痴漢男と大衆食堂の看板娘




 手というのはとても不思議なものだと思う。

 料理や絵、車や家。

 頭脳を使い、手を通して人は多種多様な物を作る。

 ある推理漫画(体は子供、頭脳は大人!)では手にできたたこのつき方によって、どういうスポーツをするのか言い当てていたけど、手というのは往々にしてその人の努力を物語るものなのだと思う。

 手というのはその人の人生を表す、といっても過言じゃないのかもしれない。


 そう手というのはとても大事で、時に人に強い印象を残すものだ。

 だけど、なんで僕の手は。


「この人、痴漢です!」

「あー……」


 いつも人に変態行為をしそうだと間違われてしまうんだろう!


「違うんです違うです信じてください」

「だって、なんかその手、いまにも私のお尻をつかみそうで卑猥です」

「いや違うんですってホントです信じてください僕は変態じゃないんです。手が変態に見えるだけなんです」

「嘘です。だってその手、いつもワキワキ動いて、おっぱい揉みたそうにしてるじゃないですかっ、わたしのおっぱいはAAなので、お尻で済まそうとか興味あるとか卑猥です変態です消えてください><」


 最悪だ。よりにもよって好きな人に、勘違いされるなんて。



              ☆



 僕は普段、目立たない存在だと思う。

 でもこの手は別だ。

 僕の人生はこの手のせいでいつも変態と間違われてきた。

 僕の顔は至ってふつうなのに、小学生のころから、

『御手洗くんの手って、変態だよねー』

 と人に言われてきた。

 なんで僕の手は変態だと思われるのかわからない。

 でも気が付いたときにはみんなからそう認識されていた。

 特に手を≪わきかき≫動かしているわけじゃないのに、

『なんかいっつも手をワキワキして、わたしの胸を揉もうとしてくるよね』

 絶対零度の目線で言われる。

 おかしい。自分でも意識して、動かさないようにしているというのに。

『いやだ、いま御手洗君の手、わたしのお尻をつかもうとしてなかった』

『してたしてた。きもっ、死んだ方がいいよ』

『うわー手に汗かいてる。それってもしかして汗じゃなくて……!』

 なぜか周囲からはそう言われる。

 おかげで僕の小中高のあだ名は『ゴッドヘンタイハンズ御手洗』と言われ無駄に有名になってしまい周囲から孤立する青春時代を送った。

 いやそんな。僕はふつうに息吸って吐いてるだけなのに!

 だめなの? 生きてちゃいけないの? 僕、変態なの?

 と思い、苦労して幾星霜。

 いつのまにか僕はポケットなどに手を隠すことが癖になった。できる限り手を人に(異性だけじゃなく同性にもそうみられるので)見せないように、生きてきたのだ。

 それは社会人になった今も変わらない。

 だけど、やっぱり人間だから食事をしなけば死んでしまう。

 手を使わずに食事などできない。

 弁当だけじゃ、心が死んでしまう。だから僕は食事のときだけは人前で手を見せることにしていた。そこらへんは割り切る。そうじゃないと、不自由で仕方ないからだ。

 だからたまたま仕事の休憩中に気軽に立ち寄れる大衆食堂に入ることはなんの抵抗もなかったし、僕はなんのためらいもなくこの手を曝け出して、箸を持ったのだ。

 しかし、その時、

『いらっしゃいませー。お客さんご注文は』

 と一杯の水を差しだし声をかけてきた人物の手が見えた。

 あかぎれして、ところどころやけど跡があって、包丁で切った傷に貼っているのだろう絆創膏がチラホラと。

 苦労が見えるその手に思わず興味を惹かれ、見上げると。

 満面の笑みを浮かべた天使がいた。

 額にうっすら汗をうかべ、湿った髪が色気を漂わせ、くりっとした大きな瞳が僕をとらえていた。苦労しているのだろう手と、それとは正反対に思える天使の笑顔のギャップ。

 僕は気が付いたら恋してしまった。

 恋しちゃったんだっていう歌が頭の中でリフレインした。



             ☆


 ということで、僕はそれからそれこそ毎日のように天使のいる大衆食堂に通った。

 それはもう毎日だ。

 天使がいるからというのも理由だけど、なによりも僕の手を見ても変わらない態度で彼女が接してくれたのがうれしかったのだ。

 なんで普通に接してくれるのか。それは商売だからだとは思っていたさ。

 彼女はきっとこういう大衆食堂の看板娘的存在だから、粗野な人物が時々するセクハラ行為に対してある程度の耐性があるんだろう、と。

 だから僕はそれに甘えていた。

 耐性があるからって苦痛がないわけではないんだから。

 我慢は度を過ぎれば、爆発するもの。

 で、結果は。

「なんでそんなにわたしのお尻を揉もうとしているんですか。すこしは自重してくださいよまったく、ほんとまれに見る変態さんですね、いくらなんでも限度がありますよ、その手の変態性は異常です、犯罪です」

 こうなってしまったわけだ。

 ああ、なんという人生。

 手が変態であると人に見られるせいで、僕のすべてまで変態になってしまうこんな世の中なんて爆発してほしいでもそれだと目の前の可憐な天使が死んじゃうし悲しいのでやっぱり自分が消えるしかないな消えないが!

 そんな天使(名前をしらない)の悲痛な訴えに、周囲の人間が殺気立っている。

「なんていう手してるんだ。あれは確かに変態だ」

「あの手のわきわき感は、おれの尻にも向けられている気がして、尻の穴がキュっとなるほどだぜ。恐ろしい変態だ」

「おい、だれか警察を呼べ」

「大丈夫、いま呼んだから!」

 ああ、ついに僕はこの手によって警察行きとなるのかっ。

 ええい、こうなったら!

「待ってくれ! 僕は、僕は確かに君の目から見たら変態なのかもしれない! このけがれた手、カースハンドが君の尻を揉もうとしているように見える変態なのかもしれない! だが、これだけは言わせてくれ!」

「なんですか……?」

「僕は君の尻しか揉みたくないんだっ。ほかの誰でもない、君の乳を揉みたい! 君のその美しい髪に触りたい!」

「え」

「僕は君が好きだっ。初めて見たときから好きだ! その傷だらけの手が好きだ! こんな僕にも変わらず接してくれて、精いっぱいの笑顔を返してくれる、君が、大好きなんだ!」

「え、ええ、えええ!」

「僕はこれから警察に行くし、もう今後君の前に姿を現さないことを約束するよ、だけど、でも、この想いだけは」

 気が付けば涙があふれていた。胸の奥の熱い思いと、どうしようもない現実に、でもそれでもこんな気持ちを抱かせてくれた相手に、いまこの時ばかりは愛していると叫んでいたかった。

「せめてこの手で、君の手に、触れたかった。触れて愛したかったんだ」

 僕の告白にひたすら顔を真っ赤にしている天使。きっとこんなはた迷惑な告白行為に困惑し、気持ち悪いと思っているのだろう。

 ガラガラ、食堂の入り口の扉が開き、入ってきたのは正義の使者、お回りさん。

「えー、ここに痴漢がいると言われてきたんですが」

 僕は覚悟を決め。そのお回りさんのところへ向かおうと歩きだそうとして、

「待って」

 その手を掴まれた。僕のこんな手を、つかんでくれたのは天使だった。

 だけどその瞬間、

「い、いやあああああああああああああああああああああああん、あふううん」

 みだらな声を熱い吐息と共に吐き出し崩れ落ちた。

 え? なに、いまの。

 地面に手をつき、お姉さん座りをしながら苦しそうな息を吐き出している天使。なにが起こったのだろうか。はっ、もしやこの僕の手はただ変態的に見られるというだけの異能ではなかったということか。今まで、あまりにも変態的な手と周囲に認識されるせいで握手すらしたことがなかったのが仇になってしまった。

「おい、君、今何をした」

 正義の使者ブルージャスティス的お回りさんが僕を捕まえようと歩いてくる。

 ああ、なんで最後までこの手は!

 安西先生僕の人生はこのときをもって終了のようです。

『ほっほっほっほ、変態ですね』

 安西先生! 思考の中の安西先生にさえ変態扱いされたよ! 違うんだ、僕が変態じゃなくて、手が変態なだけなんだっ。

 思考の中でその時間は長く、でも実際はわずかな時間でしかない現実逃避をする。ブルージャスティスが実に嫌そうな顔を浮かべながら掴みかかろうとする動作を、ただ茫然と見ていると、

「やめて! 彼はもう私のものよ! 誰にも彼の手に触れさせないわ!」

「え?」

 お回りさんの前に立ちふさがったのは、紛れもなくさっきまで地面に力なく倒れ伏していた天使だった。

「ねえ、あなたの手って、素敵! ごめんなさい、わたしあなたのこと勘違いしてた。あなたの手に触った瞬間、あなたが今までこの手のせいで苦しんだこと、その思い、でも決して腐らず一生懸命生きてきたことが伝わってきたの! そして、そのあと、このわたしに対する熱い思いまで伝わってきて、わたし、もうなんか、なんか」

 え、突然の展開に混乱する。

「大好き!」

 そういって、天使はこの僕の唇を奪ったのだった。





                ☆



 手というのはとっても不思議。

 時に手はどんな言葉や表情よりも、人に様々な思いを伝えてくれる。

 言葉よりも、一回の握手で、すべてがわかる瞬間というものがあるらしい。


 僕の手は変態だと勘違いされてきた。

 僕も自分の手は変態なんだと思っていた。

 だけど本当は違ったんだ。

 僕の手は変態なんかじゃなかった。

 変態だと思うのは、あまりにも僕の手が素敵すぎたからなんだ。

 あまりにも素敵すぎたから、言葉にならない感情を相手に感じさせてしまって、結果、説明できないその感情を人は変態だと考えてしまったらしい。

 見ただけじゃわからなかったんだ。

 手は触らないと意味がない。

 そう、僕の手は、きっとずっと誰かに触りたかったんだと思う。

 どこかでそう思っていたからこそ、みんなには『わきわき』しているように見えたのかもしれない。

 すべては、触れなければわからない、ということか。


 今現在僕の横には、天使がいる。

 あれから僕は会社を辞め、天使の家の大衆食堂で働くことになった。

 それから天使と、コホン! あれをしてできた子供をつくって、楽しく暮らしている。

 ちなみに天使はいま厨房で料理を担当しているため、接客はしない。

 では、いま誰が接客しているのかというと。


「あ、あそこみて、なにあの手、すっごいとろけちゃう!」

「なんて素敵なのかしら、イケメンすぎる! 手だけで私妊娠しちゃう!」


 いやあ、マジすげーは僕の手。

 人生何がきっかけでどう転ぶかわからんもんだな、なんて思いつつ。

 今日も一日、頑張って生きてます!


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