めいとの噛み合わない生活③

「……おかえり」

「……ただいま」


 気まずく思いながら、挨拶を絞り出す。こういうときだ。問題はないのに、問題を感じるときは。

 もう少しスムーズにならないものか。クラスで大して仲良くもない人と、登校時に偶然鉢合わせたみたいな距離感が落ち着かない。どうして自宅でそんな気分を味合わなくてはならないのか。

 やっぱり、それなりではない距離になるべきではないのかという思いが強まった。


「ねぇ」


 そんな思考の中に声をかけられて、びくりと肩を揺らしてしまう。

 目を向けると


「夕飯どうする?」


 と投げかけられて、疑問を覚える。

 ここに越してきてから、夕飯は理彩さんが用意してくれていた。時雨と二人でそんな話し合いをしたことがない。怪訝を浮かべた俺に、時雨は眉を顰めた。


「メッセ、見てないの?」

「え? あ」


 図書館に入るときにマナーモードにしたきり、すっかり忘れていた。言われてカバンの中に入れっぱなしだったものを引き出す。

 家族のグループに、今日は遅くなるので二人で夕飯を食べてくださいと、兄夫婦から連絡が入っていた。そのすぐ後に、時雨が分かった、と端的な文字とOKのスタンプを打ち込んである。


「ごめん。見てなかった」

「適当に買ってきたけど……どうする?」

「何のつもりで買ってきたんだ?」


 どうやらスーパーに買い物に出てくれていたらしい。

 こうなってくると、自分の浮きっぷりが顕著になる。家族のやり取りに入れていないのはおろか、こうして家事を押し付けることになってしまっているのだ。後ろ暗い。


「特には……カレー、とか? ルーはあったから、野菜とお肉。シチューでも他のでもいいけど」

「じゃあ、カレーにしよう」


 作り置いておけば、兄ちゃんたちが帰ってきてからでも食べられる。いいチョイスだと思えた。

 時雨もずっと理彩さんと二人暮らしだったと聞いている。こんなふうに母のご飯を準備したりしていたのだろう。家事をしていなかった、という口振りだったけれど、まったくしていなかったとも限らない。


「分かった」


 時雨は短く頷くと、エコバッグの中から食材を取り出していく。必要のないものを冷蔵庫に仕舞い、カレーの具材をキッチンに並べていた。

 俺はテーブルに並べていた本をカバンの中に片して、ソファを立ち上がる。キッチンに寄ると、時雨が不審な眼差しを向けてきた。


「俺もやるよ」

「……別に、カレーくらい作れるけど」

「二人でやったほうが早いだろ?」

「そう?」

「そうだよ。まぁ……ちょっと狭いかもしれないけど」

「貴大君が大きいからでしょ」

「これでも兄ちゃんより低い」

「裕貴さんはもう大きくならないけど、あんたはまだでかくなるでしょ」

「どうだろ? 八十は欲しいけど」

「嫌味?」

「何の?」

「五十もないんだけど」

「そんな小さいか?」


 最初はもっと年下だと勘違いをしていたから、大きく思えた。けれど、こうしてキッチンに並んで立つとよく分かる。結構見下ろさないといけないし、顔が遠い。結果的に少し声も遠い気がした。


「小さくないもん」

「……まだ、伸びるよ。多分」


 理彩さんもそこまで大きいほうじゃないが、平均くらいはある。時雨にだって、まだ可能性はあるはずだ。

 しかし、あくまで可能性の話であるのは、時雨にも伝わったらしい。鋭い目付きで睨み上げられた。お手上げしてみせると、ふんと鼻を鳴らされる。


「ほら! やるなら、早くやるよ。大きいんだから、何もしないなら邪魔」

「分かった分かった」


 なんだ、と思う。普通に面倒くさい絡み方もしてくるんじゃないか、と。そのことが、やけに胸をすいた。


「皮剥いて」

「包丁は?」

「ピーラー使えばいいでしょ」

「一個しかねぇだろ」

「いいよ」


 からりとした答えに、少し意外性を覚える。料理をしてきていないようであったので、皮を剥くほど包丁の使い方が上手いなんて思っていなかった。

 そんな失礼な感想を抱きながら、俺はピーラーを片手にじゃがいもの皮に着手する。隣で時雨が同じようにじゃがいもを持って、包丁を押し当てようとしていた。

 ぎょっと目を剥く。


「待て待て待て!」

「なに?」

「そんな危ない手つきで何するつもりだ」

「皮剥くんでしょ」

「やめろ! 指を削ぎ落とすぞ」

「ひっ、怖いこと言わないでよ!」

「いいから、包丁を置け!」


 危なっかしい手つきで構え続けられてはたまらない。不満顔の時雨が、渋々と包丁とじゃがいもをまな板の上に置いた。


「……料理してないって言ったっけ?」


 言いながらピーラーを置いて、横から包丁を取る。

 時雨は鋭利で不服を湛えた瞳で、俺を凝視した。それは俺の技術を見定めてやろうというような観察眼だ。嫌な目である。

 苦味を噛み締めながら、じゃがいもに手を添えた。するすると皮を剥いていく。時雨の雰囲気は、ますます不機嫌に膨れ上がった。


「嫌味」

「バカにしてはない」

「自慢はしてる?」

「ちょっと」

「嫌味じゃん。性格悪っ」


 横腹の辺りにぐりっと拳を押し込まれる。殴るというより、ぐりぐりと押すような手つきは、地味に痛い。


「危ないだろ」

「だから、殴ってないじゃん」

「十分、肉体言語だろ」

「当たっただけー」

「かっわいくねぇ」

「ふん」


 鼻を鳴らしてそっぽを向く。本当に可愛げのない仕草だ。


「可愛いほうがいいなら、それなりにしてあげてもいいけど」

「なんだよ、それ」

「それなり、でしょ?」


 言いながら、時雨はピーラーを手にして皮剥きを始めた。ピーラーの手つきは安定していてほっとする。やはり、まったくやらないわけではないのだろう。


「そのそれなりってさ、どれくらい?」

「あんたがいいように」

「俺に判断を委ねるわけ?」

「だって、居心地悪いのはそっちでしょ」

「……お前は?」


 俺の居心地が悪いのは、兄の家族に世話になっているからだ。そこにいる時雨とも、間は悪い。時雨はそれを分かろうとしてくれているが、時雨はどうなのかと疑問が湧いた。

 知らない男性と住む、というのであれば、こちらの気まずさと時雨の気まずさは同等か。それ以上。そうあってもおかしくはない。


「あんたにとってはさ、よく知らない家族と一緒に住むようなもんじゃん。そっちのほうが大変でしょ」

「……お前、気遣い屋さんって言われない?」


 雪菜がよく口にする言葉は、こういうやつに使うものだと深く実感する。自分のことが後回しになっていることに、時雨は気がついているのだろうか。


「なにそれ」


 まるで意味不明という顔で、気がついていないことに確信を持った。


「そっちだって、よく知らない新しい父親とその弟だろ」

「そうだけど。私は裕貴さんに会わせてもらってたし」

「俺だって、理彩さんと会ってたよ」

「……そうなんだ」

「たまにな」


 本当にごくたまに。理彩さんはうちに寄っていくことがあった。それは、兄ちゃんが忙しくしているときの数十分だったりしたけれど、それで兄ちゃんの険を取り除いていくのだから、すごい人だと思った。

 ラブラブなんだろう、とも。

 時雨はそれを知らなかったようで、何かを考え込みながら手を進めていた。

 人参に着手している。切るのはこちらに任せるつもりのようで、剥かれたじゃがいもはさりげなく俺側に寄せられていた。包丁を握っているものの領分だろうと、じゃがいもを切りにかかる。

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