めいとの噛み合わない生活④
「……大きさは? どのくらい?」
「うちはごろっとしてたけど」
「うちもだな」
うち、が指すものが今のうちでないことは明瞭で、少し変な気持ちになりながら包丁を下ろす。馴染んだ大きさに切っていった。
「ねぇ」
「んー?」
「なんで、私たち会わせなかったんだろ?」
「そりゃ、いきなり会わせても気まずいからじゃねぇの?」
「結婚するつもりあったのに?」
「……だよな。人参もでかくていいんだろ?」
「うん。他は? 何入れてた?」
「後は玉ねぎと牛肉だけ……玉ねぎこっち寄越せ」
「上手いもんだね」
切ってしまわないとやることもないのだろう。手持ち無沙汰になったらしい時雨の視線が擽ったい。
「褒めても何もでないぞ」
「えー、可愛い姪っ子を甘やかしてくれてもいいんだよ?」
あまりにもわざとらしいそれには笑いが零れる。
時雨も同じように声を上げて、そうしてその笑いは緩やかに収束した。最後に、ふーっと漏れた音は笑いの名残というよりも、ため息の始まりであったかもしれない。
「……叔父と姪になるんだから、もうちょっと早く言ってくれてもよくない? 同級生とか」
「同じ学校とかな」
「そうだよね? 言ってくんなきゃ困る」
「同級生の異性と同居しろってハードル高いよなぁ、実際」
「家にいるのにだらしない格好できないし」
「……気にすんなよ」
「私が気にするの! 色々」
「色々?」
思い当たる節がなくて首を傾げると、ジト目で睨み上げられた。
すべてを切り終えたところで、時雨がちょうど鍋を準備してくれる。手順が分かっている行動に迷いはない。やはり、やらないわけではないのだろう。こっちはまな板と包丁を洗う。
「……、家に男の人がいるって、よく分かんないの。服装とか、気にするでしょ」
「……気にはなるな」
ショートパンツにトレーナーは、そこまで露出の高い格好ではない。だが、角度によっては下を履いていないのではないかとぎょっとすることがある。気にならないと嘘はつけなかった。これ以上、防御力の低い格好をされても困る。
「どのくらい?」
コンロにかけて、暇のできた顔がこちらを見上げてくる。純粋な問いに、言葉を失ってしまった。
どのくらい。そんな想像力を働かせていいことはひとつもない。
「貴大君?」
「いや、俺を男の代表にされても困るというか、だな」
「私と住んでるのは、貴大君じゃん。女子のどういう格好とか、仕草とか、気になるの?」
「お前、それ、際どい質問だからな?!」
「急に大声出さないでよ」
「時雨がとんでもないこと言い出すからだろ!」
「はぁ?! 普通に聞いただけじゃん」
むくれる時雨は、本当にまったく気がついていないようだ。気遣いについてもそうであったが、よもや鈍感なのではあるまいか。
俺はため息を零してしまった。時雨の顔つきが不可解に歪む。
「あのなぁ」
切り出しはしたが、すぐに蹴躓いた。
その間が、時雨に一層の疑問を植え付けたらしい。話を聞き逃すまいとばかりの顔つきで俺を見てくる。時雨の熱量をこんなことで感じることになろうとは、思ってもみなかった。
「……自分のどんな姿が俺の性癖を刺激するか聞いてる自覚はあんのか」
言いたくなかった。ここまで自然な会話ができていたのだから、性的な部分を刺激して、距離を置かれたくはない。
時雨はしばしの間を置いて、どかんと噴火するかのように赤くなった。
「そ、そそういうつもりじゃない!」
「分かってるよ!」
「じゃあ、なんで言った!」
「いって! 肉体言語はやめろ!」
「うるさい。バカ」
「理不尽かよ!」
ぽかぽかと脇腹の辺りを狙われる。痛くはないので構わないが、なんでそんな妙な箇所を……と、身長差の問題だと気がついた。
俺はまな板と包丁をラックにかけてから、その手首を掴まえる。
「濡れる!」
「そっちが殴ってくるのが悪い」
手が濡れたままだった文句は知らん顔で、時雨の攻撃を止めた。力比べにもならない。華奢な手首は怪我をさせそうで怖いくらいだった。
「うるさい。スケベ」
「聞いてきたのはそっちだろ?!」
「だって、分かんないんだもん」
「こっちだって、分かんねぇよ。女と過ごしてきてないし」
ぐぐぐっと押し合っていたパワーが消える。頬の赤みも治まり、ついでに応酬の勢いも落ち着いた。
手を緩めると、ゆるゆると身体の横に戻っていく。
「……やっぱり、ちょっとは言ってくれたってよかったよね? 思春期だし」
「自分で言うなよ」
「でも、実際そうじゃん。そもそも家に異性がいるって状況がないのに、そのうえで今って思うでしょ?」
「……まぁなぁ」
ごもっとも。俺だって、せめて後数年待ってくれればと思っていた。互いの境遇に共感できるのは、他でもないお互いだ。
「いつまでも子どもだって思ってるんだよね」
「ああ、なるほど」
他人と過ごすから大変、は理解しているだろうが、同学年の異性と過ごすから気まずい、は思考の範疇にないということか。兄ちゃんたちにとっては、総じて子どもだ。
「思春期の気持ちなんて覚えてないもんかね」
「裕貴さんでも、八年前でしょ? 分かんないんじゃない?」
「理彩さんはもっとか」
「それ、お母さんに言わないでよ? 助けないからね」
「やめろよ、怖い」
理彩さんは優しいお姉さんだ。少なくとも、俺は叱られたことなどない。夫の弟であるから、気を使われているのかもしれないし、今のところ叱責を受けるほどの付き合いでもないから、当然かもしれないが。
そんな理彩さんの地雷を知って、腕をさすった。
「お母さん、気にしてんだよ。裕貴さんと年齢差あるの」
「兄ちゃんはまったく気にしてないと思うけど……いや、まぁ自分じゃ理彩さんを支えられないみたいなことは思ってたみたいだけど」
「お母さんを?」
ぱちくりと瞬く時雨の睫毛が長いことに、今になって気付く。思えば、二人でこんな距離でこんなにも中身のある会話をしたのは初めてだった。
「年下なのを、兄ちゃんなりに気にしてんだよ」
「……ラブラブなんだよね」
「正直、こっちがむず痒くなるというか、いたたまれなくなるというか」
新婚家庭にお邪魔しているのはこちらだが、遠慮というか、配慮はして欲しい。いや、しているのかもしれないが、もう少しして欲しいところだ。
実の兄のだらしのない顔は見たくはない。俺は昔から兄ちゃんと似ていると言われてきた。それがにやけていると思うと、まさか自分もこんな顔を? という気持ちにさせられる。
遠い目になってしまった俺に続くように、時雨も目を細めた。
「今日、行ってきますのチューしてたんだよね……」
「うっわ」
引いた声が出たのも仕方がないだろう。
そうした仲睦まじい状態を否定したいわけではない。想い合っているのだから、存分にやればいい。自由だ。だが、せめて見えない場所でやって欲しい、というのが近しい距離にいる家族だからこその願いだった。
「うちの兄ちゃんが、すまん」
「どっちかの問題じゃなくない?」
「……兄弟のそういうのより親のそういうののほうがきつくないか?」
「それは言いっこなしでしょ」
まぁ、確かに、比較したって仕方がないし、両想いである夫婦のあれこれに対して、俺が謝罪するようなことはない。
「街中で手を繋いでるのもよく見る」
「それ、結婚前からでしょ」
「ちゃっかり腰抱いてんの見たこともあるわ」
「……どんまい」
心底同情するような声を出された。あまりにも思いがこもっていたので、同じように密着してイチャついているのを時雨も見たことがあるのだろう。
キスも無論堪えるが、ふっとした瞬間の近距離のほうが不埒な気配を感じるときがある。
腰を抱いた兄ちゃんの手のひらは大きくて、理彩さんのくびれた腰を強調していた。臀部に指がかけっているのではないか。骨盤に指を引っかけているのではないか。そうした想像を刺激するものだったりする。
リビングのソファで寄り添っているときもそうだ。もたれた腕に理彩さんのおっぱいが形を崩して押し当てられていたり、太腿に置かれた兄ちゃんの手のひらが内太腿を撫でているように見えたり。わざとではないのだろうが、そうしたスキンシップとペッティングの狭間のような状態をよく見る。
そのうち、セックスの匂いを感じることもあるのだろうかと思うと、げんなりと気持ちが萎れた。
「子ども扱いが過ぎるんだよなぁ……」
「ムラムラするの?」
「ムッ……お前なぁ?!」
玉ねぎを炒めながらさらりと零された言葉に、目を剥く。デリカシーがねぇのか、と隣を見下ろした。
「……だって、文脈的にそうなるでしょ」
「……」
言葉を紡げなかったのは、意図せずそうした文脈になっていたことに気がついたからだ。決して、ムラムラしているわけじゃない。
……正式には、理彩さんがどうとかいうことではなかった。それほど、倫理観は欠如していない。
だが、やはり連想ゲームの要領で、先にある事柄を想像してしまうほどには年頃だ。
「猿?」
「やかましい! だいたい、そういうのは思ってても言うなよ」
「でも、気まずいってのは、半分くらいそういうことでしょ」
「……時雨もそうなの?」
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