春負け少女
第14話 文学少年
どうして自分から行きたいと言ったのかも、今となってはわからない。
ふたりでトコトコと歩いて図書館へと向かっている。
その途中で会話があったかといえば、それはなかった。
その行先にはずの図書館も中学校に入学してからは、まだ一度も行ったことがなかった。
別に興味もなかったのだ。
朝の読書の時間もネット小説を主に読んでいて、これといって読書好きというわけでもない。
「真依さんってよく読む作家さんっているの?」
ほら来た。
読書の話題になると必ず出る約束事。
クラスには大の読書好きはほぼいないのに等しいけれど、ごくたまにあの委員長が、
『僕は坊っちゃんを読みました。ちょっと中学生の僕には難しかったようです。みなさんもどんどん教科書に掲載されている本を読んで読解力をつけましょう』
と半ば自慢なのか、スピーチタイムで発表していたから。
今どき文学少女・文学青年は珍しいね。
蛇はその絶滅してしまった文学青年なのだろうか。
蛇の年齢を換算すると、青年にはまだ達していないような気もするけれども、まさかの文学少年? とそんな言葉を造語するくらい、活字に親しんでいる私の周りにはあまりいない。
「あんまり本を読むのって好きじゃないかもしれない。どちらかというと苦手なほう」
「そうなんだ。じゃあ、僕が読んでいる作家のことはあまり知らないかもしれないね」
蛇が読んでいる作家や本のことなんて知ったことでもない。
別に本にかりとて関心あるわけでもない。
なぜ、こうしてわざわざ部活が休みの平日に図書館に行こうと思ったのだろう。
この町の小さな図書館の玄関に差し掛かっている。
薄汚れた硝子張りのドアを抜けると、職員が気だるそうにカウンターで座っていた。
私たちが入ってくるのを見るなり、最近、高原町の学生が図書館に来ないのかもしれない、物珍しそうに様子を窺っていた。
館内は定年退職をした暇なおじいさんが新聞を読んでいる以外は誰もいなそうだ。
奥の部屋までガランとして静かだ。
「好きに読んでいいよ。僕も自分の好きな本を選んでいるから」
蛇はすぐさま閲覧室に向かうと生まれて初めて見たような、格調高い表紙で作られた文学全集のコーナーに行って、そこで本を物色している。
文学全集がある本棚はカウンターのすぐ前にあって、もう何年も多くの人間から触られていなようだった。
ギュウギュウと並んでいる、分厚い本の数々は几帳面に天井に伸び、倒れてもいないし、手垢があまりついていない。
数々の文学全集から選ぼうとすると、表紙が未着しているためか、なかなか本が取り出せなかった。
その場で先ほどのようにぐずるのかと思えば、意外にも親指と人差し指で本の背を摘まみだし、ひゅるひゅると本を取り出した。
本を傷つけないようにやるコツなんだな、このやり方は、と感心した。
蛇が黙々と読んでいるなか、とりあえず普段自分が読むような本がないか、探してみた。
小学生が読むような絵がたくさん載っている単行本や昭和の時代に発行されたような日焼けしまくっている伝記本などが、南の窓側に並んでいたけれども、肝心のネット小説やライトノベルがない。
書店に売っている今、流行しているような本がここには全くないらしい。
時の流れが昭和のままで止まっている。
とりあえず、ぐるぐると回っていた。
狭い館内を一周するのにそんなに時間はかからなかった。
「お嬢ちゃん」
後ろからカウンターの前の新聞置き場に座っていたおじいさんが話しかけてきた。
「何のようですか?」
「お譲ちゃんは血捨木君の娘さんだよね。おじさんも同じ地区に住んでいるよ。確か名前は真依ちゃん。血捨木君には仕事でお世話になったんだよ。おじさんは血捨木君の建築会社で一緒に働いていて去年の春に定年退職をしたんだよ。真依ちゃんが小さい頃におじさんと会ったと思うんだけど覚えているかな?」
話かけてきたおじいさんは父の上司だったのだろう。
見かけも見かけだし、(白髪で頭が真っ白になっている)結構上の年齢の人だろう。
「おじさんは老けて見えるだろう。これでも六十代なんだよ。白髪染めした方がいいんだろうけれど、床屋が昔から嫌いでね。面倒くさくてあたふたとしていたらいつの間にか雪みたいに真っ白さ。血捨木君とは古い付き合いでね。真依ちゃんが保育園のときの頃から知っているよ。一回くらい夏祭りであっているんだけどね。覚えているかな?」
「いえ、覚えていません……」
世間話が好きなおじいさんなのだと思う。
おじいさんは目を細くさせていた。
「そうかね。町の夏祭りに会っているんだよ。真依ちゃんが朝顔をあしらった青色の浴衣を着て、お兄ちゃんの光生君が藍色の甚平を着ていたからよく覚えている。まるで昨日のことのようだ。で、さっきの子はボーイフレンドなのかい?」
その言葉に一瞬どきどきとした。
そんな怪しい関係じゃないよ、おじいちゃん! と思わず叫びそうになったが、ここではあえて冷静に対応した。
そのボーイフレンドという洒落た響きに何か甘いものを感じたような気がした。
「いえ、さっきの子は遠い親戚の子なんです。だから、彼氏とかではありません……」
「へえ。そうなんだ。おじさんと血捨木君は仲が良かったから、ある程度家族のことを知っていたんだが、あんな子は初めて見るね。最初はボーイフレンドかなと思ったよ。最近の中学生は男女付き合いがフリーなんだなあと思ってしまったよ。あの子はお父さんの方の親戚の子かい? それとも、お母さんの幸子さんの方の親戚の子かい?」
それを聞かれると何と答えていいのか、一瞬わからなくなった。
ええ、と蛇は私たちから見ればどんな関係になるのだろう。
それは今まで考えてもみなかったけれど、そう言われればそうだ。
あれ? 蛇は母方の子なのかな。父方の子なの?
考えてもいなかった。
そう尋ねられれば全く答えられないのに動じてしまった。
「ええ……。ちょっとわかりません……」
おじいさんはニコッと笑みを浮かべて、そのまま口を開けなかった。
きっと恥ずかしがっているんだね。
隠さなくてもいいんだよ。
おじさんはお見通しだよ。
ほほえましいね。
そんなふうに言われているような気がした。
そうじゃないんだけどな。
「あの子は本当に親戚の子なんです」
念を押してから、その場を立ち去るように早歩きで、カウンターの前の本棚に行くと、本を何冊か机に積んで本を熱心に読み耽っている蛇がそこにはいた。
話しかけたら普通に無視をしそうな雰囲気がある。
館内の時計を見ると、もうすぐ六時半になりそうだった。
それでも、蛇は延々と読み続けていて人を寄せ付けない雰囲気だ。
試しに声をかけようとしたら、本人から元の場所に戻し始めた。
「カードはある?」
蛇が尋ねてきたので、すぐにないよ、と答えた。
蛇はしょうがなさそうに渋々と本の山を片付け始める。
机の上にはアカデミックな文学全集や詩集が七冊も置かれていたから片付けるのは大変そうだ。
片付けるのには手慣れているようで、蛇は難なく散らばった本を片付けていく。
「手伝おうか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます