(十二)阿姊
八年前、建安八年(二〇三)といえば、曹操に大敗北を喫した
亡父の軍閥の継承をめぐり長子
袁尚は大軍を率いて袁譚の籠る
黎陽は袁尚の本拠たる
司空軍動く、との見通しを前もって入手するや、
魏郡に属する黎陽は東武城のはるか西南方に位置し、崔家の郷里付近で袁尚軍と司空軍とが衝突する恐れはほぼないといってよい。
だが、彼ら冀州の民にとって真に恐るべきは、郷里において
平原は清河にすぐ隣接する郡である以上、袁尚軍の退却と袁譚軍の解放に伴う混乱、そして両軍から一定数は逃亡するであろう兵士らの動向に対しては、どれほど警戒してもしすぎるということはなかった。
かねてより備えを厚くした甲斐あって、袁尚軍の主隊が最も近接する時期にあっても、崔家は人も物資もほとんど被害を受けずに済んだ。すでに収穫を終え農閑期に入っていたことも、彼らには幸運なことであった。
幼い崔氏が久方ぶりに
そのときの崔氏はひとりではなかった。叔父夫妻の奥向きの家事を助けつつ、彼女の保母を兼ねている年若い婢女に連れられていた。
崔氏が五、六歳のころに、里帰りをしていた叔母が生家から連れ帰ってきたむすめだった。いまになって考えてみると、あれは結婚から数年経ち三十近くなっても懐妊の兆しがない己を引け目に感じた叔母が、
家に来た当初は十六、七だったか、主人夫妻の姪の子守などを命じられたのがふしぎなくらい、たおやかで美しいむすめだった。叔母は実際、彼女を夫の
婢女とはいえ名は別にあったはずだが、崔氏はいつも
崔琰は何度か、彼女を良民に戻して同族の見どころある若者に嫁がせようとしたが、阿姊はそういうときだけは頑なに拒んだ。よく知らぬひとに迎えられ一家の主婦となるより、この家で婢女として使われているほうがいいというのだ。
阿姊は叔父のことが好きなのだろう、と崔氏は子ども心に感じていた。すでに壮年に達している叔父を憧れの目で見る婦人たちは家の内外に事欠かず、ある意味では崔氏自身もそのひとりだったから、別段奇特なことだとは思わなかった。
そして、その思慕あるがゆえにこの気立ての優しい保母が家に留まってくれるのだとしたら、それはいいことなのだろうと思った。
崔氏が九歳だったその年、阿姊は二十になろうとしていた。ほぼ婚期を過ぎていたが、だんなさまご夫妻のもとでなら、このまま老いてもいい、と心を決めていたのかもしれない。
河北の冬は長い。欠乏の季節を乗り切るため、崔氏一門の各家庭はかねてからできるかぎりの燃料と食料、そして医薬を蓄えてはいたが、十月に袁兄弟軍の動向が伝えられると、例年に比べ備蓄にかけられる時間は短くなった。
そして月が替わろうとするころ、崔琰が珍しく重い風邪を引いた。
床に伏してから数日もすると緩やかに快方には向かったものの、枕元で彼を見守る家人はみな、寒さが深まりゆくなかで熱が再発することを危ぶまずにはいられなかった。この時期の薬草はどこの家庭でも貴重であり、世帯を別にする親族らに融通を頼むことはできるが、安易な依存は
やがて阿姊は、夫に献身的な看護をつづける崔琰の妻にしばしの外出許可を請い、阿姊と離れることに慣れていない崔氏も頼み込んで同行を許された。先年夫妻の間にようやく授かった男児はやっと這い歩きを始めたばかりであり、崔琰が倒れてしまうと、この家庭には余力のある男手はほとんどなくなってしまうのだった。
数日前、東武城内外の諸豪族との連絡により袁尚軍本体の完全な撤退が確認され、崔氏族内でも塢門の通行に関する禁令が正式に解かれていた。さらに、崔家で養われている部曲の大部分はこのとき、所用で県城へ向かう
阿姊と崔氏が―――ごく若い女と童女がふたりきりで塢門を抜けようとしたのを、門楼で弓の手入れをしていた番兵が制止したり付き添いを申し出たりしなかったのも、無理のないことではあった。
本来の採取の季節からやや遅れてしまったとはいえ、解熱に用いることができる
異変が初めて生じたのは、傾きかけた日の下で帰途に就いたときだった。
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