◆覚え書き◆ 漢魏晋期の清河崔氏②

 前回の内容をまとめると、後漢末時点での清河崔氏は、よくても冀州の弱小な地方豪族(たぶん平民寄り)、しかも経済基盤は貧弱、というあたりが妥当のようです。


 もちろん豫州よしゅう沛国はいこく曹氏と冀州の清河崔氏とは、(曹操と崔琰・崔林との登用―被登用関係を除けば)曹植と崔夫人の結婚以前には何の接点もなかったと考えられます。


 そうなると、曹操がなぜこの一族から愛児曹植のために妻を迎えてもいいと思ったのか、筆者もいまだによく分かりません。

 えん先生も、「なぜこの時期の清河崔氏が丞相曹操の姻戚に選ばれたのか」については論じておられません。やはり説明しがたい点が多いからではないかと思います。

 そこで忽然と浮上するのが、曹植は自分で崔夫人を見初みそめたよ説なのです……!(しつこい)


 ではここで、後漢末(~曹魏)に生きた清河崔氏のなかで記録が残っている3人、崔琰・崔林・崔夫人について簡単にまとめてゆきたいと思います。


 崔琰・崔林の官歴と品秩の対応関係については、夏著書pp.50-51を参照しました。

 「品秩」欄のうち※印は、実際には九品官人法が成立していない時期の就任を指しています。




■崔琰■

 『三国志』巻12に伝あり。

 若いころは質朴で無口な人柄で、剣術に打ち込んでいたが、23歳のときに地元の役所から正規兵に任じられた(軍人扱いされた)ことに発奮して『論語』『韓詩』を学ぶ。

 29歳のとき北海の大学者鄭玄のもとに赴き門人になるが、1年もしないうちに黄巾賊の影響で退学を余儀なくされ、各地を遍歴しながら四年がかりで清河に戻った。


 そののち大将軍袁紹に招かれ幕僚となる。

 袁紹軍の規律の乱れを諫め、野ざらしの死者の埋葬を勧める。

 騎都尉に任命される。

 官途の戦に先立ち、皇帝を奉じる曹操と対立しないよう袁紹を諫める。

 袁紹の没後はその息子たち(袁尚・袁譚)のいずれにも与しなかったため投獄されたが、同じ袁家幕僚であった陳琳らの働きのおかげで免れる。


 冀州を平定し冀州牧となった曹操に招かれ、別駕従事となる。

 豊富な兵力をもつ冀州を掌握したことを喜ぶ曹操に対し、民の苦しみを思うようにと正面から諫言し、曹操は謝罪する。


 曹操が并州平定のために出征した際、鄴に留められた曹丕の守役(補佐役)に任じられる。

 狩猟にかまける曹丕に諫言を呈し、曹丕は深く反省を示す。


 曹操が丞相になると、東西曹掾属徴事となり、東曹で丞相府の人事を司る。


 曹操が魏公に封じられると魏国尚書に任じられる。

 このころ曹操は臨菑りんしこう曹植(崔琰の姪の夫)を後継者として立てるべきか迷っており、各方面の臣下に内密に意見を尋ねていたが、崔琰のみは封をせずに回答を送り、長子の曹丕を立てるべきと言明する。

 曹操はその公明正大さに感嘆し、中尉(都を警備する責任者。この場合の都は魏王国の都なので、鄴)に任じる。


 崔琰はかつて楊訓ようくんという人物を推挙したが、曹操が魏王に昇った後、楊訓が著した魏王を讃える文について批評したときの文言が曹操によって問題視され、投獄される。

 刑徒となってもくじけず衆望も集めていたため、曹操からついに死を賜る。

 西晋の陳寿の時代に至ってもなお、「崔琰は冤罪で殺された」と世人から惜しまれていたという。


 人物の鑑識に優れていたほか、亡き学友の遺児を我が子同様に養育するなどの情愛深さも特筆されている。


 崔琰は正史でも「聲姿高暢、眉目疏朗、鬚長四尺、甚有威重」と優れて威厳のある姿かたちを特筆されるが、『世説新語』容止篇によれば、曹操の身代わりとして匈奴の使者を謁見し、使者から「魏王は容貌が尋常でなく優れている(魏王雅望非常)」と評されたという。

 この逸話が事実であるかは定かでないが、魏国草創期の上層部で容貌がひときわ優れている者といえば崔琰、という評価が魏晋期に確立していたと思われる。


 『文選』所収の東晋の袁宏による「三国名臣序賛」では魏国名臣の4番目として挙げられ、その節義が賞賛される(1~3番目は荀彧・荀攸・袁涣)。

 なお、魏志から「名臣」として採られた者は全部で9人。


 司馬懿の兄司馬朗と親しく、司馬懿のことを早くから高く評価したために、『晋書』巻1宣帝紀の冒頭にも登場する。


 文人として著名ではないが、人生の前半期を回顧する作品として「述初賦」を著したとされる(彭春艶「崔琰『述初賦』考」『語文教学通訊』第730巻第4期によれば191年ごろ)。

 賦の佚文が『水経注』や『芸文類聚』等にも収められていることから、西晋の陳寿はおそらく全文を参照できたとみられる。崔琰伝の若いころの描写がわりと充実しているのはそれが理由か。


官職      ―  品秩  ― 就任時期

冀州別駕従事  ―      ― 曹操の冀州牧就任後

東西曹掾属徴事 ― ※第七品 ― 曹操の丞相就任後

尚書      ― ※第三品 ― 魏国建国後

中尉      ― ※第三品 ― 魏国建国後


 前述のとおり上記対照表は夏著書に準じたもので、同書は基本的に『三国志』本伝に準じて上記を作成していると思われるが、『資治通鑑』巻65建安13年6月条に丞相となった曹操が丞相府官僚を任命する際、崔琰は「丞相西曹掾」(このとき毛玠が丞相東曹掾)に任じられたとあり、これに準ずるならば、冀州府から丞相府に転任した当初は西曹の掾だったことになる。


 『後漢書』百官志の太尉の条に「掾史屬二十四人。本注曰、漢舊注東西曹掾比四百石……西曹主府史署用。東曹主二千石長吏遷除及軍吏」とあり、『通鑑』の胡三省注はおそらくこれに準拠しながらも「公府」全般のこととして西曹と東曹の職務を説明している。

 後漢末では曹操が丞相となるに際して三公が廃止されているので、『後漢書』で太尉府の属官とされている東西曹掾も丞相府に適用してよいかと思われる。


* * * * *


 このように、崔琰は丞相府官僚として長らく人事を担当しており、魏国官僚として尚書の地位に昇ったあとも、主要な任務はおそらく人事であったと思われます。

 鄴の警備責任者である中尉の地位に遷って始めて、人事職を離れたという感じでしょうか。


 なお、拙作を個人ウェブサイトで公開した当初は、丞相府も鄴にあると思いこんでいたので、崔琰は曹操に登用されてから(つまり冀州府官僚→丞相府官僚→魏国官僚となった時期)はずっと鄴にいると思っていたのですが、のちに丞相府は許都にあったと知り、ならば崔琰が丞相府官僚だった時期はおそらく一家そろって許都に居住したのでは?ということに気づき、遅ればせながら関連個所を書き換えました。ただ、


「曹操は建安十三年に丞相に就任すると、宰相として後漢の国政を取り仕切った。許には丞相府(丞相の幕府)の幕僚である丞相司直の屯営があり……許は後漢の都であると同時に丞相府の所在地でもあり、丞相曹操にとって政治面での拠点であった」

(渡邉将智「曹操政権と魏王朝の都、それぞれの役割とは?」

 三国志学会監修『曹操 奸雄に秘められた「時代の変革者」の実像』山川出版社、2019年)


といった解説およびこれに付された「許昌城復元イメージ図」(大元の出所は塩沢裕仁『後漢魏晋南北朝都城境域研究』雄山閣、2013年)に鑑みると、“丞相府の建物用のデデーンとした敷地”のようなものが許都に広がっていたわけでもなさそうです。


 つまり、屯営タイプの(仮設的な)丞相府関連施設は許都に置かれていたものの、丞相府属僚のかなりの部分は “建安13年以降に曹操がいたところ” つまり鄴か出征先のいずれかに随従していたのでは?という可能性が濃いようにも思われます。

 丞相府というハコは許都にあったとしても機能の大半は移動型だった、という可能性です。


 また、曹植と楊脩ようしゅうの親密な交際ぶりを彼らの書簡等から窺い見ると、楊脩を含む丞相府官僚の一部は鄴に出張所というか常駐用のオフィスを構えていたのでは?と思わざるを得ないところがある(そうでなければ、ほぼ鄴を出ていない時期の曹植が楊脩と日常的に会えていた理由が分からない)ので、崔琰・崔林も同様に、鄴に常駐する丞相府官僚だった可能性もあります。


(どうでもいい話ですが、拙作で今後楊脩が登場する際は、「丞相府属僚だが主に鄴のオフィスで勤務している」という設定になります。そうでないと曹植との交流手段をほんとに説明できないので……)


 実際、丞相府にて東曹・西曹いずれかを廃止すべきという議論が起こったときの、


「大軍が鄴に帰還した折、[丞相府の機構の一部を]統廃合するための議論がおこなわれた。[東曹掾の]毛玠は[人事に関して頼み事をしたい者から]謁見を請われても応じないので、世の人々は彼を憚っており、みな東曹のほうを廃止したがっていた。そこでみなで[曹操に]申し上げることには……とうとう西曹のほうが廃止された(大軍還鄴、議所并省。玠請謁不行、時人憚之、咸欲省東曹。乃共白曰……遂省西曹)」(『三国志』巻12毛玠伝)


という経緯からみると、曹操は丞相府の部局に関する重大事項を鄴で諸臣と議論して決めているので、やはり鄴にも丞相府の機能の相当な部分が置かれていたのでは……?という感じがします。


 いろいろ脱線しましたが、崔琰・崔林が丞相府官僚だった時期の居住地が許都であっても鄴であっても拙作の大筋に影響はないので、とりあえずぼやかしたまま次へ行きたいと思います。適当だな!!(2回目)




③へつづく

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