第三章 桜色と白群-3
◇
「葵? そんなに思い詰めた顔してどうしたの」
僕が意識を取り戻したのは、そんな母の言葉が聞こえたからだ。
今日は、久し振りに両親が早く帰ってきていた。
夕方18時頃。丁度小腹が空いたので、下に降りて何か口にしようと思い自分の部屋から出て階段を降りている時だった。何時もなら0時過ぎになってからではないと開かないはずの玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
「お、葵、降りてきてたのか」
「……おかえり。今日、早かったね」
僕は、少し焦っていた。酒木と買い物に行ってから、もう6日経ってしまったのだ。いよいよ、明日百瀬と祭に行く。だから、少し心の準備をしたかった。何時も両親は深夜過ぎに帰ってくるから、その間にリラックスしながら考えようと思ってたのに。両親が帰ってきては、そうはいかない。
「今日は、思いの外用事が早く終わったの。家族3人で過ごすのは久しぶりね」
「うん……そうだね」
僕の母は、家族の時間をとても大切にしている。「早く帰ってきた日には、家族でゆっくりと過す」というルールを小学校の時に母が決めた。それ以来、その約束を破ったことはない。
実際、僕も小学校の頃は両親が居なくて寂しかった事が何度もある。他の家の子は帰れば、又は夜になれば親が居るのに、僕は違った。帰っても親が居る時は年に数回しかなかったし、大体は夜遅くに帰ってくるから会うことは殆どなかった。小学生の頃なんか、親が居なくて不安と思うのは当たり前だと思う。
でも僕が思うに、それはせいぜい小学4年生か5年生までだろう。
中学生になれば、親と離れる時間は多くなる。それを僕は知っていた。だから、もう小学4年生の時には割り切っていた。家に帰れば居るのは親ではなくお手伝いさんだったし、そのお手伝いさんも無愛想な人で余り喋った事もなかった。だから、どんな人だったのかも分からない。ただ、一つ言えるのは子供が好きではなかったんだろうという事だ。
確か小学3年生の時、一度だけそのお手伝いさんが電話で話しているのを聞いたことがあった。
「私、子供嫌いなんだよね」
何を話してたか分からないが、その一言だけははっきり分かった。幾ら無知な子供だったとしても、その言葉を理解できる年だった。
それから数年経って、中学生になった時そのお手伝いさんは辞めていった。
僕もあれ以来そのお手伝いさんと話しすことはなかったから、辞めるときも何も知らせもなかったし、悲しくもなかった。それに、何時もお手伝いさんが居たとしても一人だったし、一人で居ることに慣れていたから「今日から一人」と急に言われても問題なかった。
それから、両親と離れていても何も感じなくなった。逆に居ると落ち着かないし、話題に困る。だから、今日という日は一人でゆっくり考えようとしていたのに。
「そうだ、折角だから一緒にご飯食べましょう! 葵、何時も私達の分までご飯作ってくれてありがとう」
「葵、お前段々料理の腕が上がってきたな」
中学1年の時、自分のご飯と一緒に両親の分のご飯を作ったことがあった。何時も居ない両親が今何をやっているか分からないけど、勤労感謝の日位は息子として、なにかやっておこう。そう思って下手くそな料理を作っておいたことがあった。その次の日は、両親からの感謝の手紙が置いてあった。嬉しくないわけではなかったが、こういった事は余り経験がなく、どう返事をすればいいか分からなくて、ただ一言『ありがとう』とだけメモに書いておいた記憶がある。
それから僕は一週間に一度、両親の分のご飯を作るようになったが、時が経つに連れて作る日が増えていき、今では毎日作るようになった。幼少期から褒められる事に慣れていなかったが、やはり今でも
急に褒められるとどう返せばいいかよく分からない。
「うん……良いんだ……ありがとう。それより、今日はまだご飯作ってないんだけど」
「あら、じゃあ今日はお母さんが作るわ!」
「えっ……いいよ、僕が直ぐ作るから。母さんと父さんはゆっくりしてて」
「葵……こうなったらもう、母さんは止めても無駄だ」
父は苦笑いしながら2階へと上がって行き、母は意気揚々とリビングへ入って行く。僕も、母の後を追っていきソファに座ったが、どうも落ち着かない。
「葵?」
「な、何? 母さん」
ちらっとキッチンの方を見ると、冷蔵庫の中から食材を出しているところだった。
「学校どうなのかな? って思ってね」
「……うん、それなりだね」
両親が居ると、毎回と言っていいほど学校の事について聞かれる。そして、僕は何時も通りの答えを言う。
でも、今回は何時も通りではない。
初めて「友人」と言える友人が出来たし、それに、百瀬の事もある。だからといって、両親に正直に話すつもりもないが、一瞬説明に困った。それほど、百瀬と酒木の存在は僕の中で大きかったんだろうか。なんだか、むず痒い気持ちになる。
「それなりって具体的にはどんな感じなんだ?」
「うわっ」
何時の間に入ってきたんだろうか。僕の一つ隣に腰掛けていた父は、薄笑いを浮かべながら僕の方を見ていた。
「なんだ、そんなに驚かなくても良いじゃないか」
「……何時入ってきたんだよ」
「母さんが学校はどうかって聞いてた時からだな」
まさか、そんな最初から居たなんて気づかなかった。
「どうだ、久々に話そうじゃないか」
こうなった父は、もう駄目だ。父の納得がいくまで話し合わなくてはならない。
僕は小さく息を吐きながらソファに沈み込んだ。
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