第16話 相合傘


 今そう言われたよね?


 そうだよね、と心中で問い直す。


 何よ、それ。親しげに『ちゃん』付けで呼ばれるほど私は可愛くないよ、と思うのも自分が意識しすぎているのをダメだよ、ダメだよ、と心の中で諌めるのが精一杯で、顔に自分の本意が書かれていないか冷や汗をかいてしまった。


 恥ずかしい、恥ずかしい。


 地球が半回転しても避けたくなる。


 それよりも驚いたのは能面の顔の蛇がにこやかに笑っていることだった。




 蛇が笑っている。


 今までで一番華やかに笑っている。


 作り物の笑みはすごく不自然だった。


 頬が引きつって唇は微妙に揺れている。


 目も細めて笑っているようにしているつもりなのかもしれないけれども肝心なところが抜けている。


 どこからかやって来るつむじ風みたいにあれは何だったのかな、と後から謎を追いかけてしまう。


 笑顔という割れた卵の殻に変身してしまう。


 蛇は心底からは笑ってはいないのだ。


 心と笑顔を作りだす筋肉が一致していない。




「真依ちゃんって僕と似ているところがある」


 どこが?


 どこが似ているのよ?


 クルクル回り続ける走馬灯のように疑問符が頭に浮かんだ。


 しかも、真依ちゃんだなんて馴れ馴れしい。


 すごく気味が悪い。


 あんなにさっきは喧嘩したのに急に親しく言うな、と言いたくなる。


 心の中で呪文のように不満や悪口が飛び交った。




「どこにも似ていないよ!」


「冗談だよ。君の家は幸福を絵で描いたような家だから、僕とは関係ないよ」


 言葉を詰まらせてから、蛇はつい口走ってしまった綽名の件を追及した。


「君も吹き出してしまうような悪趣味な綽名を陰でこっそりと呼んでいるところが僕に似ているなあ、と思って笑ってしまうんだ。後ろからこちょこちょと掻かれた歯がゆい感覚を思い出して、谷底に自分から足をぶらぶらさせや気分になる。ああ、仲間がいるなって少しだけ安心したよ。世の中は案外狭いんだなあ、と新たに発見してしまった。とにかくあいつらとは違うよ。光生や君の親みたいに心が常に幸福で満たされている人とも違う。あっ、言い過ぎたかな。さあ、帰ろう。僕は先に帰っておくよ。小雨だし、走って帰ればそんなに濡れずに済むよ。傘は君が使って」


「本が濡れるじゃない……」


「じゃあ、一緒に傘を使う?」


 迷った。本当に迷った。


 どうしようの反復が半端ではなかった。




 相合い傘なんてノスタルジーを引きずるにも限度がある。


 絶対に近藤君や莉紗に見つかったら明日から延々と冷やかされる。


 冗談じゃない。


 すぐに反論してマシンガンのように口からお断りの言葉を飛び出させた。




「いい! いい! 私は走って帰るから!」


 図書館から家までは一キロくらい離れている。


 ここから全速力で走り続けるのは普段ならきつくて考えられないが、今日はあまりの恥ずかしさで距離とか、どうでもよかった。




 そして、そぼ降る雨が何よりの救いだった。


 ドキドキとして混乱しているのに大雨でも降られたら身も蓋もない。


 図書館の建物が完全に見えなくなり、メインストリートを渡ったくらいからだろうか。


 足が悲鳴を上げて、向こう脛が痺れて痛い。


 弁慶の泣き所に当たったからか歩くのが限界だった。


 とっさに振り返ると、まだ、蛇の姿は確認できなかった。

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