第10話 水滴


 部活がない、自由な放課後の時間もあの一件のことですべてが台無しだった。


 蛇がクラスに侵入してきたスキャンダルは、昼休みになる前には先生も含めた全校中に流れ出たようで、蛇は登校初日に生徒指導室に呼ばれていた。




 学校の帰り道、午前中は晴れていたのに雲行きが怪しくなり、遠くの空にはムクムクと膨らんだ朧雲が空に浮かんでいた。


 そぼ降る雨は次第に雨靄になって、見通しの良い田んぼに天から召されたインクを垂らしていた。


 頂に天鉾(あまほこ)を携える霧島山は漆黒の衣をかぶり、幽玄な墨絵のように浮かんでいる。




 重い足を引っ張りながらさらに前へ進んだ。


 ひんやりと沈んだ小糠雨は淡い水滴をこの世に撒き散らしていた。


 霧吹きにでも浴びたように道路はびっしょりと濡れている。


 地上は一切の光を受け入れない。




 傘をぶらぶらとさせていると向こう岸に人影らしきものが見えてくる。


「あっ」


 声が同時に響いた。


 目の前には噂の張本人の蛇がいた。


 気まずくなりながら当たり障りのない言葉をかけようとしたが、生憎口からは適切な言葉は手繰り寄せなかった。


 蛇はちぇ、お前かよ、と言いたげな様子でこちらを窺っている。


 初めて会ってから時間は経っていないけれども、何か健全な人にはありもしない心の氷柱があるような気がしてままならない。




 こいつと半年間、屋根の下で過ごさなければいけないから、多少は仲良くしたほうがいい。


 厄介ごとはごめんだから。


 前に住んでいた地域の話でもしたらいい。出身地がどこであるくらい教えてもらってもいいはずだ。思い切って話しかけてみる。




「ねえ。真君ってどこの出身なの?」


 意外にも蛇は振り返ってくれた。


「福岡」


 その一言だけだった。


 他にプラスアルファの情報を言ってもいいはずだ。


 これがずっと続くようだったら何か嫌な予感がする。




「福岡のどこなの?」


 蛇は口を閉じたままだ。


 頑なに上唇をしっかりとチャックしている。


 ふと下を見ると手が震えているのがわかった。


「どうしたの。何か悪いことでも言った?」


 手はブルブルと震える。全身に鳥肌が立ったみたいに震える。


 嫌な記憶が脳裏によぎったのだろうか。




「宮崎って福岡からするとすごく田舎なんだな」


 おまけみたいに宮崎の悪口を言った。


 宮崎県はもう、だいぶ前にあのタレント知事でブレイクしてからブームは去り、そして、陸の孤島であり新幹線も絶対に走らないくらいの田舎なのだ。


 あの知事が全国ニュースで牛と豚と鶏しか生息していない、宮崎をアピールしていたときはそれなりの注目を浴びていたけれど、そんな栄華も考えるだけで虚しく聞こえる。




 前に福岡に行ったのはいつだったかな。


 宮崎からは高速バスで走っても片道およそ四時間かかる福岡は、比べものにもならないほどのたくさんのビルとお店が建っていて人も多い。


 そんな宮崎県の愚痴を言えば都会出身の人には面白く聞こえるだろう。


 宮崎ってこんなに田舎なんだよーって。




「そりゃあそうでしょう。宮崎って電車が一時間に一本しか運行されないんだよ。福岡は駅ビルとかデパートとかたくさんあってずっと便利だもの」


 そんな呑気なことを口に出したのだが、それで良かったんだろうか。


「どうりで何もないんだな」


 また、話が切れた。


 何とか話を繋ぐ。


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