第5話 うちの末っ子は元気になった(母親視点)

 今でこそ元気いっぱいなアリー。

 けど生まれた時は高齢での出産も相まって、小さく生まれた。


 ──あれはまだこの子が2歳になるかどうかという時。

 今から五年前の事だ。

 近所の奥様から「小さく生んで大きく育てればいい」とアドバイスを貰ったけど、他の娘はみんな大きく生んだからちゃんと育つか心配だった。


「うげー」


「あー、また吐いちゃった」


 特に添加物の多く入ってる食事は口に合わないのかこうやって吐いてしまう。

 お医者様に診てもらうと「生活環境を変えないとこの子は3歳まで生きられないかもしれないね」と言われた。

 今やハーゲン王国は大陸一の技術躍進を遂げた。

 この大陸にいる限り、弱肉強食に飲まれず死ぬ事もない。

 それはあたし達のようなか弱いケットシー族に取って縋るべき象徴だった。


 それでも、末っ子の将来を考えてダッツの街を離れた。

 上の子と合わせて五人の娘には迷惑をかけることになる。

 でもお腹を痛めて産んだ子は何よりも可愛かった。


 夫は文官仕事から慣れない狩人に転職する。

 筆より重いものを持ったことがないあの人に務まるか今から不安だ。

 一番上のお姉ちゃんは前の街に帰りたいと何度も駄々をこねた。

 あたしだって、いつ命を落とすかわからないこんな環境で生きていけるかわからない。

 何そこの場所はモーリー王率いる蛮族の集う集落ナーガ。

 生きる為には退化した爪や牙を研いで襲撃に備える必要があった。

 それでも、ここでなきゃアリーに合う食事が出せなかった。


 夫がへっぴり越しで仕留めた大鼠。

 火を通して味を整えた食事に慣れ切ったあたし達はなかなか受け入れ難い味。でもアリーはそれを吐き出すことなくもぐもぐと口に含んでは飲み込んだ。


「食べた、食べたわよ。あなた!」


「うん、食べたなぁ」


「アリー、早く元気に大きくなってね!」


 一番上のサーニャはアリーが元気になれば前の街に帰れるんだと強く信じている。

 けどそれから数ヶ月後に、また食事を吐き出すようになった。

 原因は不明。

 あたし達に取って普通の食事でも、この子には強い拒否反応があるようだった。


 それがアレルギー物質だというのは後になって伝え聞く。

 アリーはとにかく血の滴る肉か釣ったばかりの魚以外を食すと体調の悪くなる子だった。


 それからあっという間に5年。

 都会暮らしに慣れていたあたし達が粗野な生活に染まるには十分な時間だった。

 それでも末っ子がすくすく育つ姿を見るのは嬉しいものだ。

 ただ少しばかり甘やかして育ててしまったからか、朝に起きれない子になってしまった。


「ほら、アリー起きなさ! あんたが一番最後よ」


「今眠ってるのにゃ。起こさないで欲しいのにゃ。むにゃむにゃ」


 はっきりと返事をする時点で起きてるのは丸わかりだ。

 この子は毛の生え揃うのが遅くて寒さに弱かった。

 だから布団が恋しいのだろう。

 だから少し厳しく起こすことにしている。

 寝ている割には元気に揺れる尻尾を掴んで、少し力を入れると……


「ぎにゃ!?」


 オーバーなリアクションで起き出した。

 やっぱり狸寝入りしていたね。布団から引っ張り出してバンザイさせてからワンピースを着させる。

 あら、この子また下着をつけてないわ。

 すっかりこっちのスタイルに慣れ親しんで、向こうに帰るまでに厳しく躾けておかないと。


「それじゃあ行ってくるにゃー」


「足元に気をつけるのよー」


「んにゃー」


 足取りはおぼつかない。

 あの子は本当に子猫もいいところ。

 本来なら立って歩けただけでも大喜びするところだけど、これ以上甘やかしたら向こうに行ってもだらけてばかりいるのが目に見える。

 だから厳しく躾けた。

 それと語尾ににゃーとつけるのは無自覚のようだ。

 はしたないからやめなさい、田舎者と思われるわよ年つけても、あの子はまだ理解できないのかもしれない。


 結局狩りの成果はイマイチで、この中でも一番成長した姉のサーニャが踏ん反り返る。

 最初こそ嫌がっていたここでの暮らしも、狩猟を通じてやる気がついたみたいだった。今では率先して狩りに赴き、その野生を周囲に見せつけている。

 けど返り血を浴びすぎて毛並みの方が随分と荒れてしまった。

 本人に聞けば「気にしてない」とのこと。


 それでも甘えて育ったアリーの立派な毛並みをずっと見つめていたのを知っている。もうあの頃の純真なサーニャに戻れない事も。

 あの当時、この子には辛い選択をさせたと思っている。

 夫にも、自分の不得意分野を選択させた。


 あたしは悪い母親だ。

 でも、この判断を間違いだとは思わない。

 次女のナナンも、三女のニニャも、四女のセリーヌも、アリーを大切に育てたからだ。

 一人だけ不満を口に出せないからこそ、サーニャは立派な姉だ。誇らしいと思う。


 だからあの子が「生のお肉は味気ない」と言ってきた時は本当に驚いた。

 まるで食事、料理を知ってるかの口ぶりにあたしは旦那と、サーニャの三人で顔を見合わせる。

 当時ナナン、ニニャ、セリーヌはまだ小さかったから環境の変化に気づかなかっただろうが、一番環境の変化に敏感だったサーニャは飛びついた。

 アリーが何を求めてるのかに食いつき、そして一番の理解者になろうとした。


 それからだ。アリーがあたし達、ケットシーとはかけ離れた才覚を発揮したのは。

 5歳になった頃だろうか?

 毛並みをふわりと浮き立たせ、輝きを纏いながら何か作業をしだしたのは。


 最初こそ恐ろしく思えた。

 全く違う何かが取り付いたのかと思ったのだ。

 その頃から自分の事を名前でなく、僕と呼び始めた。

 相変わらず、語尾ににゃーとはつけるが、本人は無自覚のようだった。


「あなた、あの子はどうなっちゃうのかしら?」


「今は経過を見守るしかない」


「そうね。でも何かあったら……」


「ああ、俺の伝でハーゲン様にお手紙を送ろう。彼なら俺の話も聞いてくれるだろう」


「流石同級生は違うわね。でも当時の一人称は僕だったあなたが、俺とか使いだして分かるかしら?」


「そう言うお前こそ、私があたしになった自覚はあるか?」


「お互いにこちらの環境になれたものね」


「全くだ」


 誰のせい、と言うわけでもない。

 自らが望んでこの環境に来た。

 末っ子のアリーがどのように成長するか。

 それだけを楽しみに。


 二年が経った。

 アリーがどこからか持ち出した道具はどう診ても魔道具に他ならない。あれは魔法の扱える種族しか使えないものではなかったのか?


「お母にゃん、これでお湯が沸かせると思うにゃ。使ってみて欲しいにゃ」


「これを、どこで手に入れたんだい?」


「いいから、使うにゃー」


 相変わらず隠し事のできない性格だ。

 尻尾をつらつらさせながら視線を泳がせる。

 誤魔化すのが下手くそな子だよ。


 驚いたことにそれは魔力を全く必要とせずに起動した。

 本当にこの子ったら魔道具を作り出しちまったよ。

 神様、あなたはこの子がこんなことを仕出かすとわかってて試練を与えたのですか?

 その試練を乗り越えたからこそ、知識を与えたのでしょうか?


「どうかにゃー? これでお母にゃんも少しは楽ができると思うにゃ!」


「ありがとうね、アリー。これで少しはお前の役に立つことができるさね」


「でへへ」


 笑い方までおかしくなっちまったけど、その甘ったれた思考は間違いなく私の末っ子だよ。


 そして一つ魔道具を作り上げると次々とアーティファクトを作り上げていく。無から有を作り出す様は、まさに錬金術と言っても過言ではないだろう。


 ケットシーには絶対になれないと言われた職業。

 錬金術師。もしかしたら、あの子は私達の種族で初めての快挙を成し遂げるのではないかと思った。


 その為にも今の環境では色々サポートしてやれない。


「あなた……」


「そうだな。ハーゲン王もそろそろ仕事が手に負えなくなってきている頃合いだろう。俺の助けが必要かもしれない。手紙を出してみよう」


 五年もの間職を離れていた夫に再び機会が訪れるか甚だ自信はないが、本人はやたらとやる気に満ちている。

 それもこれもあの子の送ってくれたこのプレゼントの賜物だろう。


 あたしもご近所さんから若返ったのではないかとコメントを頂いた。毛並みの良さで評価の変わるのは世間一般の認識ではあれど、モーリー領はより激しい。

 あたし程度でも美女として捉えるくらいここの環境で生きていれば毛並みは衰えるのだ。


 だからか不思議と自信も湧いてくる。

 夫もここに来た時と比べて随分と引き締まった肉体になっている。

 本当にケットシー族か疑わしいほどの筋肉量だ。

 その筋肉は文官をするのに必要なのか?

 そう思わずにはいられない。


 そして一番帰りたがっていたサーニャはなんとこちらで恋人を作ってしまった。

 これもアリーの送ったプレゼント効果だ。

 毛並みをよくするよくわからない知識の集大成。

 効果はケットシー族のメスにしか無いが、それでも毛並みに悩むメスなら飛びつくだろう。

 なのでアリーにはレシピは絶対公開するなと釘を刺した。


 下手をすれば命のやり取りさえしかねない。

 モーリー領のナーガの集落はある意味でそう言う場所だった。


 そして学園の案内所が届く。

 もしアリーにその気があるのなら、ハーゲン王国の魔導学園に入学しないかと言う申込書が届いた。

 旦那の知り合いと言うだけあってハーゲン王も気前がいい。


 ただ、旦那の再就職先については追って知らせると書かれていただけであり、ちょっとそっち方面の事で忙しくなりそうだった。

 引っ越すのにもお金はいる。

 当時持ってきたお金はまだ残ってる。こっちでは物々交換が主流だったので手をつけていなかった。

 けれどこちらから向こうの大陸に渡るのもまた別の資金が必要だ。

 サーニャは置いていくとしても、アリーを一人だけで渡らせるのはとても心配だった。


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