おじとめいの家庭事情④

 時雨の相談をそんなふうに思うことがあるだろうか。

 ……いや、すべてを聞き入れられたかは分からない。俺だって限界を覚えていたから、こんなことになっている。けれど、それでも、もっと共有できるものがあったはずだ。俺たちは、お互いがただ一人の理解者だった。家庭事情を分かち合える同士だったはずだ。

 それを、鬱陶しい?

 思うはずがなかった。


「……私も言いたくない」


 それを言われてしまったら、俺は言葉を飲み込むしかない。

 そりゃ、相談してくれるのが一番だ。話すだけでも楽になるだろう。そう思うが、話すだけが軽くない場合だってある。

 話せ、ということは、話している間、そのことについて考え続けろと言うのと同義だ。逃げるのを許さないとばかりの強要に近い。そんなもの、気安く言えるものか。

 そして、今回の場合に限れば、時雨に理彩さんの悪口を言わせることになる。そんなことをさせたくはなかった。けれど、話を聞くこと以外に、俺は時雨を引き上げる方法を知らない。そばにいることしかできない。

 引き寄せてしまっていた肩を逃がすことはできなくて、そのまま体温を分け合った。一度、リビングで抱き合った前科がある。あれがなかったら、俺はこんなふうに持続させることはできなかったはずだ。

 普通は、もっと緊張する。時雨だからか。気持ちはそこまで乱れていなかった。心臓の鼓動は、確かに鳴り響いていたけれど。許容の範囲内と言えるだろう。

 雨は勢いを増して、止む気配がない。今度は躊躇わずに口を開いた。


「時雨、帰ろう」


 このままここにいても、どうしようもない。それに、これ以上強くなってしまったら、本当に帰れなくなってしまう。正直、今の状態で帰って濡れるのも避けたい事態ではあるけれど。天気を読むことはできないので、手は打ったほうがいいだろう。

 時雨は情けない顔でこちらを向いた。


「ごめんね」

「何で時雨が謝るんだ」

「私のせいだから」

「八つ当たりだったって言ってるだろ。悪かった。時雨のせいだなんて思ってない」

「貴大君が、過ごしやすいように、するね」

「するねって……」


 何をするつもりだと眉を顰める。


「認めちゃおうよ」


 少し、自信なさそうに。下から覗き込まれても、眉間の皺は深くなるばかりだ。


「叔父と姪だって、そういう接し方をしよう」

「おい」

「もう、変な噂はいらないよ。真実でいいじゃん。貴大君は私の叔父さんって嫌かもしれないけど、」

「ちょっと、待て。誰もそういう意味で否定してるわけじゃないぞ」


 叔父さん呼ばわりがいまいちピンとこないのは、やはり年齢のことが大きい。しかも突然できた同級生の、だ。あくまでも呼び方の問題であって、時雨との関係を拒否したことは一度だってない。


「じゃあ、いいじゃん」

「でも、それで理彩さんのことがなくなるわけじゃないだろ」

「聞く耳を持たなくていいんでしょ?」

「そうは言ったけど……」


 そう言われたからって、簡単に割り切れるかは別問題だ。特に、時雨の傾向からすると、それはあまり当てにならない気がした。

 渋い顔になるのが止められないでいると、時雨は小さく笑う。からかうような態度が見え隠れしていた。普段の調子を取り戻し始めているらしい。


「叔父さんが助けてくれるでしょ?」


 はぁと吐息が零れる。姪というのは、やっぱりややこしい存在だ。


「それで? 堂々としてどうするんだ?」

「仲のいい叔父と姪だって、噂じゃない真実を見せればいいよ」

「改善するか?」

「しないかもしれないけど、今みたいに距離を測ってるより、楽でしょ。貴大君」

「……まぁな」


 それは否めない。今の状況がしんどいのは、色々と測って生活しなければならないという点もある。それが、いかにも噂に振り回されているようで釈然としないのだ。


「でも、それはそれで交際のほうはどうなるか分かんねぇぞ」


 この距離感が、度外れている自覚はもう追いついている。

 雪菜があっさりと勘違いするほどには、俺たちは親しいのだろう。実際、俺自身こんなことを他の誰かにできるとは思えない。独特なものだ。

 俺たちは多分、同志。相手を限りなく近いものだと認識している。だからこそ、こうして至近距離に近付けるのだろう。まったく何も感じていないのか、と問われると全力で拒否することはできないが。

 だが、他の誰と比べても明らかに違う存在であることは間違いない。


「どんな状態でも、言う人は言うでしょ? いいよ、別に。貴大君と噂になるくらい」

「叔父と姪で交際の噂になるってのも倫理観壊れてるけどな」

「……そうだね」


 そこに横たえられた間を、俺は気がつかぬ振りをした。

 時雨もきっと、気付いている。

 叔父と姪に倫理的な問題があったとしても、俺と時雨に本当の血縁関係は一切ない。家系図としては問題があっても、血族としては芯から縛られるものではないのではないか、と。


「本当に、それでいいのか?」

「貴大君は?」


 改めて考えてみる。もういいか、という気持ちがした。やけくそではあるのかもしれない。

 だが、もういいだろう。

 探りばかりの噂に振り回されるくらいなら、あることで噂になるほうがまだマシだ。秘密にしておいて凌げる領分は、既に越えている。真実を明らかにしたからと言って、それで噂が取っ払えるわけではないけれど。

 けれど、感情面でいえば楽になろう。少なくとも、時雨や雪菜との距離感に悩む時間がなくなるのは楽だ。

 俺はそれだけで、もう構わないかと頷いた。


「いいよ」

「じゃあ、そうしよう?」

「分かった。取り繕わないってことだろ?」

「そういうこと」

「じゃあ、帰るぞ」


 時雨はその言葉に、気まずそうに目を逸らす。


「もうお母さん帰ってきてた?」

「兄ちゃんも帰ってきて心配してたよ」


 申し訳なさそうに時雨の顔が歪んだ。その顔は、家族に迷惑をかけた娘のそれで、俺はおかしくなって喉を鳴らしてしまう。時雨はすぐにむくれた。

 姪というのは可愛いものらしい。


「怒られるときは一緒だ」


 叔父だと思うと、少しくらいかっこつけたことが言えるものだ。

 苦笑いをする時雨を横目に立ち上がって、手を差し出す。取られた手を握りしめると、雨の中を自宅へと進んだ。

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