おじとめいの外聞④

「叔父と姪って聞いたけど」

「年齢近くない?」

「でも、加藤君ってお兄さんしかいないんでしょ?」

「それで親族?」


 噂はよくない方向へ加速していた。

 元より、親族と知らせたことで、すべてが順風満帆にいくとは思っていなかった。そこについて首を突っ込まれることも視野には含んでいたつもりだ。

 だが、実際には想像よりも悪い方向に事態は進んでいた。

 時雨はすっかり口重たくなり、懊悩に陰鬱とした空気を醸し出すようにすらなっている。自分の提案が失敗だった、ということも含めてへこんでいるようだった。気にしなくていいとは伝えたが、それで気にならなくなるほど時雨は単純な性格をしていない。

 そして、こちらだって口でいうほど気にしなくていいとは思えなかった。

 時雨のせいだと思っているわけではない。けれど、気持ちが底なし沼に沈んでいくようだ。頭が痛い。胃痛がする。

 そんな気分が最悪なところに、やってきたのは雪菜だ。俺は目を瞬いて、それからすぐに雪菜を連れて移動した。

 教室で話すのは危険だ。

 どんな内容にしても、今は噂に色んな情報を追加する羽目に陥る。そんなものはごめんだ。どれだけ雪菜と仲直りができそうでも、それはそれだった。

 屋上前の踊り場まで上ると、雪菜はおっかなびっくりこちらを見上げてくる。その瞳は怒っていると言うよりは怯えているようで、俺は首を傾げてしまった。


「……ごめん」

「いや、それはこっちの台詞だろ」

「そうじゃなくて!」


 慌てて否定される理由がちっとも思い当たらない。どう考えたって、俺たちの落ち度だ。面倒な噂については知ったことではないが、雪菜を傷つけたという点では、すべてが自分たちの立ち回りのせいだった。


「……姪だって、多分、私のせい」

「は?」


 ……確かに、その噂が流れ始めた当初、雪菜に疑いを抱かなかったわけじゃない。俺と時雨が叔父と姪という関係だということを知るものは、外側にはいないはずなのだ。

 唯一。俺に姪ができたと知っているのは、雪菜だけだった。


「言ったのか」


 低い声が出た。雪菜の身体がぴくりと揺れる。

 そんなことをするやつだとは思っていない。冷静な部分が訴えかけているが、この反応を見ても冷静でい続けられるほど、俺はできた人間ではなかった。


「なんで」

「違う。そうじゃなくて」

「……黙ってたのは悪いと思ってるけど、人の家庭事情を暴露するほど、時雨とのことが許せなかったのか? そこまでしなくたって」

「違うの!」


 ここのところ、噂に振り回され続けていた。その原因とも思える内容に、憤怒が抑えきれない。沸々と零す俺に、雪菜の高い声が邪魔立てした。しんとした音が響く。口は閉じたが、強く見据えるのをやめることはできなかった。


「……貴ちゃんには、姪がいたはずだって答えただけ。それが時雨ちゃんだなんて言ったわけじゃないから」

「……それで、このありさまか」

「ごめん」


 雪菜がぺこりと頭を下げる。その実直さは、俺の知っている雪菜のものだ。悪意を持って広げたわけではないのだろう、と言い分は受け止められた。

 だが、だからと言って、すぐさま許容の返事ができるかどうかは別問題だ。まとわりつくマイナスの感情を飲み込むには、もう少し時間が欲しい。

 ……でもな、とその頭頂部を見下ろして息を吐き出す。


「俺こそ、悪かったよ。ちゃんと、話しておくべきだった。雪菜に秘密を作るのはよくなかった」

「……うん」

「それから、あの日も言ったけど、時雨とはそんなんじゃない。姪なんだよ」

「……気にかけすぎじゃない?」

「しつこいぞ」


 目を伏せてしまうのは、どういう感情だろう。突き詰めてはいけないような気がして、見て見ぬ振りをした。


「……兄ちゃんの娘なんだ。気にかけないと、怒られる」


 どうやら、その言い分は、今までの否定ばかりよりも筋が通っていると思えたらしい。こういうとき、兄ちゃんのことを知っているというのはありがたかった。ともすると、時雨よりも雪菜のほうが過保護な兄ちゃんのことを知っている。


「じゃあ、しょうがないね」


 そう言われて、思い出したのは時雨だった。合い言葉のような言葉は、時雨に紐付けられている。


「……だから、時雨と仲直りしてやってくれ」


 呟いた俺に、雪菜が目を丸くした。それから、緩く微笑む。どこか寂しげだと感じたのは一瞬だった。


「任せてよ」


 にっこりと告げられて、胸を撫で下ろす。

 これで、ほんの少しでも時雨の心労が減ればいいと心の底から思った。

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