おじとめいの距離④

 私たちは、ちょうどよくやってきた電車に乗り込んだ。時雨ちゃんの最寄り駅までは、それほど遠くはない。辿り着くや否や、ホームへと急ぐ。急ぎ足になりながらも、視線を巡らすのも忘れなかった。

 時雨ちゃんは背が低いものだから、人混みで探すには難しい。それでも、目に頼るしかなかった。電車を降りた後にもう一度電話をかけてみたけれど、無駄骨に終わっている。

 透流君は、時々足を止めてぐるりと周囲を見渡していた。

 手分けしてもいいけれど、結局合流しなくちゃならない。待ち合わせ場所を決めていればいいし、打ち合わせて移動すれば電話を使えばいい。けれど、そんな相談のために目を逸らして見落としたくはなかった。

 もっと単純に、勇み足だった、というのかもしれないけれど。


「あれ……」


 そう呟いたのは、私のすぐ後ろで周囲を観察していた透流君だ。それなりの人手の中でもしかと耳に届いた音に釣られて、透流君が見ている方向へ目を向ける。

 そこには時雨ちゃんがいた。その隣には、貴ちゃんがいる。

 二人は既に駅前から遠のいていくところだった。何を話しているのかは聞こえてこない。けれど、貴ちゃんの手がとんと時雨ちゃんの頭を叩いた。そのスキンシップの在り方は、あまりにもナチュラルだ。

 ……ナンパ避けのときも思っていた。いくら大義名分があるからと言って、貴ちゃんがあんなに気軽に女の子に触れるだろうか。そして、時雨ちゃん。女の子が、何も思っていない男子にあの距離感を許すだろうか。

 二人は当然のように、同じ方向へと進んでいく。

 解散したとき、二人はバラバラのほうへ進んだはずだ。それだというのに、同じ駅にいる。

 そこまでは、まだいい。時雨ちゃんは寄るところがあると言っていたし、互いの最寄り駅を知らぬままだったということもある。

 けれど、今はまったく同じ方向へ進んでいるのだ。そこに探るような気配はない。通い慣れた道を行くかのようだった。


「……追いかけよう」

「でも」

「鍵ないと困るのは、時雨ちゃんじゃない?」


 いいのだろうか、と怯むのは、真実を知るのが怖いからなのかもしれない。

 二人の関係がどうあれ、私には直接関係はないだろう。だが、関係というのはそれほど明確に境界線を引いているものではない。

 私と貴ちゃん、私と時雨ちゃん、貴ちゃんと時雨ちゃん。その中には、重なる部分もあるはずだ。完全に切り離すことはできないのが、人間関係だろう。

 だからこそ、言わないことを盗み見るのはどうなのだろうかと弱腰になる。

 透流君は、一体何を考えているのか。何も考えていないのか。淡々とした態度で、二人の尾行を開始した。私は慄きながらも、止めることもできずにそれについていく。

 透流君の足取りは軽快で、迷いはない。どうすれば上手く尾行できるのか分かっているみたいに移動する。そんな危ない才能があったとは知らなかった。……透流君自身も、たった今発見したものかもしれないけれど。


「どうするの?」

「声をかければいいよ」


 どうやら、当人的には尾行のつもりはないらしい。走らないし声もかけない。その近寄り方は、思惑があるようにか思えないけれど。

 けれど、私ほど状況を深刻に受け止めていないようだった。この場合、私がオーバーである節は否めない。

 二人に思うところがあるのは、私の事情だ。

 貴ちゃんと長年友達をやってきた。小学生のころからだから、今いる友達の中で一番付き合いは長い。人生の半分は一緒にいる。どうしたって、仲のいい相手。心を許している友人。他の友達とは一線を画しているだろう。自惚れでも何でもない事実のはずだ。

 けれど、それが揺らいでいる。そりゃ、友人に順位なんてつけるものじゃない。仮に心の中で順序があったとしても、それを表に出すことはおろか、それを主張するなんて卑しいものだ。私はそんなことをしたくはない。

 何より、時雨ちゃんとだって、仲良くしている。ともすれば、今一番親交を深めている女の子で、とてもいい子だ。その子に対して、我が儘じみた独占欲をぶつけたくはない。

 二人に仲違いして欲しいわけでもなかった。むしろ、仲良くなってくれるのは嬉しい。友達同士の繋がりは喜ばしいものだ。

 それを感じている気持ちは確かにある。嘘ではない。

 けれど、感情とは多角的なものだ。矛盾だって簡単に起こすし、理屈なんて捻じ曲げられる。

 どうして、あんなに仲良くなってしまったのだろう。隣り合う二人の後ろ姿に、そう思うことを止められなかった。


「透流君」


 もうすぐ追いついてしまうのではないか。そこまで近付いてくると、途端に弱虫が顔を出す。思わず、その背中の布を緩く引いて、引き止めてしまっていた。透流君は驚いたようにこちらを振り向く。


「どうしたの?」

「……あの二人、どう思う?」


 口にしてしまったのは、近付きたくないがゆえの悪足掻きだったかもしれない。透流君は、不思議そうにしながら、ちらりと前方を確認した。


「事情があるんじゃない?」


 とても冷静な感想だ。それは私も思っている。

 ただ、問題なのは、その内容だった。事情を知りたいような、知りたくないような。そんな気持ちで、透流君を見つめる。


「どんなのだと思う?」


 緊張感に、口の中が急激に渇いた。ばくばくと心臓が鳴り響いている。身体の内側がうるさい。

 透流君は、んー? と首を傾げながら、思案を巡らせている。


「一番ありえるのは恋人じゃないか? 次は……家族とか?」

「かぞく?」

「というよりも、親族? 苗字は同じだろ? まったく同じ道筋ってことは、その可能性もゼロじゃないんじゃないかな」

「……一緒に住んでるってこと?」


 そのとき、私が思い当たったのは、貴ちゃんにこの春からできたばかりの姪の存在だ。当然のように、年下の女の子だと思っていた。

 だって、姪だ。

 それが、時雨ちゃんの可能性。思いついてしまったら、どうにもそんなような気になってくる。

 言い出したはずの透流君は、そこまでしっくりきているわけではないようで、苦々しく笑った。


「それは、分かんないけど……でも、恋人のほうがまだ納得できるけどなぁ。ナンパのことも」

「違うって言ってたじゃん?」


 貴ちゃんは、ムキになってるってくらいに弁明していたのだ。私はそれがむしろ怪しく思っていたけれど、透流君は比較的簡単に頷いていた。それを指摘すると、透流君はますます苦笑いを深くする。


「あれはまぁ、その場を収めるために頷いただけというか……雪菜ちゃんもそう思ってるんでしょ?」


 頷く以外になかった。こくんと顎を落とすと、透流君の表情がどこか寂しそうに歪んだ。


「悲しいね」

「悲しい?」


 仲間外れにされているようだということだろうか。嘘をつかれて悲しいということだろうか。

 復唱に、透流君は困惑を浮かべた。


「……だって、雪菜ちゃんは、貴大のこと好きだろ?」


 当たり前のように言われて、ぽかんとしてしまう。透流君は、私の反応に驚嘆したようだ。


「え? 違うの?!」


 声を荒らげられて、その唇を手のひらで押さえた。前方を確認したが、二人がこちらに気付いた様子はない。

 二人は仲睦まじく何かを言い合っているようだった。

 さっきから、ずっとそうだ。時々、互いに相手のことを緩く叩くようなスキンシップまで取っているのも同じだった。胸が締め付けられる。

 ……その段になって、私はようやく自覚が伴ったのかもしれない。じわりと頭の隅から熱が広がっていく。

 口を塞がれた透流君が、目玉を落っことしそうになっていた。その反応に気恥ずかしくなって、そろそろと手を引く。透流君は、解放されてもなお、少しの間声を失ってしまっていた。それから、確かめるように声を出す。


「もしかして、自覚なかった……?」


 身が縮こまるような気がした。決して、叱られているわけでも、責められているわけでもない。けれど、とても恥ずかしくて、いても立ってもいられなくなった。


「……なんか、ごめんね」


 透流君も気まずいのだろう。

 独占欲じみたものを抱いているにもかかわらず、胸中を自覚していなかったとは思わなかったのだろう。私自身、信じられない気持ちだ。


「いい。私こそ、気まずい思いさせてごめんね……行こう」

「いいの?」


 今まで乗り気だったのに、急にこちらの様子を窺う。透流君も大概よく分からなくて、困ってしまった。


「いや、だって。今、自覚したんだろ? 俺もここまで何も考えずに連れてきちゃったけど、気持ちとか、大丈夫なの?」


 透流君にしてみれば、私は分かっていてついてきていると思っていたのだろう。それが、不安定な状態だったと気がついて、私を気遣ってくれる。いい人だ。

 私はへにょりと笑ってみせた。


「ここまで来ちゃったもん。それに、鍵ないと時雨ちゃんが困るよ」


 それがこの尾行を正当化しようとした発言であることは、透流君も百も承知だろう。だが、あえて何を言うこともない。

 微笑むと、歩みを再開させた。私はそれについていく。二人との距離は、また少し遠い。透流君はそれを詰め過ぎないように進んでいるようだった。

 鍵を渡す、と言うのは、やはり言い訳に成り下がっている。


「このまま、行くところまで行ってみようか」


 提案は大胆だったが、声音には心遣いがこもっていた。どこまでも、いい人だ。

 私は


「うん」


 と小さく頷いて、尾行することを心に決めた。

 二人は、滑らかに進んでいく。どちらに進むなどと、考える様子も微塵もない。言葉を交わさなくとも、行くべき道が分かっているようだった。

 声は聞こえてこない。だが、時々。本当に時々、風の流れに乗って、時雨と呼ぶ貴ちゃんの声が届いてくる。その呼び方にも、慣れが詰まっていて、違和感が付きまとっていた。

 思えば、貴ちゃんは時雨ちゃんを初めから呼び捨てにしていたのだ。透流君のことすら、城内と呼んでいたのに。

 そりゃ、苗字が一緒という理由があった。同じ委員会にいれば、呼び方が被るのも困るだろうし、自分の苗字を呼ぶのも変な感覚だろうことは想像できる。けれど、だからって、最初から呼び捨てにするほど、貴ちゃんのガードは緩くはなかったはずだ。

 私も最初は、苗字で呼ばれていた。名前でいいと言ったときも、ちゃんづけだった。

 もちろん、そのころとは年齢が違う。小学生の男の子が女子をちゃんづけで呼ぶのに躊躇いはないだろうが、高校生ともなればさまざまな思考が芽生えるらしい。貴ちゃんは、その辺しっかり捻くれているので、気にするはずだ。

 だから、名前を呼び捨て。そう考えることはできた。できているのに、やっぱり納得はいっていない。


「ストップ」


 考えに没頭していた。無意識で動かしていた足を、肩を掴んで止められる。二人との距離が思った以上に詰まっていた。

 二人はマンションの前で止まっている。時雨ちゃんがカバンの中を漁っているようだった。


「心当たりは?」


 すっと聞こえてきた貴ちゃんの声に、近付き過ぎていることを実感する。そして、二人がどうして立ち止まっているのかも察した。


「えっと……更衣室とか?」

「マジかよ。施設に電話してみるか?」

「そっか。落とし物で届けられてるかもしれないか」

「駅もかけてみるか」


 言いながら、時雨ちゃんがスマホを取り出す。そして、着信に気付いたようだ。


「雪ちゃんからだ……二回も。何かあったかな?」

「鍵だったりしないか?」

「あ、かもしれない」


 思いついたように明るい顔になった時雨ちゃんは、スマホを耳に押し当てようとしている。まずい、と慌ててスマホを取り出そうとしたが、そのタイミングは最悪といって良かった。

 着信音が、静かな道端に鳴り響く。カバンから取り出してしまっていたおかげで、遮るものは何もなかった。

 二人がこちらに気がついて、ざっと顔色を変える。

 その瞬間、悟ったような気がした。少なくとも、私の中ではすべてがひとつの塊になって襲ってきた。何にしたって、何かがあるのは確実なのだ。

 私はスマホに出ないまま、時雨ちゃんの元へ距離を詰める。


「あ、あのね、」


 何かを言おうとしているの分かっていたが、聞く耳はなかった。私は鍵を取り出して、時雨ちゃんの手の中に握り込ませる。慌てている時雨ちゃんは取り落としてしまったようだけど、それに構っている暇はない。


「雪菜」


 貴ちゃんが引き止める声にも、透流君が目を眇めてこちらを見ているのにも気がついていた。それでも、すべてを無視して踵を返す。

 どうしたって、我慢はできなかったのだ。

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