第二章 君が居た世界-8
「百瀬?」
ドアの方に向かって声を掛けると、「葵君、お待たせ」と言って、百瀬が走ってくる。
教室内に居るんだから、走らなくて良いのに。
「ごめんね、委員会の仕事が終わらなくて」
「いや、そんなに待ってないから」
それに、何時も丁寧に仕事をしているのを僕も知ってるから。
なんて、そんな事を言えたならどんなに良いだろうか。
「良かった! ねぇ、葵君、本当にお願い聞いてくれるの?」
「……最初に言っただろ。ご褒美は好きなの決めといてって。それに、百瀬頑張ったんだから」
少し微笑んで言うと、百瀬も嬉しそうに笑った。
「本当? それじゃあね……」
◆
ガタンッガタンッ
『次は○○ー○○ー、お出口左側です』
冬の朝は暗い。それに、始発となると余計に外は暗い。
もうそろそろ年末だ。今年は、実家に帰ろうか。そして、春の家にも挨拶に行こう。そう決めた。
だが、まずは仕事だ。今いる場所から、仕事場まであと1時間もあれば着いてしまう。仕事が始まるまでかなり時間はあるが、早く着く分には問題はないだろう。
僕は百瀬と別れた後、医者になった。小児科医だ。
僕は、幼少期から医者になるように父から言われてきた。何故なら、僕の父は医者だからだ。母は看護師だった。
だから、父は学生時代の時から勉強に関してはずっと厳しかった。毎回、父が出す課題をこなしてからじゃないと好きな事はできなかったし、その膨大な課題と学校の宿題を毎日やらないといけないのは、本当に地獄だった。進路先の高校も大学も、全部父が決めていた。でも、僕は特に反抗しなかった。嫌だと思った事も何度もあった。でも、反抗したところでなんにもならない事を、分かっていたんだ。だから、高校を決められたときも何も言わなかった。ただ、それを見兼ねた母は、「高校に行ったら、この先の将来が大分変わってくるの。だから、葵が本当に行きたい高校を選びなさい」と言ってくれた。
だが、僕は父が決めた高校に行くことにした。本心を言えば、全く行きたくなかった。理由は、父が選んだ学校はかなりの名門校で、有名な医者達の殆どがその高校の卒業生だったからだ。そんな高校に行ったら、息が詰まって生活しづらいに決まってる。それに、その高校は偏差値が高いことでも有名だった。そんな高校に僕なんか受かる訳が無い。それに、落ちれば父も僕を医者にさせるのを考え直すかもしれない。そんな期待を抱いて、僕は高校の入試に挑んだ。
だが、結果は合格だった。
その結果に、両親ともに大喜びしていたが、きっと僕は絕望した顔をしながら笑っていただろう。
でも、そのお陰で僕は春と出会えることができたんだ。その点では、父には感謝しかない。
それに、父は勉強以外のことに関しては優しかった。休日は一緒に遊びに行ったり、僕の交友関係に関しては口出ししなかった。だから、両親には、僕が医者になるまで様々なサポートをしてくれて感謝しかない。
『次は○○ー○○ー、お出口左側です』
そんな事を思っている間に、どうやら駅に着いたようだ。
ゆっくりと電車から降りると、冬の寒い風が吹き付けてくる。
「春……」
自分でも気づかないうちに、春の名前を口に出していた。
春は、冬が好きだった。
駅から出たとき、僕は今の季節とは真逆の夏の事を思い出した。
僕らの関係が変わった、あの透き通った夏。そして、まるで今吹いている冷たい、切り裂くような風のようだった冬。
この切りつけられるような風に向かって、春との思い出を噛み締めるようにゆっくりと歩き出した。
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