第9話 白粉の頬


「あんたの兄貴が僕の悪口を言い触らしたせいで、こっちの立場が悪くなったんだよ。あんたの兄貴ってすごく腹黒なんだな」


 蛇は白粉でも塗ったような白い頬に大量の皺を作っている。


 赤くなった皺は白い肌からすればシミが急にできたようにも見えた。




 何が必要でわざわざ一年生のクラスまでやって来たのかと思えば、そんなくだらないことだったのか。


 こんな親戚の子とひとつ屋根の下で息を吸わなければいけないなんて、考えただけでもゾッとする。


 蛇は昨日の泣き顔とは裏腹に完全に拗ねていた。


 転校してから早々と浮いた行動をよく取れるね、と半ば呆れながら反論する。




「真君はそれが言いたくて一年生のクラスまで来たの? そんなことはお兄ちゃんに直接言うことでしょう。何で私に聞かなければいけないの?」


 会話を切られた近藤君と委員長が初対面の蛇を冷ややかに見ている。


 近藤君はブツブツと小言を繰り返して、蛇に敵意をアピールしていた。




「三年生の方ですか。それなら勝手に教室に入らないで下さいよ。先生に見つかったら怒られますよ。勝手に入らないで下さい!」


「なあ、なあ。こいつ、見かけない顔しているけど、まさか転校生とか。そんなら転校初日から変なことをしてはいけないんじゃないのかよ。あんたの名前は何だ?」


 教室で繰り広げられている、ひそひそ話がクラスの空気を澱ませた。


「ここの学校は腐臭のたまり場だ。女は女で奇異な目で僕を見て嘲笑う。男は男でくだらない哄笑を繰り返す。白けたところに来てしまったよ。よりによって幼稚な人間が集まっただけの学校という雛型に来るべきではなかった」




「何だ。お前。うわあ、めっちゃ、腹立つ。こいつ誰だよ」


 蛇は幾分不快そうに近藤君を見下ろした。


「君はこうして確認するとくだらない趣味を持っているようだ。その髪型と服装を改めて修正したらどうなんだい。君にその恰好は全然似合っていないよ」


 いきなり悪意を見せつけられた近藤君は唇を曲げ、眉を吊り上げた。


 体育系の人間ならすぐにでも悪口を言いそうなものだが、近藤君はあえてそうはしなかった。


 すぐに後ろの子分を呼び、耳打ちしている。タイミングがかなり悪い。


 莉紗が蛇を指した。




「この人、真依が言っていたけれど、リスカをやっているんだって。真依が今朝話していた」


 うあわ、言わないでよ、莉沙……、と改めても莉沙の噂好きに歯止めは効かなかった。


 クラスにどよめきが走るのに無理はないと思った。


 改めてこうなってみて、莉沙に漏らしたのは一介の終わりだと悔やみきれなかった。


 代わりにあの蛇から睨まれるという最悪なシナリオが出来てしまう。




「勝手に話したのかよ!」


 蛇も黙っておけばいいものも、それならばれずには済むのに自分からリストカットをしているのを公言しているようなものではないか。


 こんな状況になったら。痛烈に感じながら謝罪の言葉を考えようと頭は混乱する。




 非難されても蛇は動揺せずにひたすらこっちの状況を窺っていた。


 睨まれても仕方がないよ。


 お喋りの莉沙に言うべきではなかった。


 あの偏屈人の蛇のことだ。




 さらに油に火を注いだのはまさかの近藤君だった。


 近藤君の一言に我慢がならなかったのだろう。


 蛇は「リスカ、リスカ。やあ、リスカ」と茶化している、近藤君を目がけて大きな拳骨をぶつけた。


「痛いっ! 何だよ。反抗したいなら手首を切らずに男らしく戦えばいいだろう」


 無論、近藤君はやり返すつもりなんてサラサラない。


 放課後にでもサッカー部の先輩や部長に蛇の悪口を全校中に流すのが手っ取り早いだろうから。


 妙な余韻を残した近藤君は部下を引き連れて自分の席に座った。




 ここからが危ない。


 早く蛇を三年生のクラスに引き戻さないと。


 私が謝るんだ。


 ここで昨日みたいなパニックでもされたら、私やお兄ちゃんまで顔に泥を塗られてしまう。




「こんな訳知り顔の人間がいるクラスに僕は謝りたくないね。息を吸うだけでも窒息死しそうだ」


 委員長が蛇に対して抗議をしようとして、涙が瞼から滲んでいる蛇を止めた。


「いいですか。勝手にほかのクラスに入らないでください。あと暴力の件は先生に報告しておきますから。名前を言ってください。どこのクラスですか。人が話していますよ」


 絶対に無視をする。


 蛇はこんな性格だから絶対にする。


 尻拭いをするのはこっちなのに。




「三年の一組。日野真だよ」


 彼は大きな足音を立てながら三年生の教室に戻っていった。


 狼の食い逃げの跡のように気まずい雰囲気に立たされた。


 クラス中の二つの目がこちらに注がれているのが分かる。




 話が絡まり、しまいには頭が真っ白になる。


 どうしよう。


 近藤君たちは悪口を全校中に流すだろし、これから悪い経過になることだけは明らかだ。


「僕があの三年生の先輩も含めて先生にあらかじめ報告しておきます」


 委員長の鶴の一声を出したおかげで、事態は解消された。


 その五分後に先生が職員室から戻って来て、教壇の上に立った。


 先生はもちろん今日に転校生が来ることを生徒に告げたのだった。



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