第30話 味方
夕食後、サッカーの練習で疲れた身体を引きずり机に問題集を広げて勉強していると、無遠慮に俺の部屋の扉が開かれた。
眉をひそめて扉に目を向けると、頬を赤くした結衣がズカズカと部屋に入ってくる。
『ノックくらいしろよ・・・』
俺が呟くとそれに結衣が言い返してきた。
『いいじゃん兄妹なんだから。それより聞いたよ。明日、サッカーの試合ってホント?』
結衣が腕組みしながら不満気な態度を隠す事もなく尋ねてくる。
誰から聞いたんだと思ったが多分、怜か若菜だろう。
真司が直接、結衣に伝えるのはないだろうから。
俺は舌打ちしたくなるのを必死で堪え、出来るだけ無表情を取り繕う。
そんな俺に結衣がムスッとして続けた。
『お兄ちゃんさぁ・・・どうして教えてくれなかったの?私、何にも聞いてないんだけど』
『忘れてた。悪かった』
俺は棒読みで結衣に謝罪した。
そんな俺に対して結衣はぴしゃりと言う。
『嘘。お兄ちゃんはこういうのは絶対忘れない。わざと言わなかったでしょ?何で?』
『わざとじゃない。本当に忘れてたんだ。最近、ちょっと・・・疲れていたんだ』
疲れいた。
半分嘘で、半分本当のその言葉に、ムスッとしていた結衣の表情が僅かに緩む。
彼女の問い詰めるような雰囲気が消えた。
その隙に俺は畳み掛けるように言い訳を並べた。
『本当に悪かった。次は真司から伝えて貰うようにするよ。あいつもその方が良いだろうし、それに・・・』
俺は結衣に喋らせまいと言い訳を続ける。
それを結衣は黙って聞き続け、そして一通り俺が言い訳を終えると、静かに言った。
『何かさ・・・お兄ちゃん最近、私の事避けてない?』
『・・・』
『私だけじゃないよ。真司くんも、怜くんも、若菜ちゃんも。中学に上がってからお兄ちゃんが前みたいに話してくれない、一線引いてる感じがするって言ってたよ』
『・・・』
『ねぇ・・・やっぱり何か変だよお兄ちゃん。いつも明け方まで勉強してるのも気づいてるからね・・・クマも凄いことになってるし・・・』
「・・・」
「ねっ、私じゃなくても、お母さんでもお父さんでも良いから・・・何か悩み事とか嫌な事があるなら聞くから・・・」
悩み事とか嫌な事・・・
それを言われた瞬間、俺の中でどす黒い何かが生まれてくる。
嫉妬と羨望を混ぜたそれは、喉元までせり上がり微かに言葉となって結衣へと漏れ出てしまった。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うるせぇな』
『えっ・・・?』
『悪かったって言ってるだろ。もう俺から伝える事はないって言ってるだろ。それじゃ駄目なのかよ?』
『お、お兄ちゃん・・・?』
俺の様子の変化に気づいたのか、結衣が若干怯えた様子で呼びかけてくる。
妹のそれによって俺は我に帰り、さらに喉元から出かかっていた呪詛を飲み込んだ。
そして顔を歪めて、今持てるだけの優しさを込めて結衣へと告げた。
『・・・悪かった。今日は早く休むよ。出ていってくれ』
『・・・・・・うん』
結衣は納得いって無さそうだったが、これ以上、何を言っても無駄だと思ったのだろう。
悲しそうな顔で素直に頷き、俺から背を向けてトボトボと部屋から出て行こうとする。
その背中を見ていると呪詛の反動か、猛烈な罪悪感に襲われた。
なんで俺は・・・いつも・・・
『真司は・・・!』
俺は咄嗟に結衣へと声を掛ける。
泣きそうな顔をした妹が振り返って俺を見つめる。
『んっ・・・真司くんがなに?』
『アイツは・・・お前が来たら喜ぶよ。だから・・・!』
言葉が舌に張り付く。
胸に渦巻く、どす黒いものと、輝くもの。
どちらも俺が確かに思っている事だけど上手く言葉に出来ない。
それでも結衣は、俺の言葉に泣きそうな顔で笑顔を作ってくれた。
『うん・・・!絶対、応援に行くからね!』
そう言って、彼女は部屋を出ていった。
彼女がいなくなった部屋で、俺は再びテーブルに向き直ると、広げた問題集を解き始めた。
◆◆◆
今思えば、この時の俺は大分おかしくなっていたのかもしれない。
幼稚園や小学生の頃はまだ良かった。
薄々察していたとは言え、俺とアイツらに目に見える程の顕著な才能の差はなかった。
だが中学に上がると同時に、急激にアイツらと比べられる機会も増えていった。
俺自身も自分とアイツらを比べていた。
そして、広がり続ける才能の差に置いていかれないようにするのに必死だった。
真司にはサッカーがあった。
怜には勉強があった。
若菜には容姿と知名度があった。
そして結衣は、その三人に負けない位何でも出来た。
勉強もスポーツも容姿も、全て持っていた。
対して俺には何もなかった。
いや、何もなかったという言い方も正しくはない。
少なくとも俺にはちゃんと両親が居て、生活にも困ってなかった。
努力できる恵まれた環境に居た筈だった。
その上で俺は、アイツらには追い付けなかったんだ。
努力不足、そう言われれば返す言葉がない。その通りだ。
だがどれだけ努力を重ねても、生涯埋まる事のない差は確かに存在する。
それを、この時思い知った。
俺は、アイツらみたいに特別ではなかった。
これから先も強く輝くであろう、アイツらの隣に立てるような人間じゃなかった。
輝くものには・・・成れなかった。
だから、高校に上がると同時に、全部捨てて逃げる事にした。
追い付けなくなって、忘れ去られて、なかった事になるのなら・・・俺から捨ててやる。
何処までもアイツらの輝きから逃げてやる。
そう思って、そのつもりだったのに。
・・・もしも俺が、誰かにこの胸の内を話していたら何か変わっていただろうか?
拗れる前に、輝く事のない自分を認める事が出来ていただろうか?
分からない。
世界すら変わってしまった今、こんな「たられば」には何の意味もない。
ただ今は、アイツらに無事で居て欲しいだけだ。
それだけは、世界が変わっても変わらない。俺という人間が願う事だ。
◆◆◆
何処かの民家の台所、そこで俺は目を覚ました。
「んっ・・・!ぐっ!」
目覚めは最悪の気分だった。
身体は縄で椅子に縛り付けられていて、口には猿轡まではめられている。
殴られた後頭部と抉れた耳には包帯が巻かれ、服も着ていたが、装備品は全て取り上げられて目の前のテーブルに広げられていた。
何があったかは、思い出すまでもなく覚えている。
川を越えて、都内に入ったまでは良かったが、そこで襲われた。
反撃したが後ろからもう一人に頭を叩かれて、この様だ。
(クソっ・・・!)
もし喋れていたら言葉に出して悪態を吐いていただろう。
だが猿轡をされた口からは、「フガフガ」とした間抜けな声しか出せない。
そうこうしていると足音がして、誰かが台所に入ってきた。
俺は縛られた身体で身構える。
入って来たのは、タンクトップに短い髪に細い目をした男性で俺はそいつに見覚えがあった。
昨日、俺を襲った奴だ。
そいつは俺が目を覚ました事に気づくと軽快な口調で言う。
「もう目が覚めたのか?タフな奴だな」
「・・・」
「おうおう、そんな睨むな。俺はお前の敵じゃない。むしろ味方だ。川を渡るお前を見つけて、連中の気を引いたのは俺なんだぜ」
男性は口調と同じように軽快に笑いながら言うと縛られた俺の背後へ回る。
そして耳元で言った。
「拘束を解くが暴れるなよ。ここは敵陣の真っ只中だ。下手に騒げば妹の元には辿り着けんぞ」
その言葉に俺は、ハッと男性の方を見た。
(何でこいつ・・・結衣の事を・・・?)
訝しむ俺を余所に、男性は拘束していた縄を解いた。
自由になった手足を動かして感触を確かめる。
「あんた・・・」
そして目の前の男性に話しかける。
だが彼はそんな俺を制して、先に言った。
「あんたじゃない。俺は
そう言うと平澤と名乗った男性は、台所から出て行く。
彼が後ろを向いた時、腰のベルトに黒光りする拳銃が見えた。
俺は、彼が去った台所で装備を身に付けながら考える。
(何で俺の名前を知っている?それに結衣の事だって・・・どうして・・・)
思い当たる人物は一人だけだ。
ついていけばその人物に会えるのだろうか?
俺は再び装備品を身に付けると台所から出る。
平澤さんは、玄関で待っていた。
さっきまでのラフな格好とは違い、黒白の迷彩服を着て、照準器を付けた小銃を手入れしている。
彼は俺がやってきたのを見ると手を止めた。
「準備はいいか?」
「・・・はい」
「よーし、そんじゃ俺に着いてこい。ああ、あと敬語はいらない。今さらだしな」
「は・・・分かった」
俺が応えると平澤さんは満足そうに笑い玄関のドアを開けた。
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