第18話 走馬灯
ふと気が付くと、そこはリビングだった。
室内全体には軽くモヤが掛かかり、家具や壁はまるで鉛筆で書かれたかのようにモノクロだ。
それでもここが何処のリビングなのかはっきり思い出せた。
ここは、東京の俺の実家。
『お兄ちゃん遅い!』
ボケッと室内を眺めていたら、いきなりこちらを非難する声がした。
顔を向けるとモノクロな世界の中でそこだけ色がついており、一人の少女が頬を膨らませて怒っている。
流れる黒髪に、透き通るような神秘的な美しさを備えた美少女。
俺の妹――
その今より幼い頃の姿。
(ゆ・・・)
『先に行けって言っただろ!何で待ってんだよ!』
俺は彼女の名前を呼ぼうとしたが、喉から声が出ず、代わりに胸の当たりからクソ生意気な声が聞こえた。
驚いて一歩下がると、俺の立っていた場所と重なるように一人の少年が立っていた。
その少年はこの世界で、最もぐちゃぐちゃに描かれており、まるで子供の落書きみたいな描かれ方だった。
でも、これが誰なのかは直ぐに分かった。
結衣が兄と呼ぶ人物は、この世界で一人しかいないからだ。
こいつは・・・・・・俺自身。
気づいた俺を無視して、二人の言い争いが続く。
『お兄ちゃんと一緒に行きたいからじゃん!何で分かんないのバカ!』
『バカ言うな!どうせ行くとこ同じだろ!』
『はぁー!これだからお兄ちゃんは!乙女心が分かってない!将来絶対モテないし、結婚も出来ない!というかそういう呪い掛けたから!もう解けないから!』
『ふざけんな!』
結衣とこの世界の俺は、激しく言い争いながらも共に玄関へと向かう。
俺もフラフラとそれについていった。
外に出ると刺すような日差しが照りつけてくる。
『あっつい!』
結衣が暑さに文句を言う。
この世界の俺も顔をしかめ、結衣に言った。
『アイツら家に帰ったんじゃないか?』
『勝手にそんな事する筈ないでしょ。お兄ちゃんじゃあるまいし。ほら、行くよ』
結衣が兄の手を引いて歩きだす。
俺も彼らから少し離れ、その歩みに歩調を合わせてついていく。
道中、何気無く辺りを見てみると、やっぱり建物も地面もモノクロに描かれていた。
やがて二人は公園にたどり着いた。
そこでは、二人の少年がサッカーをしており、その様子を一人の少女がベンチに腰掛けて見ている。
そして、結衣と同じように公園にいる三人にも色が付いていた。
『あっー!!』
結衣はベンチに腰掛けている少女に気づくと一目散に駆け出し、その隣に滑り込むように座って、腕に抱きついた。
『
『ううん、終わらせてきたわ・・・』
ねっとりと耳に残る声が抱きつかれた少女から漏れ出て、結衣の頭を優しく撫でる。
ジトっとした目に、日本人形のように白い肌。
結衣が透き通るような美少女なら、こちらは観た者を惹き付ける艶やかな美少女だった。
名前は、
若菜は結衣の頭を撫でたまま、この世界の俺に顔を向けた。
『鈴斗も来たのね・・・久々に五人揃った・・・嬉しい・・・』
若菜は少しだけ口元を緩ませながら言う。
子役から俳優業をやってるのに、プライベートでは殆ど笑わないのが若菜だった。
本人曰く、笑うのは『疲れる』らしい。
今思えば、色んな意味の『疲れる』だったんだろう。
俺達の中で、誰よりも早く大人の世界を見ていたのが若菜だったから。
この世界の俺がそんな彼女に何と答えようか迷っていると、サッカーをしていた二人の少年もこちらに近づいてきた。
一人は、絆創膏だらけで野生味溢れる少年。
サッカー大好きで、サッカー馬鹿で、そしてそれに見合ったフィジカルと才能があった少年。
名前は、
もう一人は、鋭利な切れ長の目に、流れる汗が眩しいイケメン。
見聞きした事を殆ど覚えているとんでもない頭脳のクセに、運動もそこそこ出来て、人柄も良いという完璧超人。
名前は、
俺の・・・幼馴染達。
『遅せーよ、鈴斗!もう何回ゴールしたか覚えてねぇんだ!また0から始めんぞ!』
真司がそう言ってこの世界の俺を引っ張り、少し雑に怜の方に押しやった。
すると怜が耳打ちする。
『お疲れ。今、28対0だよ。当然僕らが0だから』
『だと思った。というか勝ち目ないから適当やってたろ』
『まぁね。でも鈴斗と結衣が来たら色々やりようがある』
怜はニヤリと笑うと、真司に向かって冷静に言葉を放った。
『真司。結衣がキミの事見てるぞ』
『は、はぁ・・・!?んな訳・・・』
否定しつつも気になってしまったのか、真司の視線が結衣の元へ向かう。
俺はその隙に、ボールを真司のゴールに蹴っ飛ばした。
『あっ・・・!』
真司が声を上げるが、もう遅い。
ボールはゴールに吸い込まれて、俺は戻って怜とハイタッチした。
直ぐ真司が抗議する。
『きったねぇぞお前ら!』
『よそ見する方が悪いんだよ。因みに、結衣は全くこっちを見てない。若菜に夢中だ』
そう言われた真司は、今度は警戒しながら結衣の方を横目で見る。
怜の言った通り、結衣は若菜とのお喋りに夢中で真司には全く目も向むけていない。
『ドンマイ・・・!』
怜が爽やかな笑顔で煽った。
『うるせぇ!』
キレた真司の叫びが公園に響いた。
◆◆◆
その後は、普通に真司にボコボコにやられたがみんな楽しそうだった。
途中から、結衣達がやりたいと言ってきたので結衣を真司の方へ、若菜が怜の方に入った。
『頑張ろうね!』
結衣が輝く笑みを真司に向ける。
彼はそれを受けて頬を赤くし、照れながら答えた。
『お、おう・・・!お、俺がなんとかしてやっからよ・・・!好きにやっていいぞ・・・!』
『本当!?ありがとう、真司くん!』
また結衣の笑顔が輝く。
それと合わせて真司の顔もさらに赤くなった。
そんな彼を見て、若菜が言う。
『分かりやすいわね・・・バレバレ・・・』
怜が苦笑いしながらそれに返した。
『素直なのが真司の良い所だからね』
『それはそう・・・』
若菜と怜が子供を見るような優しい目をして真司を見守る。
それに気づいた真司が大きな声を上げた。
『おい、なんだよその目!?誰がバレバレだ!何もバレてねーよ!』
『聞こえてたの・・・』
『バレてないのも良くないんじゃないかな・・・兄的にはどう?複雑?』
怜に質問された俺がそっぽを向いて答える。
『・・知らね。どうでも良いからやろうぜ。結衣が待ってる』
『行くよー!それ!』
真司の気持ちなどまだ理解してない結衣がニコニコしながらボールを蹴り始める。
それを合図に五人でボールを追いかけ始めた。
俺はその光景をただ眺めていた。
もうこの世界が何なのかは、想像がついている。
これは記憶だ。
輝いていた頃の思い出だ。
その証拠に、鉛筆で書かれたようなモノクロの世界の中で結衣達だけに色がついている。
俺には、世界がこんな風に見えていた。
アイツらだけが鮮やかに色付いていた。
ずっと、ずっと、輝いていたんだ。
『ねぇ・・・みんなの夢って何?』
長時間遊び、そろそろ日が暮れようかという頃、
遊び疲れた真司達がベンチで休んでいると、いきなり結衣がそんな事を言った。
『どしたよ、いきなり?』
真司が訝しみながら結衣に尋ねる。
それに結衣は声を大きくして答えた。
『いいから!あっ、真司くんは言わなくても分かるよ!サッカー選手だよね!』
『はぁ!?何で分かったんだよ!』
『見ればわかるわよ・・・』
当てられて驚いている真司に若菜が突っ込む。
そんな彼女に向かって結衣が言った。
『さぁ次、若菜ちゃんは!?』
『私・・・私はそうね・・・』
若菜は少し考える。そして自信無さげにこう答えた。
『やっぱり女優・・・かしら・・・売れればだけど・・・』
『売れる!売れるよ!若菜ちゃん演技上手だもん!』
『ありがとう・・・でもそんなに甘い世界じゃないから・・・今度出る映画もどうなるか・・・』
自信無さげな若菜を結衣が励ますが、それでも彼女の顔は晴れない。
だが、そこで怜が口を挟んだ。
『大丈夫だよ。若菜はとっても魅力的だし、努力もしてる。それが報われない訳がない。自信を持って』
怜は若菜の目をしっかりと見て優しく言う。
それに若菜の顔が赤くなり、少し俯きながらそれでもゆっくりと頷いた。
『それじゃあ怜くんは?』
結衣が、今度は怜に尋ねる。
彼は特に悩む素振りもなく、直ぐに答えた。
『僕は学者かな?ただ専攻は決めてないんだ。やりたい事が多すぎて』
『学者!カッコいい!流石、怜くん』
結衣が少しだけ大袈裟に怜を褒める。
そして、怜をカッコいいと言った事に対して真司が凄い顔をした。
『ありがとう、結衣。それじゃあキミは?』
怜はそれを笑顔で受け流して、結衣に聞く。
聞かれた結衣は日が暮れた空を見つめながら、何処か遠くを見て言った。
『私は・・・また五人で集まる事かな。おじいちゃんになっても、おばあちゃんになっても』
結衣から語られた夢に少しだけ寂しい雰囲気が漂う。
それを払拭するかのように真司が声を上げた。
『なーに言ってんだ!大丈夫だろ!ジジイになってもババアになってもサッカーすんぞ!』
『それは流石に無理じゃないかしら・・・結衣の夢は必ず叶うとしても・・・』
『うん。結衣の夢は叶うよ。サッカーは勘弁だけどね』
真司と若菜と怜が、結衣の夢を肯定する。
だが、この世界の俺は何も答えなかった。
頭の中では、自分の夢を必死で考えていたからだ。
『それじゃあ、お兄ちゃんは?』
『えっ・・・』
結衣が俺に話を振る。
『みんな言ったんだから、鈴斗も言えよ』
『そうね・・・聞きたいわ・・・』
『何気に鈴斗が一番謎だよね』
真司達からも詰め寄られる。
結衣が俺を急かした。
『さぁ、お兄ちゃん!お兄ちゃんの・・・夢って何?』
ああ、そうか。
そうだったな。
この時、俺は呪われたのか。
そう成りたいと思ってしまったのか。
コイツらと同じように輝きたいと、願ってしまったのか。
『俺は・・・』
願うな。
お前は、それには成れない。
だけど俺の願望とは裏腹に、記憶は勝手に進む。
そして、それを言ってしまった。
『俺は・・・・・・輝くものに成りたい・・・』
一瞬、世界が固まった。
そして、俺の答えを聞いた真司が困惑した声を出す。
『・・・なんだ?それ?』
若菜も首を傾げていた。
『・・・難しい事いうのね・・・』
怜は考えるように口元に手を当てている。
『鈴斗らしいけどね』
三者三様の反応、そして結衣は、
『そっか・・・』
と何故か、一瞬だけ悲しそうな顔をした。
『ゆ・・・』
この世界の俺が声を掛けようとするが、それよりも早く結衣の顔が笑顔に戻る。
そして、俺にこう言った。
『うん、きっと成っちゃうよ。お兄ちゃんなら』
◆◆◆
暗くなって来たので、そろそろ家に帰る事にした。
若菜は両親が迎えに来て、真司と怜はそれぞれの家に帰っていく。
「帰るか」
「うん」
最後まで残っていた結衣達も家に帰ろうと公園の出口へ向かう。
その時、結衣が口を開いた。
『ねぇ、お兄ちゃん・・・』
『どうした?』
『何処にも行かないでね』
『はぁ?』
『・・・なーんて!早く帰ろ!お腹空いた!』
結衣が言葉を取り繕うように、早足で公園を出ていく。
この世界の俺はそれに置いていかれないように彼女の後をついていった。
俺はその姿を見送り、誰もいなくなった公園で一人佇む。
日の光が段々と落ちていき、それに合わせて世界が闇の中へと消えていく。
どうやら、これで終わりらしい。
・・・何故だ。
何故、最後に思い出すのがこの記憶なのだ。
全部捨てた筈なのに。
思い出も憧れも夢も『輝き』も全部、全部。
全部捨てられたと思っていたのに。
なぁ、こんな俺をどう思う?
お前らにとって俺は何だった?
俺にとって、お前らは・・・・・・
何だったんだろうな?
その問いかけに答えはなく、やがて世界は闇に呑まれ、そして後には、静寂だけが残っていた。
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