第19話 甘い水


 蛇が帰って来たのはそれから、間もなくだった。


 相変わらず頼りない目つきのまま、ぶすっと家の中に入ってきた。


 夕飯も一緒に食べたけれども、会話はない。


 蛇はあまりご飯をがつがつ食べない。


 私のほうがたくさん食べるくらいだ。




 ご飯を半分以上も残して、蛇はまだ、六時半なのにお風呂に入る準備をし始めた。


 蛇がお風呂に入っている間、私もテレビをぼんやりと見ていた。


 トイレに行く途中に脱衣所に行くと、ドライヤーが動く音がした。


 蛇がドライヤーで乾かしている。


 慣れない。


 テレビに夢中になりすぎた。


 蛇ってこんな黒い眼をしているんだ。


 万年筆が白い紙に落としたインクのように混じりけのない黒色で、前髪が重たげに垂れていた。


 塑像のようななだらかな胸には隠したい、でも、隠しきれない、小さな秘密がくみ取れる。


 この人、何か、重大な秘密を抱えているような気がする。


 じゃないとこんな眼をしない、どうしたのよ?


 どうかしている。




 パジャマや下着が落ちた。


 ブラジャーとパンツ、ぼろぼろになった赤い半袖のパジャマ。


 女になるための儀式の道具のようなアイテムが散らばった。


 本当は何もつけたくないのに。


 見られたかな。


 こんなもの、見られたくない。


 見ないから、こんなもの。




 バスルームに入ると得も言われぬ香りがフッと入ってきた。


 新しいシャンプーの香りだ。


 頬がじりじりする。


 煮えたぎるような、紅茶の中にプカプカと浮いているような気がした。


 ワインカラーのような緋色で、まろやかな完熟した桃も入っている。


 シャワーを流しながら、女になるんだ、無理やり、と私は子供じゃなくなる身体を見ながら思った。




 ここが、膨らんでほしくない。


 痒い、ムズムズするから、まだ大きくなってほしくはないのに。


 そして、蛇がここで裸になって髪を、手首や腰や足指を洗ったんだ。


 腕に赤い傷を抱えたまま。


 ぷかぷかと湯船から秘密を隠した、白い湯気が私の頬を煽る。


 ラベンダーの香りがする。


 お湯の色が少し黒くなっている。


 私は甘美な想いに駆られながら、足指がじりじりと震えた。


 雫がお湯の中に落ち、風呂からが上がると洗面台にある、ドライヤーが微妙に傾いていた。


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