辰馬の肘にぶち当てる。


「っ!?」

「ラァ!」

 反撃に転ずる大輔。肘に一撃を喰らった衝撃に硬直する辰馬、そのわずかな間隙に膝蹴り、その蹴り足をスイッチさせて上段回し蹴り、さらに撃ち抜いた足を跳ね上げて後ろ回し!


「この……ちょーしに……」

「乗ってねぇよ!」

 大輔は最初から本気であり、必死だった。辰馬が言った通り、実力勝負では相手にもならない。いま優位に立っているのはいうなればチャンピオンバウトのVTRを死ぬほど見直して研究した結果であり、チャンピオンが対策してくればすぐに覆される。その、対策されるまでの短い時間で勝負を決められるかどうか、そこが大輔の勝機だった。


「フッ、シ、ハッ!」

 打ち込む、打ち込む、打ち込む! しかし辰馬のガードが堅牢、崩せない。辰馬のディフェンスは徐々に正確になっていき、やがて大輔の機先を制して出す先から攻撃を潰してくる。


「く…」

「よくやった、大輔。正直舐めてたわ」

 カウンターの掌底が、大輔を吹っ飛ばす。またきりもみを打って地面をバウンドする大輔だが、それでもなお立つ。すかさずまた挑みかかる。


「……………」

 上段ストレート。辰馬が体を沈める。掃腿。


 足を払って、辰馬がもう一回転、下段の後ろ回し蹴りから、強烈に蹴り上げ。浮かされた大輔を追って辰馬も跳躍し、飛び回し蹴り、後ろ回し蹴り、かかと落とし! さらにかかとで地に叩きつけながら、辰馬は双剣を抜く。


デーヴァにしてまたアスラの王、大暗黒マハーカーラの主なる、破壊神にして自在天! 汝、燃える男根より生まれし者! 世界を遍く照らす三眼! 偉大なるマハーデーヴァにして悪鬼のブーテーシュヴァラ! 破壊者ハリにして創造者ハラ! 1000の名を持つ王、その霊威を示せ!!」


 空中で詠唱、地に堕とすと同時に上乗せで双剣を振りぬく。


「嵐とともに来たれ、輪転聖王!」


 砂塵が吹き上がる。超威力の黒き衝撃波はまともに大輔を飲み込み……そして帝国元帥は動けなくなった。


「‥……、まさか大輔がここまでやるとは…、一瞬遅れてたらやられてたな……」

 魔王辰馬は言って、片膝をつく。最後の交錯の寸前、大輔が打ち込んだ拳の一撃は辰馬の脇腹を深く抉り大ダメージを与えていた。


「けど、悪いな、大輔。やっぱおれの勝ちだわ」

 辰馬はそう言って、大輔を擲ち歩を進める。目指すは帝都太宰、狙うは皇帝・新羅辰馬の首。


 翌日。朝比奈大輔は部隊員たちに発見され、医師に診せられた結果命に別状はなしと診断されたが、当面動くことはできず。


 そのころ、皇帝・新羅辰馬のもとには上杉慎太郎たちトゥアハーの海戦での英雄が帰国、凱旋パレードの準備が始まり、太宰の町は戦勝ムードとお祭り気分で浮き立った気分に包まれていた。異世界からの刺客、魔王・新羅辰馬はこの騒動に乗じて京城をうかがう。

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