第6話 新大陸ウラー

 京城柱天、皇帝の寝所。

「ご主人さま、お身体の加減は大丈夫ですか?」

「あー。そんな心配せんでもいーわ。最近元気だし」

「元気じゃないですよぅ。こんなに汗かいて……」

「これ夏だからだって。ここ10年寒い洞窟の中にいて熱いのに慣れてないしな」

「とにかく、汗をお拭きします。動かないでくださいね……」

「ぎゃー! 乳袋近づけるんじゃねーよ! 離れろ離れろ!」

「もう。照れてないで汗拭きさせてください!」

「ぁう……」

 赤竜帝・新羅辰馬は皇妃・神楽坂瑞穂に清拭されていた。正面から近づけられる121㎝の巨塊に、慌てふためき照れまくる辰馬。これだけ見ればちょっとした風邪かなにかの看病中でじゃれあっているだけに見えるが、実のところ辰馬の身をむしばむ病はそう簡単なものではなかった。


 女神イーリス打倒後、辰馬は病に倒れ、毎日40度を超える高熱に苛まれるようになった。これは真なる創世の魔王、その現身たる新羅辰馬にとっての対存在、創世の竜女神グロリア・ファル・イーリスを倒してしまったことによる代償で、いかなる薬も効果はない。起きている間は辰馬が自身に残っている盈力を使って見た目上、元気に振舞ってはいるが、実際には苦痛や苦しみが和らぐことはないし、夜、寝ているときは気も張っていられないので苦役は激しい。


それでも、世界が平穏と平和を手に入れたことはこのアルティミシア大陸の人々にとって幸運なことだった。神魔の意志は完全に取り払われ、人々が恣意的な悪意に翻弄されることはなくなったのだから。


戦争の災禍も減った。人類という種が不完全で未成熟な種である以上、恒久平和など夢想家の幻想でしかありえないが、ここ数年来の戦乱に飽いた人々は戦乱に倦み、平和を選んだ。ひとまず大きな戦火は去り、平和な世界が現出した。


 これらの事柄は瑞穂にとっても好ましいことだが、ただ一つ好ましくないことには平和の最大功労者である辰馬が犠牲となってしまっていることだ。一人の犠牲で世界が幸せになったのなら望ましいことのはずだが、その一人が最愛の夫であれば心安らかではいられない。辰馬を京城に迎え直して数か月、瑞穂はフミハウたち旧明芳館の冒険者4人に依頼し八方手を尽くして辰馬を救う方策を探しているが、有効な手段は見いだせていない。


 瑞穂が布巾をもって洗面所に消えると、今度はエーリカがやってくる。エーリカは瑞穂の後姿を見遣って小さく舌打ちすると、辰馬のベッド横の椅子に腰かけた。

「お前、チッとか言うなよ……」

「え? いやいやいやいや、言ってねーわよ」

「言ったろ。隠すな。つーか最近気づいたが、おまえと瑞穂、派閥作って喧嘩してんな」

「あー…う…えーと…」

「瑞穂は権勢欲のあるタイプじゃねーし、どーせお前が仕掛けてるんだろーが。そーいうのはやめとけよ、ホントに」

「……なんでアタシにばっかり説教すんのよ?」

「あ?」

「瑞穂には優しくするくせに! なんでアタシには…ッ!」

「そんなん、おまえがよくないことやってるからだろーが!」

「アタシは悪くない! この国を1000年存続させるための方策をアタシは選んでんの! 瑞穂みたいな甘ちゃんに国を任せたら乱の種になるんだから!」

「…その理屈で、ヘスティアを攻めたか?」

「ッ…」

「各国から王位帝位を取り上げて諸侯に落としたのもそーいうことか」

「…………」

「おれは1000年王国なんて望んでねーよ。…お前に国のかじ取りを任せたのは間違いだったな。思想が違いすぎる」

 辰馬の視線が冷ややかさを増す。エーリカは竦んでしまい、言葉を継ぐことができない。辰馬から「思想が違う」と突き放されたことはあまりにも強烈だった。

「…お前はいったん、皇妃から廃立するべきかもしれんが…」

「そ……んな……」

 投げかけられるさらに強い言葉に、エーリカは座ったままふらりとよろめく。今更に自分がこれまでやってきた政治的暗闘の罪深さを突き付けられ、皇妃廃立という言葉に恐怖で震える。それは辰馬の寵愛から外れるということであり、エーリカにとって死以上につらい罰。


「けど、お前から受けた恩も大きいからな。アカツキに裏切られて後ろから殴られたとき、お前に頼らなかったらおれはあそこで死んでたわけだし。あのときヴェスローディアの王位を貰えなかったら今の皇位もないしな。皇帝という立場が嬉しいもんかどーかはわからんが、すくなくともこの地位がなかったらイーリスも倒せなかった」

 よろめいたエーリカに、辰馬はすこしだけ口調を柔らかくして言う。強硬な言辞で責問するばかりが対話ではない。それに実際、エーリカに救われたのも確かだ。


「じゃ、じゃあ……!?」

「そーいうわけで廃立はしないが、反省はしろよ?」

「う……うん。たつま、ごめんなさい……」

「まあなー、お前がまじめに国のことを思ってるのもわかるからな。でも瑞穂と喧嘩するのはやめとけ。気になって気分悪くする」

「……はい。だから、アタシのこと、嫌いにならないでね?」

「そりゃあたりめーだ。お前もおれの大事な、愛しい妻だよ」


 こうしてエーリカは政治権力への執着を捨てた……のならばよかったのだが、瑞穂が戻ってきてまたかいがいしく辰馬のお世話をし、なんだか立ち入ることのできない雰囲気を醸し出すとたちまちまた彼女の心は対抗心と憎悪で満たされてしまう。辰馬の前を辞したエーリカは北嶺院文や長船言継といった派閥の配下に、神楽坂瑞穂の排斥を諮った。


‥‥‥…………

「さて、10年間国をほったらかしにしてたからな。皇帝としては政治もやらんと」

 翌日、辰馬は宰補・出水秀規の持ってきた書類に目を通した。シエルという人質ゆえのこととはいえエーリカ派についている出水は辰馬から不自然に目をそらしたが、辰馬はそこに気づかない。ともあれいくつかの案件を言上され、それらを処理した。


まず貴族には土地が余っているのに民衆の住む場所が残されていないということで貴族の土地の3割を召し上げ、代わりに現金を支給して納得させ、これでできた土地を民に分配、当座の土地問題を解決。すでに大公家を廃されている覇城、北嶺院、小日向三家の所領を大きく削り、これをもってほかの貴族たちに範を示した。


ついで科学技術と医学への予算を大きく分配して病院の診察費、薬代を軽減させ、また医学校の学費も軽減。魔術が存在しなくなったことで希求的に科学の発展が促され、カラーテレビがせいぜいだったこの分野には一躍、洗濯機や掃除機、ビデオデッキなどといった後世の生活必需品が揃うことになる。交通に関しても汽車に頼っていたアルティミシアの交通事情は乗用車が増え、バスが走るようになる。動力エンジンを動かすために石炭ディーゼルでは賄えなくなり、これも精錬した石油を使うようになり、石油が使用されるようになると火力発電の発電量が増える。これまで石炭9:石油1だった発電比率を、4:6に大きく逆転させた。水道をはじめとしたライフラインにも予算を出す。


また、必要がなくなった軍事費を大きく削減。そのぶんを福祉に充て、公共事業及び生活保護をはじめとした貧民救済政策を充実させる。


 辰馬自身がこの10年間、かなり苦労したこととして、公衆トイレと公衆洗濯場を一駅内に最低でも10か所ずつ設置するよう、これも帝国法で定めた。


教育にも力を入れ、新たにいくつもの初等、中等、高等学校および大学を創設。辰馬がもっとも力を置いたのは歴史学で、皇帝の言葉「人生に必要なことは全部歴史の中にある」は金科玉条として帝国の学生たちの心に浸透する。


それまで各国ごとに差異があった国法を帝国の名のもとに一本化し、人権主義、自由主義をベースにした法整備にも口を出す。自由主義、リベラルとはいっても辰馬は個の自由のために集団の和を乱すような人間を看過できないタイプなので、まず和を守ることを求めたが。それができない人間に対しては病院に収監するか、厳罰をもって報いると定めた。


ほか農業・商業の改革その他数多くのことをやったが、ここでは置く。1月でこれらをやってのけ、ただでさえ細い身体が繊弱にやつれた2月目。


‥‥‥……

 アルティミシア大陸から海を南東に行くこと数千里。そこには新大陸と呼ばれる土地がある。


アルティミシアの海洋冒険者が発見したその大陸を、現地の民はウラーと呼んだ。


 この大陸にはフォモルと呼ばれる巨人の種族がいて、いくつかの国で覇権を競っていたが、つい先年、ブレスという王が輩出して大陸全土を統一。


統一されればあとは内に籠るか外に膨張するかであり、アルティミシアの新羅辰馬が膨張政策をとらなかったのとは対照的にブレスは完全な膨張政策に乗り出した。獰猛にして野心的な諸侯を満足させるには、外に領土を求めるしかなかったともいえる。


かくしてブレスは20万の軍勢を率い、2000隻の大船団で出撃、実り豊かなアルティミシア大陸を目指した。20万は千年までのアルティミシアの軍事力から見ればそれほど巨大な兵力ではないが、ウラーの民は巨人であり、その戦闘力はアルティミシアの小柄な民とは比べ物にならない。そしてアルティミシアは偃武の時代に入り、大幅な軍縮中。


沿海哨戒船は一撃で粉砕され、壊滅。生き延びたものはなく、ゆえにこの時点で帝国に報せが齎されることもなく。近海を貿易のために周遊していた商人・梁田篤とその護衛官ジョン・鷹森は焼夷剤「ウェルスの火」で敵に一撃を与えた後、急ぎ京師太宰に逃げ走る。


「大陸南東の海から船団! 船に乗るのは武装した巨人の軍勢!」


 梁田が齎した報せは京師を震撼させ、たちまち大陸全土に広がった。辰馬は即時軍議を招集、この異大陸からの侵略者を相手に2隊の討伐軍を出征させる。すなわち海戦で敵を撃破すべく、ここで長らく船上にいて海洋事情に詳しい梁田篤を海軍元帥に任命、ジョン・鷹森をその参謀として巨砲36門を搭載したアカツキ皇国の大艦暁捷を下賜、これに20000の兵と高速機動の小型艇100艘をつける。右将に上杉慎太郎、旗艦ウルスラグナと小型艇50、兵数10000。左将として長船言継、旗艦白狼と小型艇50で10000人。ちなみにシンタの旗艦ウルスラグナは最近、ちょっといい仲の林崎夕姫(先日の怪我が重く、まだ入院中)がかつて繋がっていた契約古神の名から取ったものであり、彼が夕姫を大事に思っている証左でもある。


 そしてもう一隊を率いるのは明染焔、インガエウ・フリスキャルヴの二人、兵力30000人。この二人はともにエーリカ派の領袖であり、野心家でもあるため国許から離れてフリーハンドの権限を与えるのは危険でもあったが、辰馬は少なくとも自分が生きている限りは彼らが叛くことはないと確信する。ただし、自分の時間があとどれだけ残っているかわかりはしないのだが。


 梁田隊と明染隊、このふたつを後方から統御する辰馬の狙いとしてはまず海戦のいろはについて多少なりと詳しい梁田と鷹森を主将に、射撃戦にめっぽう強いシンタと戦術的手腕でオールラウンドな長船で敵海軍を制圧するのが目的であり、そしてもう一方、敵を迂回する明染隊が直接に新大陸ウラー上陸、本土を衝き敵を封殺する、という作戦であった。相手が雲突く巨人であれ、ここまでの激戦を潜り抜けてきた麾下の精鋭が負けるとは思っていない。そこに関しては安心すらある。


「問題は、海上で敵を補足し損ねた場合か……」

 海で叩けず、フォモル族にアルティミシア上陸を許すとかなり厳しい。軍縮の結果梁田、シンタ、長船、焔、インガエウに預けた70000はアルティミシアの総兵力の3分の2以上であり、大陸に残る兵力は30000足らず、それを八葉大陸アルティミシア全体に小分けにしているのだから戍辺の戦力は無きに等しい。


 羅針盤は当然のようにあるが、敵の居場所を正確に捕捉するレーダーなど当然のようにない。条件は敵もおなじのはずだが、確実性に欠ける。


「おれが出るか……」

「バカ言うんじゃありません、陛下」

 軍議の席で皇帝相手に、冷たく言い放つのは磐座穣。穣はことここに至っても辰馬に対して素直な自分を見せることがない。


「あなたの命はもう残りカスなんですからね、無駄な行動で消えかけの蝋燭に自分で息を吹きかけるような真似はしないように」

「そうですよ! ご主人さまはもう戦っちゃだめです、これまで十分たたかったんですから!」

 瑞穂も穣に追従し、気圧された辰馬は「……」と口をつぐんだ。


「ま、オレらに任せてくださいよ、辰馬サン!」

「そーですぜぇ、このガキはともかく、オレの実力を信じてくだせぇや」

「あ゛!? なんだコラ白髪ァ!」

「るせぇよ、クソガキ。なんならおめぇーは出撃しなくてもいーんだぜぇ?」


「あーもう、喧嘩すんな。信じるからしっかり勝って来いよ?」

「はいっス!」

「お任せくだせぇ」

 シンタと長船があいついで城内を辞し、梁田が「非才のわが身に元帥杖、身に余る光栄! 皇帝陛下に必ず勝利を捧げまする!」そう言ってまたその場を辞した。


「ふう……んじゃ、そーいうことで。おれ、ちょっと昼寝……」

 発熱が限界にきた辰馬はそのまま寝所に引きこもり、瑞穂と穣が薄い背中を左右から支える。赤竜帝国黎明期における最後の試練、トゥアハーの海の海戦は、英雄、新羅辰馬を欠いた状態での開戦となった。辰馬なしで勝てないようでは残される人々にこのアルティミシアを背負うだけの資格がなく、絶対の必勝を求められる。

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