◆覚え書き◆ 漢魏晋期の清河崔氏⑤

 そして西晋期には、曹植の血筋と縁をもつ清河崔氏出身者がふたたび現れます。

 そのことは、西晋文学史に燦然と輝く二陸こと呉郡ごぐん陸氏兄弟のうち弟陸雲りくうんの文章によって知ることができます。


 彼の文集である『陸士龍文集』巻8「書」には陸雲が兄の陸機りくきに宛てて送り続けた一連の書簡が収録されており、兄弟の仲の良さがしみじみと伝わる文面と分量ですが、そのなかに、下記のような文章で始まる一通があります。


「雲再拜。君苗文、天才中亦少爾。然自復能作文。雲唯見其「登臺賦」及詩頌。作「愁霖賦」極佳、頗倣雲。雲所如多恐、故當在二人後。……」


 松本幸男先生の訳を拝借すると、以下のとおりです。

「拝啓。崔くんびょうの文章は天才の一人のようです。すこし見劣りするだけですが、よく文章を書いています。私が見せてもらったのは「登臺の賦」と四言の「詩」や「頌」だけです。「愁霖の賦」はなかなか上出来です。すこし私をまねているようですが、将来はわれわれ兄弟をおびやかすでしょう。……」

(松本幸男 「陸雲「与平原書」訳註(二)」『學林』26、1997年2月。この論文では第29通に該当)


 一方、『陸士龍文集校注』下巻(陸雲撰、劉運好校注整理、鳳凰出版社、2010年)はこの箇所について(同書の整理だと第32通に該当)、「然自復能作文」の「復」を「謂」あるいは「白」、つまり「もうす」という動詞として解釈しています。

 その場合、「然」は逆接のほうが通じるように思われるので、「君苗文、天才中亦少爾。然自復能作文」の主旨は、「君苗の文章は、生まれながらの資質(=天才)は大したものではありません。ですが、自分ではいい文章を書けると申しています」というような感じでしょうか。


 しかしそれだと陸雲が辛辣すぎるのと、陸雲ほどの人物が「文才たいしたことない」と思っている相手とそんなに繁く交際するだろうか?という疑問も湧くため、やはり松本訳がしっくりくるようです。


 いずれにしても、この後につづく「然未究見其文。見兄文輒云“欲燒筆硯”以為此故、不喜出之。[拙訳:しかしわたしはまだ君苗の文章を読み尽くしておりません。君苗が兄上の文章を見るたびに“(自分の)筆や硯を焼き払いたくなった”と言うのはこのためで、だから作品を見せたがらなかったのです]」という部分は、陸機のたぐいまれな文才の例証のひとつとして『晋書』巻54陸機伝に「弟雲嘗與書曰、“君苗見兄文、輒欲燒其筆硯”」という形で引かれているので、陸雲と「君苗」という人物の間に交流があったらしいことはわりとよく知られています。


 「君苗」というのは、この書簡に先立って書かれたとされる別の書簡に「崔君苗」として姓名?が挙げられている人物であろうと推測され、松本訳もその前提に立っています。

(ただし西晋期の男性で二字名は珍しいので、君苗はあざなである可能性が高いです)


 西晋期に高級官僚と交流をもてるような崔氏というとおおむね博陵はくりょう(後漢では涿たく郡)崔氏か清河崔氏に限られるわけですが、これらの書簡は陸雲が清河内史(内史は王国に置かれた長官。郡における太守に相当)を務めていた時期のものとされるので、崔君苗は博陵ではなく清河崔氏の一員とみてまず間違いないかと思います。


 また、前掲『校注』の注釈によれば、『池北偶談』巻18には「君苗、清河族也」とあるとのことです(撰者王士禎おうしていは清代の人なので、それほど根拠にはならないかもしれませんが)。


 ここで注目したいのが、前掲の陸雲書簡の中ほどに、「曹志、苗之婦公。其婦及兒、皆能作文」と出てくる点です。

 文脈上、「苗」は「君苗」を指すとみて間違いないのですが、「曹志は君苗の妻の父親である(曹志、苗之婦公)」、つまり曹植の末子にして継嗣である曹志は、自分のむすめを清河崔氏の男性に嫁がせたことが分かります。

(曹志の兄の名も「苗」なので、ちょっとややこしいですが)


 陸雲は崔君苗の妻子(曹植の孫女と外曾孫)に対しても、「どちらも文章がうまい(其婦及兒、皆能作文)」としっかり褒めているのが興味深いです。

 同時に、曹志のところは単なる識字教育にとどまらない高度な文章作法を女児にも教える家風であったということも分かります。


 もし曹植には夭折したふたりの女児以外にある程度育った女児がいたとすれば、曹志ら男児だけでなく彼女にも、嫁がせる前にしっかり教育を授けたのかもしれません。そしてその方式を曹志も踏襲した……というのだったら、なかなか素敵だと思います。


 それにしても、孫の代のみならず曾孫までも名文家に育ってしまう曹植のDNAは恐ろしいな……もちろん本人たちの後天的な努力が大きいとは思いますが……


 後日、「曹植の子どもたち」という覚え書きで改めて詳しく見たいと思いますが、曹植の「封二子爲公謝恩章」および『三国志』巻19陳思王植伝・『晋書』巻50曹志伝にみえるように、曹志は曹植の生前に庶子としてぼく郷公に封じられましたが、曹植の死後は嫡子として陳王の位を継ぎ、それから済北王に転封され、魏晋革命後は降格されてけん城県公になりました。


 西晋武帝のとき、彼は散騎常侍・国子博士という中央官にまで昇りつめますが、その前は楽平・章武・趙郡などの太守を歴任しています。


 これを総覧して「あれ?」と思うのは、曹志自身の封地や官歴は、清河という郡国とは一度もかすっていない、という点です。かつ、陸雲の書簡からすると崔君苗は清河を離れていない人らしい(鄴には一緒に遊びに行ったかも)ので、以前にどこかの任地で曹志の面識を得た、という感じもしません。


 ならば、曹志はどうしてそんな相手を女婿として選んだのか、という疑問が当然出てくるわけですが、ここで想起するのはやはり、曹植の最初の夫人が清河崔氏出身だったという事実です。


 曹志自身はおそらく崔夫人の実子ではなく、かつ崔夫人はおそらく崔琰の死の直後すなわち建安21年中に死に追いやられており、それより後に生まれた可能性が高い曹志には彼女との間に義理の母子としての交流や愛着はなかったはずです。

 仮に建安21年より前に生まれていたとしても、曹志は曹植の末子とされる以上、曹植が25歳だった建安21年時点で物心つくほどの年齢に達していた可能性はほぼありません。


[※修正:本記事をいちど公開した後、後漢では桓帝の諱が「志」であることを知りました。ゆえに、その三代後の献帝の建安年間に生まれた子に、漢朝の列侯たる曹植が「志」と命名することはないはずであり、曹志は漢魏革命の後に(おそらく黄初年間に)生まれた子だと見なせると思います。漢魏革命の後であれば、曹志の生母が崔氏である可能性は皆無になるわけです。遅ればせながら訂正いたします]


 そのうえ、清河崔氏という、かつて曹操によりばっさりと縁切りされ罪人扱いされた一族とふたたび姻戚になるのは、いくら既に晋代に入っているとはいえ、曹氏一門の人間としてはわりと大きな決断だと思います。


 それでは、曹志が自らのむすめのためにそのような婚姻をあえて選択したのはなぜなのか。


 その答えはやはり、あのような形で最初の妻と永別した亡父曹植の思いを汲んだからなのでは……と思わざるを得ません。


 同じく非業の死を遂げた曹家ゆかりの女性といえば甄夫人がいますが、彼女は曹丕が君臨する洛陽には入らず鄴に留め置かれたものの、彼の妻(后妃のうちの一人)という立場のまま死を賜りました。

 しかし崔夫人の場合は、『世語』によれば死を賜るのに先立ち曹家から離縁されており、つまり死去時点で曹植の妻ではないので、彼女のための服喪や祭祀を曹植が公然と・・・おこなうことは、礼法上の根拠がないので不可能であったと思われます。


 となると、曹志は崔夫人の生前に生まれていなかった or 物心ついていなかったであろうからこそ、彼が物心ついた後に曹植と崔夫人の関係を意識させられるような機会が身辺にたびたびあったと想定しなければ―――たとえば、曹植は家庭の内々では崔夫人を年々祀って密かに哀惜を示していた、というような状況を想定しなければ、曹志がわざわざ清河崔氏を姻戚に選んだ理由を説明しがたいように思います。


(なお、『儀礼ぎらい』喪服礼の伝に引く旧伝には「親族関係を絶った一族のためには服喪しないが、[母子のような]至親の間柄は[父が母を離縁しても]断絶しない(絕族無施服、親者屬)」とあり、つづく伝には「離縁された妻の子で父親の後を継ぐ者は、[離縁されて再婚しないまま亡くなった]母のために服喪しない(出妻之子為父後者、則為出母無服)」とあります。


 もし後漢末にこれがそのまま実践されていたとしたら、曹植と崔氏の子のうち継嗣以外の男児および女児は、崔氏のための服喪や祭祀が公に許されたかもしれませんが、彼女の場合はただ離縁されただけではなく罪人として死去しているので、それも難しかったかもしれません)


 ともあれ確実に言えるのは、在りし日の曹植が崔夫人や崔琰に対し、あるいは清河崔氏という一族に対しネガティブな感情を抱いていたならば、曹志は清河崔氏に自分のむすめを嫁がせるようなことは決してしなかっただろう、ということです。


 崔琰と曹植の関係について言えば、崔琰は曹操からの下問に対し曹丕を支持する旨を言明したことで曹植派から恨まれた、と解釈されることが多いです。

 ただ、崔琰のことばは曹植の人品や才能を否定するものではなく、曹丕を上げるだけで曹植を下げてはいません。

 曹植を何としても曹操の継嗣に据えたい曹植派・・・の人々はともかく、曹植自身は崔琰に対し特に怨恨は持たなかったのではないか、と個人的には思っております。


 曹志という人物は、『晋書』本伝に「[曹志は生前の]父親が魏朝で志を遂げられなかったことを常に遺憾に思っていた(又常恨其父不得志於魏)」とあるとおり、溢れんばかりの才能と大志を抱きながら政治の中枢から遠ざけられた亡父の無念を知り抜いていたからこそ、晋朝における宗室(というか斉王司馬攸しばゆう)冷遇策をやめさせようとしたように、曹植没後久しく経ってからも父のことを想って行動していた正統派の孝行息子と言えます。

 ゆえに自分の子女の婚姻に関しても、亡父が喜ばないような一族とわざわざ姻戚関係を結ぶことは決してしないだろうと考えられます。


 さらに付け加えると、西晋期の清河崔氏はたしかに名族化しつつあるとはいえ、北朝隋唐期の清河崔氏のごとく「機会が許すものなら何が何でも彼らの姻戚になりたい」と天下の人々に思わせるほどの超一流の門地ではないので、経歴上で清河と縁のない曹志のような人が姻戚としてあえて彼らを選ぶ動機やメリットが想像しづらい、ということがあります。


 となると考え得る動機はやはり、曹植は崔夫人の死を後年まで深く悼んでおり、それを目の当たりにしていた曹志は亡父の無念を少しでもやわらげるためにこそ、自分の子女の代に清河崔氏と婚姻を結ばせた、ということになるのではないでしょうか。


 おそらく曹志ら兄弟の結婚適齢期の時点では曹魏がまだ存続していたので、太祖曹操の意向で曹家から離縁された一族である清河崔氏との通婚は、曹志らの世代では難しかったとみられます。


 他方、清河崔氏の側から曹志に対し強く請願したので婚姻が実現した、という可能性は低いかと思います。

 というのは、曹志ひとりは武帝司馬炎の激賞を得ていたとはいえ、西晋初期において旧曹魏宗室は全体としてすでに落ち目であり、かつ今後も抑制されていくわけで、清河崔氏の一門からみると、大した権勢もない上にかつて自分たちの肉親ふたりを言いがかり同然に殺した家ともう一度縁組することに少なからず抵抗はあったと思われるからです。

 それでも婚姻が成り立ったのは、むすめをやる側でなくもらう側であったのと、曹志の文名がやはりものを言ったのでしょうか。


 崔君苗という人が結局どういう人なのか、陸雲の書簡に出てくる記述以上のことはよくわかりません。

 一方、崔君苗からみて岳父つまり一世代上であろう曹志の伝記である『晋書』本伝の末尾には、曹志の諡号しごうを決める議論の際に崔褒さいほうという人物が登場します。

 太常たいじょう(宗廟祭祀や礼楽を管掌する官)が奏上した悪諡は、崔褒の主張によって退けられるのですが、官名も付記されずに突然名前が挙げられるこの崔褒という人物も相当に謎な感じがします。


 『晋書』に限らず正史一般では、人物の初出時には本貫や官爵あるいは既出の人物との血縁関係などを示すのが常ですが、この箇所は「みんなこの人知ってるよね!崔褒!」という感じで何の説明もなく姓名のみがポンと出されるので、読んでいる側も困惑します。誰なんだ君は。


 ふつうに考えるとこの崔褒も博陵ではなく清河の崔氏であった可能性が高く、かつ崔褒が太常の奏上に異議を唱えてまで亡き曹志を強く弁護したことは、曹志と清河崔氏との姻戚関係は最後まで良好だったことを示しているようにも思われます。


 なお崔褒について、『晋書斠注こうちゅう』でも注釈は付されていないのですが、明代の周嬰しゅうえいという人が撰した『卮林しりん』という、子書・史書類に対する一種の考証本に、下記のような記述があります。


「考えるに、『晋書』によれば曹志が没したとき太常が悪諡を奏上したとある。崔褒がこれを嘆き、諡は“定”ということになった。君苗は崔褒の字であろう。わたしはかつて君苗のために小伝を著し、『崔氏緜(綿)史』に載せたことがある。」

(案『晉書』曹志卒、太常奏以惡諡。崔褒歎之、而諡為定。君苗豈即崔褒字乎。嬰嘗為君苗作小傳、載崔氏緜史中)


(『崔氏緜(綿)史』というのは単体ではおそらく残っていないのですが、『卮林』の別の箇所に言及があり、崔氏一族の歴史を先秦期から書き起こした書物のようです)


 これによると、周嬰は崔氏(おそらく清河系以外も含む)の歴史の専著を書いたというほどなので、その時点までに残っていた崔氏関連文献をしっかり渉猟したのではと思われます。


 明代の人である以上、崔褒=崔君苗と言えるだけの確固とした根拠を入手できていたかどうかは疑わしいところですが、少なくとも、曹志と深い交誼があったらしい崔褒・崔君苗のふたりとも(博陵ではなく)清河の崔氏であった、という見立ては可能ではないか……というのが筆者の考えです。




⑥へつづく

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