第2話 ラユェタンス

「完成、ね…」

 鬱蒼とした山中の洞窟、そこに特設した錬成所。女神サティアは万感の思いを込めてそう言った。10年間、決して失敗できない研鑽の集大成が、ついに完成を見た。すなわち神を殺す毒『シドゥリの媚毒』。


その製法は以下の通り。まずルビーと金剛石(アダマンティス)、鉛とアルマグニチェ(マグネシア)、硫黄と黄金を9年間弱火で融かす。ルビーの作用がアダマンティスを、アダマンティスがマグネシアを、マグネシアが硫黄を、硫黄が黄金を融かし、これらすべての作用によって黄金が融かされる。9年間をかけてこれらがしっかりと融けたところで坩堝を降ろし、冷ますと、これは一塊の、濁った色の塊(コルブス)になる。ついで獅子の脳、豹の脂、狼の血を等量用意してまず脂を融かし、そこに脳を混ぜ、さらに血を投入すると、斑を帯びたすべてを殺す毒性を帯びる。しかしこの段階で毒は創世神を殺すものには達しない。また別にヒ素硫化物(赤アゼルネク)、黄硫黄、紅硫黄を等量混ぜ、これとさきの毒を混ぜると毒性は消えて液化する。この液体とさきの塊をふたたび器に入れてアウリファブロ土(黄金変性土)で覆い、これを1年間火にかけ、液化させる。これが液化して蝋のようになったら冷まし、霊質(スピリトゥス)が合体するのを待つと、液体は再び固体化してひとつの小石が生成される。これこそすべてを凌駕する脅威の石、ヒトでも天使も神すらも、霊性を持つすべての存在を支配し、所有者のあらゆる請願をかなえる石『ラユェタンス』であり、剣の柄に嵌め込むことで至高なる創世の神の性質を破壊可能な唯一の武器となり、神を殺すという強い意志をもってふるう場合に発揮される力がシドゥリの媚毒。


「旦那さま、出来ました…」

 この場にはいない皇帝・新羅辰馬に向けて。万感を込めて呟く。辰馬の技量と盈力、そして石が秘める「媚毒」としての威力をもってすれば、女神グロリア・ファル・イーリスを弑すことも不可能ではない。イーリスは神としてのサティアの実母であり、その命を断つことについて躊躇いがないと言えば嘘になるが、神力を棄てたことですでにサティアの精神性は人間寄りである。これまで数千数万年、人間を支配し玩弄してきた創世女神には、退場願わなくてはならない。


「京城に連絡を。神殺しの準備が整いました」

 言って、助手の巫女たちが白山の内宮府にかけていくのを見送る。10年間不眠でこそなかったが不休でこの任務にあたってきたサティアの消耗はさすがに大きい。とはいえ、彼女はこの40年後の時代においてもまだ若さを保ったままに生存し、女帝エーリカの時代、その終焉を見届けるに至るのだが。


………

……


「神楽坂さん、決起する気にはなりませんか?」

 磐座穣はもう何度目かになる同じせりふを神楽坂瑞穂に投げかけた。状況は刻一刻と不利になっていく、エーリカの専権に対抗するためには瑞穂が起って赤竜帝国…新羅皇家の政党を主張することがなにより不可欠であり、瑞穂にもそれは分かっているはずだが、瑞穂は二人の息子、獅廉と乕の頭を撫でてやりつつ、穣の言葉にかぶりを振る。


「わたしは自らこの国に乱をなすつもりはありません。エーリカさまが権力を求めるなら、わたしはそれを止めるつもりもありません。権力を手に入れたうえでなおエーリカさまがわたしを殺すというのなら、それも運命でしょう」

「…本気ですか、神楽坂さん?」

「本気ですよ。ただ、この子たちは無事に健やかに成長してほしくありますが…」

 瑞穂の言葉は穏やかだが、揺るがぬ泰山の重みがあった。穣としてはおなじヒノミヤ出身の同胞として瑞穂を負けさせたくないし、瑞穂が起って自分の策を使ってくれればエーリカを打倒することが難しいとは思わない。そのためにフミハウや李詠春、蕭芙蓉、ベヤーズ、武蔵野伊織、源初音らを率いれ、穣の頭の中にはあらゆる戦況を打破する戦略があり、そしてここの戦場の指揮官として戦術家・神楽坂瑞穂に比肩するものはない。が、瑞穂に戦う意志がないのではどうしようもなかった。


「ですが、派閥のみなが路頭に迷うことになります。それで済むならまだしもですが、エーリカ姫が起用したのはあの長船言継、女性にとっては敗北は死より辛いことになるかと…」


 晦日美咲が進言すると、瑞穂の瞳が揺れた。確かに、瑞穂1人が平伏して負けを認めたところで、闘争は避けられないところに来てしまっている。エーリカが長船を起用したことからもわかるように、彼女には瑞穂が降伏したからと言って容赦するつもりがない。


「…わたしの命でみなさんの身の安全を贖うよう、お願いしてみます。わたしの命さえ取れるならエーリカさまはほかの皆さんまで殺そうとは思わないでしょう」


「かあさん?」

 聞き捨てならない言葉に、獅廉が母の顔を覗き込んだ。瑞穂は息子たちの前で生きるの死ぬのの話を出してしまったことを後悔し、獅廉に微笑み、乕も撫でる。もうすぐ1歳の乕は元気な赤ん坊だが、瑞穂よりむしろ牢城雫に懐くところが大きい。


「大丈夫ですよ。心配いりません」

 おだやかにそう言うが、儚げに過ぎる雰囲気には説得力がない。新羅辰馬のそばで自分を大事に、わがままになれた瑞穂だが、辰馬という支えがいなくなったことでそのしたたかさは失われていた。じぶんが犠牲になることで戦火を避けられるのであれば、瑞穂は喜んで命を捨てるだろう。


 穣と美咲はなお何言かを費やして瑞穂を翻意させようとしたが、やはり瑞穂の心を変えるには至らない。むしろ自分の死後獅廉と乕を頼みますと言われて、穣は返答に窮す。


「皇妃は甘いです。戦わずしては守れるものも守れません」

「その通りですが、彼女の意思を無視して戦いを始めることはできません。…いっそのこと無理矢理にでも戦端が開かれてしまえば、神楽坂さんの性格上、やむなく戦ってくれるかとは思いますが」

「それでは…!」

「後手に回っては勝ちがたいものですが、ひとまずその線で策を考えるとします。…ふぁ…」

「磐座さん? 寝てないのですか?」

「晦日さんほどあちことに動いているわけではありませんよ」

 心配する美咲にそう返し、穣は軽く顳顬をほぐす。さすがにここ1週間寝ていないと、頭の回転も少しばかり鈍りがちだった。


………

……

 エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは難しい顔をしていた。


「だから、アンタ大概にしなさいよ、エーリカぁ!」

「いや、あのさ…あたし皇妃で皇帝代行なんだけど。アンタこそ立場わかってる、夕姫?」

「わかってるわよ、バカ! 昔のアンタはすこしはマシだったけど、今のアンタは全然ダメ! 権力にとりつかれちゃって、年下の神楽坂をいじめて恥ずかしくないの!?」

北嶺院文に接近しようとした上杉慎太郎、林崎夕姫、そして塚原繭の三人を捕らえたのはよかったが、開き直った夕姫の舌鋒は鋭く、エーリカの痛いところをついてくる。エーリカは後世謂われるほどに狭量でもなかったが、やはり痛い腹をつつかれれば腹が立つ。


「…シンタ」

「あー…、はい」

「アンタ、なんでこいつ連れてきたのよ?」

「たまたまウチの部隊に配属されてきたんスよ! オレだって林崎がこんな突撃娘ってわかってたらつれてきてねーですって!」

「…出水」

「は」

 エーリカは傍らに侍立する出水秀規に声をかける。眼鏡デブは昔とは別人の暗い顔で頭を下げた。


「こいつら、どーするべき?」

「…その娘たち、上杉の手で処分させましょう」

「ちょ、あぁ!? デブオタおまえ何言って…!?」

 出水がシンタのことを「赤ザル」と呼ばず、「上杉」と呼ぶ。それだけでも他人行儀の極みだが、やらせることがまたえげつない。シンタの手で夕姫と繭を処分=殺させようというのだから、かつての出水を知る人間ならおよそ信じられることではない。最愛の妖精シエルを人質に取られたことで、出水秀規は人の心を凍てつかされていた。


「アンタも最低ね、出水!」

「お前など知らん」


………

……


夕姫のダガーがシンタの首元を掠める。


「っく!?」


 すんでのところで回避するシンタ。そこに繭の薙刀が襲った。繭の大薙刀による強打と、夕姫のダガーから繰り出される連続攻撃。二人は互いの弱点を補い合い、長所を伸ばしあって、実に敵対しがたい戦術を構築している。強敵だった。


 出水は夕姫と繭に死にたくなければシンタを殺せと告げたが、それは二人が拒んだ。しかしついで「それなら北嶺院文を殺す」と実にあっさり言ってのけた出水の一言に、かつての「おねーさま」を殺すわけにいかない夕姫と夕姫を見捨てられない繭は従わざるを得ない。そうしたわけで二人は武器を取り、シンタに襲いかかった。


 しかし、シンタのレベルはすでに世界でも有数、といえる域に高まっており、そしてかつてなら夕姫たちには神力があってシンタに不利を強いたはずだが今それはない。となればシンタに取り2対1でも、夕姫たちを倒すことは難しくなかった。


………………

 勝負はやはり、シンタの圧勝で終わった。二人を見下ろして息を整えるシンタに、高楼の上から出水が声をかける。


「トドメはどうした?」

「あぁ゛!? テメェーはマジで大概にしとけよ! 胸糞悪りぃ!」

「貴様の胸中なぞ知らん。殺さんのであれば貴様もろとも処分するのみだが?」

「やかましーっ!」

 シンタは激昂して出水にダガーを投擲、しかしそれは不可視の障壁によって阻まれる。すでにこの世界から失われたはずの力、盈力であり、新羅辰馬から割譲された出水の力は辰馬が生存している限り失われることがない。エーリカにとって出水は智嚢であるだけでなく、最強のボディガードでもあった。


「処分する。皇后陛下、よろしいか?」

「ええ。あと腐れなく、ね」

「ち…辰馬サンの借りモンで威張りやがって…」

 とは言うもの絶体絶命、どうにか逃げなくては自分のみならず、夕姫たちの命が危ない。


 そこに、

電灯が消える。


「!?」

「停電!?」


 暗闇の混乱。電気が復旧したとき、シンタ達三人のすがたは消えていた。


「逃がした…」

「まあ、構いますまい。あやつらの背景にいるのが神楽坂派であろうが違おうが、神楽坂派の仕業だということにして戦端を開けばよろしい」

「なるほど。さすがね、出水。穣を軍師にできなかったのは痛かったけど、アンタは十分穴を埋めてくれてるわ」


………………

「アンタらは?」

「李詠春。磐座皇妃様の命であなたたちをお救いに来ました」

「私は李の従者、蕭芙蓉」

「わたしはテルケのベヤーズよ。上杉慎太郎くん」

「…フミハウ…」

 シンタ達を救ったのは旧明芳館学生会の4人だった。こうしてシンタはエーリカ派(仮)から神楽坂派に迎えられ、自分の知るエーリカ派の情報を磐座穣に開陳、自分の所為で傷つけてしまった林崎夕姫を看病するうち二人の間には情が芽生える。


 そうする間にエーリカ派が神楽坂派を糾弾、宣戦布告。神楽坂瑞穂は動かず、降伏を選ぼうとしたが、磐座穣はシンタの証言からとったエーリカの人間性のゆがみようを切り札として瑞穂を説得、このまま瑞穂が膝を屈しては天下万民が塗炭の苦しみを味わうと語り、瑞穂はやむなく戦いを決意。かくて両者の決戦不可避、エーリカは神楽坂派を太宰から少弐に追い、諸将に追撃を命じようとするが、そこにヒノミヤから「シドゥリの媚毒、完成」の報せ。瑞穂はこの好機にエーリカに電話会談を申し込み、両派閥手を結んで辰馬のもとに石を運ぶことを提案、エーリカは自分がこれを辰馬に渡すという条件を出し、いったん両派の激突は回避、かわってウェルスの神域霊峰へと、精鋭が組織された。

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