第5話 言えない言葉

 暫く眠っていたキャロルは目を覚ますと大きなあくびをしながら体を伸ばした。

 「随分よく寝てたな。 寝不足か?」

 眠そうに目を擦るキャロルと視線が合う。

 「私の部屋まで起こしに来るなんて……そんなに早く会いたかったの……?」

 寝ぼけながらもニヤリと笑うキャロルに朝風は苦笑いを返した。

 どうやら自分の部屋に俺が起こしに来たと勘違いしているらしい。 英語で話かけられたし。

 「ここ俺の部屋。 それ俺のベッドだからな」

 キャロルは一瞬、何バカなこと言ってるのよ? と言いたげな顔をするも辺りを見回し状況を理解したようだ。

 「私に何したの……? なんだか凄くひどい目にあった気がするんだけど……」

 キャロルは両腕で自分の体を抱くように守りながら訝しげな視線を向けてくる。

 「何もしてねえよ! 良くも悪くもな!」

 「そう。 あんたにそんな度胸があるとも思えないし信じてあげるわ」

 覚えてないならさっきの出来事は胸に仕舞っておいてやるか……

 朝風は少し勝ったような気分で適当に頷いていた。

 「でも、私の寝顔を視姦した罪はキッチリ償ってもらうわ!」

 「人の部屋でぐっすり寝てた癖に横暴じゃね!?」

 キャロルは眠気ももう覚めたのかいつものようにニヤニヤしながら距離を詰めてくる。

 「そうね……じゃあ、海に連れていってくれたら許してあげるわ。 あ、私たち以外居ないお忍びな場所限定ね」

 どうやら朝風が償いに言う事を聞くのは決定事項らしい。

 海か……

 朝風は遠いトラック島の美しい海で感じた寂しさを思い出していた。

 「いいぜ。 俺もキャロと行きたかったから……」

 「やけに素直じゃない? なんか調子狂っちゃうわ」

 面倒そうに相手されると思っていたのかキャロルは面喰らったようで、でも少し嬉しそうに呟いた。


 荷物を取りに帰ったキャロルと待ち合わせして思い出と同じ浜辺へと向かう。

 あのとき素直に言えなくて後悔した言葉を今日は素直に言葉にして伝えよう。 

 朝風は緊張しながら着替えて戻ってくるキャロルを待っていた。

 「お待たせ……アサカゼ……」

 少し恥ずかしそうに着替えたキャロルが戻ってくる。思い出と同じ日本では見かけない少し露出度の高い水着。

 潮風を受けてひらりと舞う金色の髪に対比するような鮮やかな赤の水着に身を包む白い肌が眩しかった。

 今日は頑張るって決めただろ俺……。

 「綺麗だな……凄く良く似合ってる……」

 月並みな言葉しかでなかった。 でもやっと伝えることができた。

 「あ、当たり前じゃない! でも……ありがと」

 キャロルは素直な褒め言葉に耳まで赤くして、はにかんだ笑顔を見せてくれた。

 その笑顔は夏の日差しよりも眩しく、寂しさで霞んだトラック島の海よりも綺麗だった。

 もう一つの伝えたかった言葉。 大好きの気持ちは先の未来にっとておく。

 今の俺ではまだ足りないから。 でも、長くは待たせないからな……

 だからいっぱい笑ってくれ。 その眩しい笑顔で俺をその時まで……支えてほしい。

 お前が笑って居られるように頑張るから。

 「遊ぶぞキャロ!」

 いつもは引っ張られることの多かったキャロルの手を取ると海に向かって駆け出した。

 「ちょっと、どうしちゃったの! アサカゼ!」

 驚いたフリをしつつも溢れる笑顔を隠せない様子のキャロル。

 「お前とたくさん遊びたいんだよ!」

 昔されたのと同じようにキャロルを抱き寄せるとそのまま海に倒れ込んだ。

 「冷たくて気持ちいいよな!」

 「もうばか! 髪まで濡れちゃったじゃない!」

 キャロルがバシバシと水面を叩くたびに海水が跳ねる。

 「やったな?」

 「海遊びなんだからいいじゃない!」

 二人は空が赤く染まるまで遊んでいたのだった。


 ——夕方

 キャロルと朝風は浜辺の小屋に居た。

 「七月上旬はまだ海に入るには早かったか……」

 「私は飛び込むつもりなんてなかったのよ……?」

 「それはごめん……」

 すっかり身体が冷えてしまった二人は小屋に駆け込み手短に着替えを済ませ毛布に包まっていた。

 「まぁ……楽しかったから許してあげるわ」

 「そりゃどうも……許してくれたお礼に温めてやろうか……?」

 朝風は肩から被った毛布を両腕で広げてみせる。

 「じゃあ……お願いしようかしら?」

 予想外の素直な返答に腕を広げたまま固まる朝風を知ってか知らずかキャロルはそっと抱き着いた。

 「これは仕方なく……なんだから。 別にアサカゼに抱きつきたいとか思ってないから……」

 「俺も別に……キャロが寒そうにしてたから仕方なく……」

 朝風も仕方なくと言い訳しながら毛布の中で優しくキャロルを抱きしめた。

 震えるほど寒いはずなのに体の内から熱くなってくるのを感じる。

 ぴったりとくっ付いているのでキャロルの表情を見ることはできないが触れている身体が熱を帯びてくるのがわかった。

 「手が寒くて仕方ないんだけど……握ってもいいか……?」

 「私も寒かったから……」

 キャロルは背中に回していた腕を解くと朝風の両手を握った。

 寒かったと言う割にキャロルの手は温かかった。 お互いただの口実だから。

 きっとキャロルも繋いだ朝風の手に同じことを思っている気がした。

 「ねえ、アサカゼ。 聞いてもいい?」

 「どうしたキャロ?」

 身体を密着させ手を繋いだままキャロルが話しかけてくる。

 さらに熱くなってくるキャロルの身体に胸の高鳴りは止まらなかった。

 「こんなに素直になってくれたのは……私を……選んでくれたってこと……?」

 そんなの出会ったあの日から選んでるよ……

 でも、まだそれは言えない。

 「アサカゼ……?」

 繋いだキャロルの手が少し震えたような気がして強く握り返す。

 「ごめん。 その質問には答えられない」

 本気でキャロルを好きだから。 幸せで居てほしいと思うから。

 「でも、米国に留学して俺の夢が……世界が、動き始めたら。 その時は……」

 「その時は……?」

 「今抱きしめても伝え足りない分を埋めても……いいかな?」

 「わかったわ……」

 キャロルは少し悲しさや寂しさを含んだ声で言った。

 そんな声出さないでくれよ……こっちまで寂しくなるだろ。

 「でも、この手はもう絶対離さないと約束しよう。 俺はキャロルを誰にも渡しはしないし、俺もキャロル以外のものになるつもりはないから」

 決心を、気持ちを伝えるために、キャロルの手をもう一度強く手を握った。

 「ふん! 待たせた分の利息はきっちり払って貰うから。 銀行さんもびっくりな暴利なんだから覚悟することね!」

 キャロルはバッと朝風から離れると小屋の扉を開ける。

 俺だってお前のいない五年間分の気持ち溜め込んでるんだぜ? 覚悟するのはお互い様だ。

 「帰るわよ! アサカゼ!」

 「おいおい、待てよ……」

 朝風は前を歩くキャロルを追うのであった。

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