第100話 桜のドライフラワー


 そのロンビス・エッグ・ブルーは見かけによらず、生粋の青い卵だった。


 自然界には希少な青い卵は萱でできた鳥の巣の中に大事に仕舞われている。


 


 私は磔刑を下された聖者キリストが死に際に、娼婦アグダラのマリアと共に唾をかけられ、罵倒され、最大限の層を飲み込みながらも、最期は赦し、天上へ誘われた軌跡のシーンを想った。


 ここにいる、孤愁の闇路を行き交う少年が、聖者キリストと同類に語るのも烏滸がましいのだけれども、少年にはそれ程の悲哀が似合う。


 ロビンス・エッグ・ブルーのようなアンニュイな青さのような行く春の蒼天は清々しい程、生命力に満ちていた。



「真君は博学なんだよ。病状が落ち着いたらきっと大学進学だって夢じゃないよ」


 私が何の気なしに言った誉め言葉に彼は過敏に反応したように口を荒げた。


「どんなに教養に憧れても負け組には無縁だよ」


 彼の荒々しい愚痴には拙くはない怒気が含まれていた。



「どんなに足掻いても、水鳥に生まれなければ、天空へは羽ばたけないように人間だって個々事情があるように、夢みたいな希望を簡単に抱くものじゃないのさ」


 彼の投げやりに見える愚痴にも共感できないわけはなかった。


 私だって天界を見上げてばかりで、見下ろす機会なんて本当に過少だったから。



「桜はすぐに散ってしまう。僕の行き着く先の人生の序盤のように」


 夕さりの桜の木は、それは息を吹き返すように美しかった。


 愚昧に溶け合った日常の中で毎度、落ち込んで地下深く叩きつけられても、時間が経過するにつれ、立ち上がった出発点のように、夕間暮れの桜はかすかな幸せに満ちていた。


 西日が差す彼方の空に三日月が見える。



「この桜もドライフラワーのように半永久的に残せたらいいのに」


 君が言い放った桜のように儚い願いを私は飲み干した。


「ドライフラワーってあのドライフラワーだよね?」


 私が尋ねると、憂いのある顔立ちのまま、彼はクスっと笑った。


「ドライフラワーは剥製に似ている。横溝正史の小説に登場する、生人形のように毒素が漂っているような怪しげな微光がある。僕はアングラな世界観に関心があるんだよ。古典的なデガダンス、たまらないよね。ドライフラワーもよく似ている」


 夕桜はこの世界から仲間外れを宣告された私たちを物欲しげに見守っていた。


 


 こんなに満開の桜の樹の全ての飛花流水をドライフラワーとして、歳月を閉じ込められたら、と文学に疎い私だって浮足立つ。


 こんな閉鎖病棟の中庭にある花樹だって、見方を変えれば、不吉なアンダーグラウンドの叡智を収集したドライフラワー商人が欲しがる、献品のようにも見えるのだ。



「真依ちゃん。これ、プレゼント」


 彼が懐からある物を取り出した。


「君に似合うと思って」


 それはドライフラワーの小さな花束だった。


 思いがけない私にとってこれは予想外だった。




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