おじとめいの家庭事情⑤
玄関先で、気持ちだけ服を絞る。雨に服を濡らした時雨からは意図して視線を逸らしていたが、時雨は気にしていないのか。それよりも、夫婦の反応が気になって仕方がないのか。絞り終わった途端、俺の後ろにくっついて背中を掴んでくる。
小さな子どもか。
そう思うと、いかにも姪のようだと苦笑になった。それを飲み込んで、玄関の扉に手をかける。
ちょっと緊張しているのはこちらも一緒だ。既に叱られているとはいえ、時雨を探しに行ってから、それなりの時間が経っている。更なる心配をかけただろう。お小言のひとつくらいは覚悟しておいたほうがいい。
深呼吸してから、玄関扉を開く。
瞬間、リビングから物々しいほどの物音を立てて、夫婦が飛び出してきた。びしょ濡れの俺たちを見て、すぐに顔を顰める。
「とりあえず、風呂だな」
「……ごめんなさい」
「色々なことは後だ。時雨ちゃん、先に入ってきな」
時雨の目が一瞬、こちらに流れた。俺はそれに頷いて、先に行くように促す。時雨はこくんと頷いて、脱衣所に姿を消した。その後を理彩さんが追っていって、バスタオルを俺の元へ持ってきてくれる。
「ありがとうございます」
そうして、俺たちは順番に風呂に入って、雨に濡れた身体を温めた。
俺が風呂を出ると、時雨と夫婦はダイニングテーブルに座っていた。いつもは男女で対面しているが、今日は大人と子どもになるらしい。俺は時雨の隣に腰を下ろした。
「とりあえず、仲直りはしたのか?」
この歳になって、保護者に仲直りの具合を聞かれるというのは、なかなか気まずい。時雨とアイコンタクトを交わして、苦笑を浮かべた。
「あぁ」
「状況はどうするつもり? よくならないんでしょ?」
理彩さんの心配そうな顔に、時雨が不思議そうに首を傾げる。それから、俺を見た。そうして、気がついたのだろう。なんで言ったの? とばかりの表情になっていた。仕方ないだろ、と目で文句をつけあう。
「……聞いてるか?」
兄ちゃんに声をかけられて、慌てて視線を正面に戻した。
「開き直ることにした」
「……大丈夫なのか?」
兄ちゃんは厳しい顔になる。色々と気にかけ続けてくれていたことは知っていた。弟一人でも心配してくれていたのだ。娘も一緒となると、心配はいや増すだろう。
隣の理彩さんも渋面になっている。
一体どんなことを言われてきたのだろうか。俺たちにすら、あることないことを吹き込む。そういうものたちが、保護者に嫌味を言わないわけがない。きっと、俺たちよりもよっぽど手厳しい言葉が投げられている。
だからこそ、心配も真に迫っているのだろう。
時雨がはくりと息を吸って、ちらりとこちらを向いてから正面に向き直った。こうした態度を見るにつけ、それなりに信頼されているのだろうと思う。なんだか気持ちがしゃんとした。
「叔父さんが助けてくれるから、大丈夫」
夫婦が揃って瞠目する。
時雨がその関係性を二人の前で口にしたのは、初めてのことだった。俺相手には、冗談交じりに口にしていたけれど、親に言うには面映ゆいのだろう。俺だって、姪だなんて兄ちゃんたちには言っていない。改めて家族として迎えていると宣言するかのような気恥ずかしさがあった。
理彩さんが少しほっとしたような顔になる。この生活に心配を持っていたのかもしれない。
身勝手だなんて本気で思っちゃいなかった。二人が俺たちのことを気にしてくれていることには、気付いている。時雨だって分かっているから、それなりにでも仲良くしようと初手で提案してきた。
理彩さんに……多分、兄ちゃんにも不安をかけないためだ。そうして心を砕いていたことは、理彩さんも気がついていたのだろう。安心するような顔を見られて、なんだかこちらまでほっとした。
一方で、兄ちゃんはどこか苦虫を噛み潰したような顔をしている。叔父さん呼びに、そこまで苦い顔をする理由があるだろうか。疑問を抱いたところで、兄ちゃんが重々しく口を開いた。
「叔父さんを呼ぶほうが先なのは複雑だなぁ」
「あ、お、あの……おと、」
はっとした顔になった時雨が、情けない顔であわあわと感嘆詞を零す。目が泳いでいた。なんとも分かりやすい狼狽には、苦笑しかでない。
「いいよ、それは今すぐでなくて。それはいいけれど」
そう言って、兄ちゃんは前のめりに立ち上がった。時雨の頭に手を伸ばす。握られた拳がぐりっと押し付けられた。それには勢いも強さもないようだったが、確かな制裁であったのだろう。随分優しいものだが、それでもしかとした叱責だ。
「心配をかけるんじゃない」
「ごめんなさい」
「今度からは、最悪でもちゃんと連絡が取れるようにしておくこと。いいな?」
「はい」
しかと頷いた時雨の態度は、兄ちゃんと本当の親子に見える。兄ちゃんが最後にとんとんと頭を撫でるのが微笑ましい。お義父さんと呼ぶにはまだちょっとかけるのかもしれないけれど、ちゃんと親子だ。俺はどっと肩の力を抜いた。
そのタイミングを見計らったかのように、兄ちゃんの拳がこちらにも降ってくる。時雨にしたのより力が入っていそうなところには、むかっ腹だ。
だが、それが兄弟の距離であるのだろうから、文句は言わない。というよりも、心配をかけたのだ。文句を言えた義理ではなかった。
「お前も、すぐに連絡がつくようにしとけ。いいな?」
「うん」
「姪っ子を理不尽には責めないこと」
理不尽には、とちゃんと俺の気持ちを汲んでくれているのが分かるから、俺は素直に頷ける。兄ちゃんは、そういうところが上手い。
根本的な外因は噂ではあるが、八つ当たりしたのは俺だ。今回夫婦に心配をかけたのは、俺のせいだろう。
「あ、後な」
思いついたように付け足される。
どうも追加にしては重量感のある言いざまに、びくりと身を竦めた。まだ何かあったか、と思考を巡らす。目が据わっていて、ぞっとした。
「うちの娘に手を出すなよ」
しんとリビングが静まり返る。ワンテンポを置いて、目を剥いた。
「馬鹿かよ!?」
「だって、お前らすっかり仲良しじゃん」
「だからって、叔父と姪だって話してるときに、手を出すとか、出さないとか。違法だぞ!?」
「帰ってきたとき時雨ちゃんに縋られておいて、本当に出してないのか」
「ねぇよ!」
しかと答えた。
しかし、答えた後になって、抱き合ったり肩を引き寄せたりは手を出すには数えないよなとよぎる。いや、数えないはずだと心を強く持った。
「叔父さん……?」
「悪ノリするな!」
訝るような声に、がっと頭を掴んでやる。時雨はいたいいたいと頭の下で喚いた。
「娘に手を出すな」
「意味を取り違えるような言い方をすんなよ!」
「痛がってるって話をしてるんだ。弟でも許さんぞ」
「もう、裕貴君ったら」
理彩さんが窘めるように笑った。それが合図になったように、ふっと時雨が頬を緩める。そこから兄ちゃんに伝染して、こちらまで気が抜けた。
団欒と呼ぶべき空気に胸を撫で下ろす。
俺たちの家族の形が、ほんの少し見えた気がした。
……兄ちゃんのろくでもない発言がきっかけかと思うと、何やら複雑な気持ちになるが。時雨が爛漫に笑っているのだから、まぁいいかと俺は口角を上げた。
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