第102話 障害の有無、ドライフラワー
詩編なんて辞書のページを丸々飲み込んで、飲み干したわけじゃないにそう、易々とは諳んじられない。
勝手に花の生命の墓場から才能を線引きされるだけ、と目に見えている。
「この前、ずっと愛好していたとある文芸誌から『発達障害の人は感性がないから小説も書けなければ、読むのもしない』ととある文芸評論家が意気揚々と対談で言い合っていた。実際、専門書にも断定的にそう、紹介されているから、それが真実なんだろうけどね……。僕はHSPでもなければ、普通の仮面をかぶった道化師でもない」
感性の価値基準って曖昧だし、その境界線も微妙すぎるんじゃないか。
「僕ら発達障害者はドライフラワーなんだろうね。HSPや普通の人が華々しい、生花だとしたら、僕らは感性が枯れ果てたドライフラワー。僕には妙な親近感を覚える」
「ドライフラワーにも長所はあるよ。私は好きだもの。感性の基準と、ドライフラワーの枯れた具合をどうして、そんなに気にしてしまうの?」
「僕はまだ若いのにとうに枯れ切ってしまったんだね。だから、こんなところにいる」
「感性は測れないよ。普通の仮面をかぶった道化師なんて素敵じゃない」
「そうかな。前に歌会に入団している、という男性看護師から『君はASDなんだから文学は一生かかっても理解できない。理解しているように見えるのは錯覚だし、君の甚だしい勘違いさ。表面的なところしか、理解しないのが君らの第一の特性なんだ。もう一度、専門書や新書をじっくりと読むといい』って。まあ、僕が彼の拙い語彙力を補ってあげた。彼は哀れなほど、言葉を知らなかった。いっぱしの歌人なのに」
君の憤り、私は知っているよ。
私も障害の有無で選別する、一部の専門家には懐疑的だな。
感性の有無をなぜ、専門家集団が切り分けしないといけないのだろう。
「歌人でも辞書や歌集、古典を読まない人っているみたいだし。拝金主義に走る文人もいる」
君の文学への真摯さは惚れ惚れするほどだった。
「ドライフラワー。花の選択は僕の好み」
私は春の夕間暮れに彼に囁く。
「今から、そのドライフラワーショップに行かない? 外泊届をこっそり出して」
夕月夜もそのうち足音を伴ってやって来る。
腕時計で確認したらもう、バスの出発時間前あと少しだった。
私たちは再び、病棟へ戻り、白い閉鎖病棟を後にした私たちは外泊届を出して、そのドライフラワーショップへ向かった。
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