第10話 失誤
「たぁくん…っ!」
「っく…」
雫が駆け寄るも、狭いがごちゃごちゃしたコンテナの中、移動は阻害されて半歩遅い。新羅辰馬の脇腹から白刃が突き抜け、鮮血が滴った。
「この…っ!」
雫の頭が沸騰する。本気の一撃で少年を殴打、弾き飛ばし、辰馬に駆け寄る。辰馬はしりもちをついて倒れはしたが意識を失うこともなく、存外元気な様子で傷口を見つめていた。
「たぁくん? たぁくんたぁくん!?」
「だいじょーぶ。咄嗟で急所は外した…けど、怠いな。帰って寝るか…」
やおら立ち上がり、はふぅ、と息をつく。物憂げに静謐な表情の下で、左わき腹からはだくだくと鮮血が滴り落ちているのがやたらアンバランス。雫は辰馬のシャツをめくり上げると傷口を確かめ、確かに臓器はうまく外していることに安心するものの失血の多さに青くなる。自分のシャツの胴部を裂いて応急の包帯にし、辰馬に肩を貸して京城柱天に帰る。皇妃の強権を発動して皇帝弑逆を企てるような貴族殲滅をやってしまいたく思ったが、それをやると独裁の圧政者になる。権力に触れたくない雫はそう考えて諦めた。
「ご主人さま、また無理して…」
「う…すまん」
「すまんすまんっていって結局また無理するんですから! いくらわたしでも怒りますよ!?」
「いや、だってばーさんが叫んだからさ…」
めったに声を荒げることのない瑞穂の剣幕に、辰馬は恐縮しきり。瑞穂はふだん一番おとなしいが、辰馬の一大事とあればその芯の強さを発揮する。憤然たる瑞穂の怒りが正当なものであるから、辰馬としてはいっさいの反抗ができず縮こまるしかない。
「だから、あそこでたぁくんが駆けだす必要なかったんだよー。なんでこの子はいつも先走るかな…?」
「バカだからでしょう? 新羅の行動原理なんてこの一言で片が付きます」
雫があきれ口調で言うのに、穣が突き放した調子で応じる。穣の態度に雫はおやっという顔になり、ついで少しいじわるなやはは笑いを浮かべた。
「みのりん手厳しーね。さっきまですっごい心配してたけど?」
「…わたしは意志の心得あるものとして真剣に傷を見ていただけです」
「ホントーかなぁ? しょーじきになりんさい、ん?」
「なんですか、牢城先生!? いちばん動揺してたのはあなたでしょう!」
「うん。でも、とりあえずこの怪我でどーこうってことはないってゆーから」
「まあ、直接命にかかわる傷ではありません。本当に巧妙に内臓を避けていましたから」
「傷はひとまず大丈夫…ですが、この熱病をどうにかしないと」
「どーにもならんと思うぜ、これ…創世の魔王としてのおれにとってイーリスは半身みたいなもんで、自ら身体の半分を切り捨てた代償がこの熱病なんだから」
「それでも、病状を安定させることはできるかもしれません。神域の霊峰にあるという、命の秘薬【アムリタ】があれば…」
「今、フミちゃんたちが向かってくれていますが…」
「瑞穂、あの歌姫さんと仲いーよな」
「あの子とはなぜか妙に気が合うんです。同い年ですし、学生時代に出会うことがあったら親友になっていたかも」
「あー、そういう可能性もあったかもしれんな」
などと、辰馬の病状はいったん棚上げして和気藹々と語り合っていると、
「…皆様、お気を付けを。エーリカ皇妃です」
それまで部屋の隅で黙っていた晦日美咲が、警告の声を発する。カッカッカッカッカ、とヒールを鳴らして奪取する足音が近づき、そして部屋の扉を開く。
「たつまーっ!? 刺されたって誰に? 死刑よ、そいつは九族誅滅!」
エキセントリックに叫んで飛び込んでくる金髪。エーリカは辰馬に抱き着きながら大事な夫を刺したばかたれに呪詛の言葉を吐くが、それ以前にのしかかられた辰馬の腹部が圧迫されて辰馬の顔色が土気色になる。
「ちょ…エーリカ…退けって」
「エーリカちゃん、あぶない、危ないから!」
「エーリカさま、ご主人さまが死んじゃいます!」
「エーリカ、新羅を殺す気ですか?」
「エーリカ王女、早急に辰馬様から退いてください。さもないと斬ります」
「な、なによアンタら…集中砲火…」
「傷口触ってるからねー、エーリカちゃん。そこちょっと退いて?」
「ぁ、あぁ…ゴメン…」
「みんな、エーリカさんをあまりイジメないであげてね。彼女も新羅くんを案じるあまりのことなのだから」
「どうだか。この機に新羅を殺してしまおうというつもりでは?」
つづいて入ってきた文の言葉に、穣が辛らつな言葉を返す。神楽坂派の軍師を自認する穣にとって、エーリカ派は敵。瑞穂の許可さえあればその頭脳の粋を傾けてエーリカを破滅させるところであるのに、瑞穂はゴーサインを出さないどころか穣の行動を抑止してくる。このあたりの軋轢でここのところ、穣はストレスフルになっていた。
「あんまり責めてやんな、磐座…。エーリカだけ仲間外れ、ってわけにもいかんだろ」
「………………」
辰馬に言われて穣は舌鋒を引っ込めるが、強い瞳で睨まれてエーリカともあろうものがたじろぐ。エーリカは穣の頭脳に対してコンプレックスを持っており、それゆえにこそ過去何度も穣を自らの軍師に迎えようとしたのだが、それが敵対の旗幟を鮮明にすると苦手意識、弱点意識はきわめて大きい。穣と同等の頭脳を持つ瑞穂に対してはそういう苦手意識は感じずに敵対意識、対抗意識を燃やすのだから、難しいものだ。
「つーか、お前ら仲良くしろよな。昔はもっと親密感あっただろーに、なんでこうギスギスするよーになったんだか…」
「すべてはエーリカの所為です」
「あ、アタシは帝国の存続のために…!」
「だから互いに敵愾心燃やすなって。んー…おれが元気なら全員ベッドで可愛がるんだが」
「無茶言わないでください、ご主人さま! そういうことはお身体が回復してから…」
「まったくです。だいたい、褥を共にしたからってわたしたちが大人しくなると思わないでください、新羅」
「大概大人しくなると思うが…まあ、確かに今は無理だよなぁ…。せめてみんなこっちに顔寄せろ、キスしてハグしとく」
辰馬がそういって両手を広げると、6人の皇妃はややおずおずとしながらも素直に顔を寄せた。辰馬は一人一人の頭を胸に抱き抱え、一人ずつ額にキスする。ほのかに盈力を込めたくちづけは皇妃たちの心に一時的な安寧をもたらしたが、やはり心に根付いた互いの敵意を融かすにはいたらない。
「さて、そんじゃあしばらく寝るか…」
「では、わたしたちは…」
………………
…………
……
「これで、皇帝の…病気、治るかな?」
「たぶんね。フミちゃんのお手柄だったわ」
「あれだけ雄弁に語れるフミちゃんはさすがね。わたしも同じ境遇だけれど、わたしではイシュハラの心を揺るがせたとは思えないわ」
「そうですね、フミハウはさすがです」
アムリタを得て霊峰からの帰路、フミハウ、李詠春、ベヤーズ、蕭芙蓉は疲れ汚れた身体を持て余していた。
「さすがに汚れたわね。お風呂か、湖でもあればいいのだけど…」
「アリムタの運搬が最優先…。お風呂はあと」
「フミハウ、そう言わなくてもいいのでは? すでに旅の目的は半ば以上達成したのですから」
「……………」
楽天的な3人とは裏腹に、フミハウの心にはなにかよくない予感が去来していた。なにがどうよくないとは確言できないが、とにかく急がなければ悪いことが起きる、これは確信に近く、フミハウはこれまで自分の予感に従って失敗したことがない。
「湖、あるじゃない」
霊峰を下りて人里近く、開けた湖畔の平野に出て、詠春が嬉しそうに言う。詠春の鶴の一声で休養と水浴びに決し、彼女らは服を脱いで湖に身を浸す。フミハウだけが着替えず湖の縁にアムリタの壺を抱えて腰かけたが、仲間三人たちに再三招かれ、やむなく脱衣して壺を置き、水の中に入る。一度入ってしまうと解放感にかられてフミハウも壺のことを失念してしまい、水浴びに興じる中、ガサリと物音が響く。
それは近所の住人らしき少年の足音だった。彼らは見目麗しい大人の女性、その裸身をじっくり見ようとして潜んで覗き込み、このとき委員長気質の芙蓉が彼らを一喝したことが帝国の運命を決める。
「あなたたち、なにをしていますか!」
「芙蓉、刺激したら駄目!」
フミハウが制止するが、もう遅い。少年たちは泡を喰って逃げ出し、そしてどたばた逃げるその足の一本がアムリタの壺に引っ掛かり、アムリタをこぼしてしまう。
「あぁ…!?」
「ま、まあ、ここは霊峰からそう離れていないし。もう一度イシュハラを訪ねれば…」
絶望の表情を浮かべ、フラッとするフミハウを抱きかかえて詠春が言う。彼女らは湖を上がってすぐさま霊峰を再登山するが、出迎えたイシュハラは残念ともいい気味ともいわず、ただ静かにかぶりを振った。
「あれは女神さまの力がまだ及んでいたからこそ錬成可能だった最後の一滴、もう同じものは二度と作れません」
ここにきて芙蓉は自分の不用意な一声が帝国の行く末に齎した暗雲に気づいたが、もはやどうしようもない。明芳館の4人は重い足取りで、京師太宰へと報告に向かった…。
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