第18話 恋の双葉


「それはないよ。真君が前の学校について一切話さないのはきっと私立中を退学して引け目を感じているからだよ。それに私立中の進度ってすごく速いんでしょう。二年間で中学の全範囲を終わらせてしまうんだって。だから、その蓄積があるから多少勉強しなくてもいい成績をとれるんだよ」


「あのな、真依。俺の気持ちもちょっとは考えてみろよ。勉強が苦手な誰かさんにはわからないけれど、怠け者が簡単にとんとん拍子でいい成績を取れるって悔しいんだよ。これで小さい頃から塾に通っている連中なら偏差値が高くても納得できる。だが、何の努力もなしに俺の順位をのうのうと抜きやがるのは問題だよ。すげえ、悔しい」


 ここまで嫌みたらしく言わなくてもいいんじゃないかな。


 露骨に名指しされるより匿名で名指しされたほうが、よほど嫌味に感じる。


 優秀なお兄ちゃんがこれまでとなく悔しがっている。


 ここまで悔しがるのも珍しい。




「お兄ちゃんこそ贅沢な悩みを持っているよ。真君はお兄ちゃんより順位が低かったんでしょう? 文系の科目が完璧でも数学で足を引っ張ったから学年で十番以内くらいでしょう。お兄ちゃんは常に一番なんだからいいじゃないの?」


 慰めの言葉をかけても無駄だったようだ。




 「数学で足を引っ張ったっていっても、あいつの点数は八十二点だぞ。理科が七十九点。英語が八十六点。俺は全科目の平均点が八十九点だったから科目によっては越されそうな科目もある。社会と国語に関しては俺を越したんだ。しかも、俺の順位まであと一歩のところだ。悔しい、悔しい、すごく悔しい。あんな変人、根暗……、どんな綽名をつけても腹の虫が収まらない!」


「お兄ちゃんよく他人の点数も確認できたね……。真君がちょっと変なのは知っているけれどそれは言いすぎじゃないかな」


「お前は黙っておけ! ああ、ああ。もう、たまらん。何か裏にある!」


 兄の愚痴は止まらなかった。


「俺だって話しかけたんだぜ。引っ越し初日から挨拶もかねて話しかけたら、何の、何のあの馬鹿はわざと無視をしてクスクスと笑っていたよ。そういや、真依もあいつと喧嘩して父さんから怒られていたな。難儀なことだ。可哀想だったな、真依。お前はあいつと何か話したか?」


 質問されてドキッとした。


 蛇があの女と同じだ、と言われたことを拍子に思い出して、急に背筋が寒くなったからだ。


 蛇にはあの女と言うくらい憎んでいる女性の存在がいることを。


 冷たくコンパスの針を爪の間に入れ込むようなそんな鋭さで突き放した言葉だ。




「ううん、あまり話していない。真君は本がすごく好きみたい。私や莉紗たち、クラスの女の子たちが知らないのような小説を読んでいた。外国の詩集とか外国文学全集とか普段私が手に取らない本を机の上にいっぱい積み上げて読んでいた。国語の成績がいいのはよく本を読んでいるからだよ」


「ふん! いい気味だぜ、今のうちだけだ。気楽に読書に没頭できるのはせいぜい夏休みが終わるまでだ。なあ、気になっていたんだが、話してもいいか?」


 兄は咳払いをして一直線に言った。




「お前ってひょっとしてあいつに気があるんじゃないか?」


 反抗の言葉が浮かぶ前に私はピクリと一切身体が動けなくなってしまった。


 背筋に丸太棒が突き刺さるような感じがする。


 そうかも、と思うと人って案外何もできないかもしれない。押し問答を貫き通すのは無理があった。




「はああ、無視をするっていうのはやっぱり気があるっていう証拠だな。あんなやつのどこがいいんだよ? 俺が女だったら真っ先に嫌いリストにあげて避けるな。あれはおかしいから関わり合わない方がいいよ」


「違うってば! お兄ちゃんの妄想だよ。ほらお兄ちゃんは真君のことをお父さんの隠し子じゃないかとか、わあわあ言っていたよね。また、お兄ちゃんの例の妄想だよ、妄想だよ……」


「お前の顔、赤いぞ」


「嘘よ! 絶対にお兄ちゃんの勘違い!」


 お兄ちゃんはその場で含み笑いをして一階へ降りて行ってしまった。


 どうしよう。


 顔が赤いのは本当だろうか。




 試しに手鏡で確認してみたが、いつもと変わらない自分の顔がある。


 良かった。お兄ちゃんは冗談を言っていたんだ。


 まさか、あんなやつに好意があるわけない。


 何かの間違い、間違い。


 口でぶつぶつと唱えてみたがやはりダメだった。




 今日は年に一度の七夕の日。


 離れ離れになった恋人が会いに行ける日。


 彦星が涙の欠片を持って思いが秘められた白い絹を織って待っているわ、織姫さまがって、考えすぎだよ。




 迂闊に酔いしれたらいけない。


 恋とか愛とかは関係ない私なんだ。


 恋を拒絶しなくちゃ。透明な少年に好いてはならない。


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