第111話 夏のシネマ、私情


 彼は手に止まった源氏螢を両手で覆った。


 私は鈍るような小さな悲鳴を出した。


 いけない、潰れてしまったら可哀想だよ、と私は発作的に叫んだ。



「僕も七日間で死ねたらどんなに楽だろう。憎いよ、凍えてしまいそうなくらい、この若さが憎い」


 私は反射的にぶるぶると震えながら目を瞑った。


 夏に集く蟋蟀が叫ぶように鳴く声がする。


 その拍子に合わせるように雨蛙も鳴き始め、滑稽な鳴き声が逆にその切なる悲鳴を体現していた。



「目を開けてごらん」


 その甘美な声に導かれるように私は恐る恐る双眸を開けた。


 藍海松茶(みるちゃ)色の夜空の下、彼の手から、旭日に反射した朝霧のように二匹の螢が飛んでいった。



「そっと包み込んだだけだよ。二人で逢瀬を楽しんでいたんだね。僕の手の中で」


 急に疲労感が押し寄せたものの、ああ、良かった、と取り合えず、安堵した。


「恋螢は儚いね。僕は僕で生きないといけない。このひと夏のシネマが閉幕しても生き延びなくちゃいけないんだ」


 流言飛語が飛び交う、乱世の月の都で、幽閉された若き貴公子のように幽玄な少年は、月並みにも思えない私情を吐くのだった。



「私は応援するよ。真君が前向きになったら私はそれだけでいいの」


 エールのように唱えた私の口調も、女らしさを前面に纏った声だった。


 火中で身を焦がした恋人を一途に恋い慕う、水の乙女のような声。


 私は厭々ながら夜気と湿った唇を少し犬歯で噛んだ。



「どうして、ここに来たの?」


 それを最初に尋ねなかった理由はなぜだか、皆目知ろうともしなかった。


「あなたはどうして、ここにいるの?」


 

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