第9話 托孤

「おっと…、うーん、なかなかうまく歩けねーな…」

「たぁくんホントにだいじょーぶ? やっぱりお休みしてたほーが…」

「いや、たまにゃー外に出んとな。気がふさいで余計に悪くなる」

 というわけで、皇帝・新羅辰馬と皇妃・牢城雫は京城柱天を出た。辰馬は皇帝の象徴たる黄袍や玉帯を外してのおしのびモード、雫も貴妃としての華美な装いは外しているが、なにしろこの二人、やたらと美男美女であって目立つ。銀髪緋眼の皇帝はもともとどえらい美形だったが10年ぶりに京師に帰還するとその身に抱えた病のせいで頬は上気し瞳はうっすらと潤み、全体に病人特有で気怠げな、色っぽく臈長けた雰囲気を纏う。天下万民誰がどう見ても超級の美貌であった。雫の方も43才という実年齢申告が誰からも信じられない童顔、いまだレオタードにジャケットとショートパンツという昔のままのスタイルを通しているがその肌のみずみずしさ、若々しさは10代の少女のころから変わらず、加えて今の年齢でしか出せない色気のようなものもまとう。というようなわけで辰馬も雫も素でやたらと目立ち、そして世界を女神の支配から解き放った皇帝とその6皇妃のひとり、という立ち位置から太宰の町を歩けばそれはもう人が騒ぎどよめく。


「きゃー! 陛下! 陛下―! 皇帝陛下よ!」

 たちまち囲まれる、辰馬と雫。二十歳そこそこの少女は新羅辰馬の長い叙事詩のすべてを知っているわけでもないだろうが、若く美しい皇帝というそれだけで物語になる辰馬の存在に酔ってしまっており、それだけなら構わないがなれなれしく寄ってきてぺたぺた触ってくる。今の辰馬はそれだけの些細な力に抵抗するだけの力もなく倒れかけ、雫がそれを支えた。


「あ、あれ? わたし、やりすぎちゃいました?」

「いやいや、だいじょーぶ。いつもこの国を支えてくれてあんがとさんな」

「うきゃーっ♡ 陛下からお褒めの言葉がいただけるなんてぇーッ♡ へ、へいかぁ…、わたし…」

 やりすぎを案じる少女に、辰馬は優しく声をかける。美形の英雄皇帝に優しくされて、少女はたちまちコロッといった。モジモジしだすのを見て、傍らの雫がやれやれと息をつく。といってなんとなく昔の自分を見ているような気もして、強引に止めさせるのもなんかなと。


「さて…、今ちょっと苦しいから、また今度な…。ほかの皆も…」

「ご病気なんですよね、ご快癒お祈りしてます!」

「「「陛下の御身から、病魔が駆逐されますよう!」」」

「はい。あんがとさん」

 大勢の民に見送られ、雫とともにデートに戻る辰馬。かつて地上に存在した皇帝の中で、これほど民衆に近く、民衆に愛された人物は他にいないだろう。馴れ馴れしくされてしまうのはどうしたものかというところでもあるが、それもまた魅力の一つ。


「みんな熱烈だよねー。ま、たぁくん英雄だし、とーぜんだけど…」

「英雄ねぇ…、おれはおれの我が儘を通したかっただけなんだが」

「神魔に人が翻弄されることのない世の中?」

「最初はもっと平和的に、神も魔も人も平等に生きられる世界が理想だったんだけどな…、途中でそれは無理だと思ったから」

「うん…。それでたぁくんが自分を責めることはないよ? 魔族も神族も、自分たちの本来の世界に帰ったんだし」

「まぁ、そーか。…ペクドナルドでメシ食うか?」

「たぁくん、ハンバーガーとか食べてだいじょーぶなの?」


 ペクドナルド太宰支店は開店以来の大盛況となった。皇帝と皇妃がやってきたのだから当然だが、物見高い太宰市民が一斉に立ち、一時あたりの交通が麻痺する事態に陥った。むしろ昼の忙しい中にぼへーっとしたツラを下げてやってきた皇帝が悪いのだろうが、ペクドナルド店員たちはかつてない忙しさにてんやわんやとなる。最近量産されてユーザーの増えた携帯型のカメラを向けられると、辰馬はとりあえずピースサインをしてみせた。


「んじゃ、おれはチーズバーガー」

「あたしスパイシーチーズ!」

 私服姿でぽややんと言う二人の姿は、かつて20年前蒼月館の放課後に見せた姿にほとんど変わらない。いつまでも若い辰馬だが、その体内がどうしようもない病魔に蝕まれていることを考えると雫としてはやりきれなくなる。それでもここでしみったれた態度を取って気分を下げるほど、雫は愚かではなかった。


「たぁくんいつまで経っても辛いのだめだよねー?」

「ガキ舌だからな。別に不自由もしねーし、構わんけど」

「ポテト残す? あたし食べたげるよー?」

「ああ、しず姉半分食ってくれ。…それでさ」

「むぐむぐ…、んん?」

「おれが死んだらなんだけど」

「ぶほぁっ!?」

 辰馬の言葉に、雫はブバッと吐き散らかした。バンズやパテの残骸は、正面に座る辰馬の顔面にドブッと浴びせられる。

「……、あー、しず姉?」

「たぁくん…、やっぱその話?」

 紙ナプキンで適当に顔を拭く辰馬に、雫は哀しいような切ないような、今その話をしなくても良いだろうというような恨めしげですらある表情を浮かべる。辰馬かるく頭を振ると

「あー、城の中だと瑞穂やエーリカに聞かれる。これはしず姉にしか頼めんしな」

 そう言って、雫の碧眼を見据えた。

「…しよーがないなぁ、おねーちゃんに話してみんさい!」

「うん、助かる。おれが死んだら、瑞穂と獅廉と乕を頼む。たぶん、エーリカに命狙われると思うんで」

「あー、うん…、エーリカちゃん、鉄の女になろーとしてるもんね…」

「磐座と晦日は自分で自分を守れるだろーが、瑞穂は身を守る知恵があってもそれを使わないだろうと思う…、たぶんエーリカとの和解を模索して、失敗する」

 辰馬が瑞穂の性格を分析して、まずまちがいなくそうなるであろう未来がこれだった。新羅辰馬もそうだが神楽坂瑞穗は現実が見えながらも理想を追う夢想家であり、決してわかり合うことの出来ないエーリカにも心を通わせようとして失敗する姿がありありと見えてしまう。だから辰馬としては瑞穂を救う一手を打っておく必要があり、城内でこれを雫に話してはエーリカ派に聞かれる。それゆえの今日のデートだった。


「そーなる前にあたしがみずほちゃんたちを王宮から攫って、野に下ればいいんだね?」

「そーすることでしず姉はエーリカから、犯罪者と追われることにもなると思うが…。頼めるか?」

「…ん。そりゃもー、かわいー弟分で恋人で旦那様の、最後のお願いだからね。しっかりエーリカちゃんに捕まらないよーに、逃げ回ってあげる!」

 とは、いうものの。近い将来、雫は瑞穂とその長男獅廉が殺されるのを防ぐことが出来ず、ただひとり残った次子・乕を救うことしかできないのだがそれは後の話。未来のことなど知るよしもない雫は力強く請け合い、辰馬も肩の荷が下りた顔で大きく息をつく。

「さて。そんじゃ帰るか…」

「うん! 帰ったら安静にするんだよ-、たぁくん? 無理して起きてちゃダメだかんね」

「はいはい」

 と、帰途につく、その一刹那。


「泥棒ーッ!」

 老婆の絶叫、そして街路を駆け抜ける2人組の少年。


「ッ!」

 辰馬は考えるより先に駆けだした。ボロボロの身体はかつてのように颯爽とは動かない。フラフラしながら歩み出す辰馬を、後ろから雫が羽交い締めにする。


「たぁくん! いーから! 憲官さんにまかせとけば大丈夫だから!」

「そーいうわけにいくか! ここは、おれの国だ。民はおれの子供同然、子供が泣いてるときに憲官任せにしてのーのーとしてられる親がいるか!」

「…じゃ、あたしが背負う!」

 雫は辰馬になにか言わせるヒマを与えず、その痩身を背負って走り出す。


………………

…………

……

 町外れの倉庫街。ちょっと大きめのコンテナの中で、二人の少年は戦利品を山分けにしていた。


「へへ、あのババァ、なかなか金持ってたな…」

「ああ…でも、大丈夫かな、皇帝が帰ってきてからこのあたり、治安回復してるし…」

「ハッ、皇帝!? あんなモンが俺たちになにしてくれたんだよ! あいつがしっかりしてりゃー、俺たちはこんな最低の暮らしを舐めなくても済んだんだ!」

「そう、だけどよ…」

「とにかく、金はこんだけで、他に監禁できるモンは…」


「そこまで。皇帝としちゃあ貧民を救えなかったことに頭を下げるしかないが、だからって盗みを看過するわけにもいかんからな」

「!?」

 愕然と振り向く、少年二人。その顎がガクンと下がる。華奢で小柄なアールヴの少女に背負われた、こちらも華奢だが少女よりは大柄な銀髪の少年。


 間抜けな絵面に毒気を抜かれるも、銀髪少年とピンク・ブロンドの少女には見覚えがあり。その美貌はテレビや写真や肖像画で目にする…、


「皇帝と、皇妃…?」

「あー。その財布返してけーさつに出頭しろ。さもないと、ちょっと痛い目見せることになるぞ?」

 辰馬のぼんやりした声に、二人の少年、その苛烈なほうがはじかれたように立ち上がる。掌の中にはバタフライ・ナイフ。


「テメーが! 人の気もしらねーで! 偉そーにふんぞりかえってんじゃねーや!」

 突きかかる少年、辰馬はほとんど動かず。


 そして少年の身体が一回転する。


 ダン、とコンクリの床にたたきつけられて、少年は呻く。もう一人の少年はたちまち雫に捕縛され、あっという間に勝負はついた。新羅辰馬は力の殆どを失い運動能力もまた崩壊させたとはいえ、一度身につけた新羅江南流の技が消滅するわけではない。力や速さに頼ることのない技はいくらでもあり、今なお辰馬の戦闘能力は失われていない。


「キミたち、こんな泥棒でお金稼いでもいーことないよ? 上に行きたいなら辛くても正攻法でいかないと」

「……くそ、くそ、クソッ! お前が、皇帝がしっかりしてりゃあそもそも俺らが落ちぶれることもなかったんだよ、ちくしょーがぁ!」

「…もと貴族か」

 解体された貴族の子弟が零落してこうした真似に訴える、そういう例はいくつかの報告があるところだった。貴族政策に対して、もともと平民出身の辰馬はかなり急進的なやりかたで対してきたが、この少年たちのような者が出るのであれば対処法を変えるべきかも知れない。


 そう、考えて思索にふける辰馬に。


 跳ね起きてナイフを構える、少年。


 思索に没入する辰馬の反応はない。雫が気づいて駆け出すが。


「死ねよ、皇帝!」

「たぁくんっ!?」

 絶叫と悲鳴が、薄暗い倉庫に交錯した。

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