(七)漢の命数
「まあともかく、曹
この
世論から推し量るかぎり、あのかたはまさに、そういう像に最も近い」
「そうだな。
が、司空はそればかりではない。
「帝、―――そうですねえ。
兄さんにはやはり、それが何より肝要ですか」
「わたしには、ではない。万民にとって同じ意味を持つはずだ。
逆臣らによって流浪を強いられ、ご幼少のみぎりから艱難辛苦を嘗められて久しい帝を、司空は先年正式に己の庇護下にお迎えした。つまりは、漢朝四百年の皇統を
彼が遺した膨大な著作は、大戦乱の時代にあっては珍しいほど速やかに中原各地へ、あるいは江南にまで伝播し、いまも私淑の徒を増やしている。崔林は鄭玄の舎門をくぐったことこそないものの、彼の講義録ともいうべき各種の経典注釈については崔琰から、あるいは崔家よりもやや富裕な近隣の豪族の家からしばしば借り受けて、くまなく目を通していた。
一経専修という世の趨勢に逆らうようにして五経の兼修をきわめ、どこまでも整合性を追及した注釈によって先人の誰よりも緻密な経書の体系化を成し遂げた鄭玄の思想はむろん一言で片付けられるものではないが、漢朝の統治に対する彼の懐疑的な姿勢は、その著作から少なからず読み取れるものだ、と崔林は思っていた。
すなわち、漢は決して、有史以来唯一の、永久無窮の天命を託された王朝ではない。いちどは再生を果たしたとはいえ、かつてこの中原に興亡したいくつもの王朝と同じように、いつかは
崔琰が鄭玄門下に在籍していたのは一年に満たないので、師から直接講義を授かる機会は限られていたことであろうが、たとえ高弟の口から受ける講釈にしても、鄭玄の思想の根幹を踏まえたものだったことはまちがいない。それだけに、
だが、と彼は一方でまた思う。季珪兄の信念は、師の説をひとり離れ、身で以て天下を見聞し、一個の士として培ってきたものだからこそ揺らぐことがない。あるいはそう見るべきかもしれなかった。
しばし瞑目してから、崔林はつぶやいた。
「―――まあ、そうですねえ」
「賛同できんようだな」
「というほどでもありませんが」
「そなたが疑義をいだくのは、司空の忠節に対してか」
「そうですねえ。
あるいはまあ、漢の世の永続が、どこまで必然といえるかどうか―――」
独白のような呟きを宙に投じかけたまま、崔林は結局しめくくらなかった。それは、今までにも増して厳かな力を宿しはじめた従兄のまなざしを恐れたからというよりは、このくつろいだ散策の場で終わりの見えない議論を始めるのはつまらんことだ、というように見受けられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます