おじとめいの外聞③

 図書室にしたのは、人がいないからだろう。うちの図書室は閑古鳥が鳴いていた。利用者が極端に少なく、司書も司書室にいることが多いし、図書委員も一人くらいしか待機していない。

 そして、俺たちは図書委員だ。仮に委員に見つかったとしても、そこまでの違和感を抱かせることはない。

 俺はできるだけ人目を掻い潜るように、移動を開始する。

 透流は昼休みになるや否や姿を消していた。一、二組の廊下では、噂の調子を思い知ったが、離れていけば離れていくだけ物静かになる。どうやら噂は局地的であるようだ。だが、その局地に透流も雪菜も入っているのだから、救いはない。

 それでも、離れたことで視線が減ったことには安堵した。

 図書室に滑り込んで、奥まって人目につかない学習机の元へと向かう。明確な場所を決めていたわけではないが、いるとすればそちらだろうと踏んだ。案の定、時雨はひっそりと腰を落ち着けていた。

 手持ち無沙汰だったのか。それとも、気を紛らわせていたかったのか。何かの本を捲っている。

 俺はそっと近付いて、隣の椅子を引いた。頭を上げた時雨の顔には、怯えが走る。俺を視認した途端、明らかに身体を弛緩させた。たったそれだけで、面倒な噂に振り回されたことが窺い知れる。


「……平気か?」

「……あんまり」


 ぼそりと零す声音は、あまりにも元気がない。時雨は騒がしい子ではないが、ここまで陰気なしゃべり方をするやつでもなかった。消耗具合はお互い様らしい。


「何より、雪ちゃんが悲しそうにしてるのが悲しい」


 ……自分のことが第一ではない。

 思えば、時雨はずっとそうだ。俺のことばかりを気にかけていた。そんな子が、雪菜を放置なんてできるはずもない。

 想像以上に、時雨につらい思いをさせているのかもしれない。改めて思ったことに、ぎゅっと胸が詰まった。雪菜との仲違いをどうにかしなければ、と気持ちが焦る。

 それは雪菜を心配しているのだろうか、と少し引っかかってしまいそうになったのは、胸の奥へと押し込めた。心配していないわけではないのだ。それだけは間違ってはならない。


「雪ちゃんと話せそう?」


 ゆらゆらと揺らめく瞳で見上げられる。自分の不甲斐なさが情けなかった。


「……無理そう。既読もつかない。教室ではどうしてる?」

「じっとしている。噂を信じてるかどうかは分からないけど、傷ついてるのは分かってるでしょ?」

「分かってるよ。……話せそうにはないか?」

「無理だよ。目も合わせてくれないもん」


 時雨がしょんぼりと肩を落とす。とんと頭を撫でたのは、ほとんど無意識だった。時雨の瞳が、責めるようにこちらを睨む。


「危機感持ってよ」

「持ってるよ」

「誤解が加速するでしょ」

「それを言ったら、ここで会ってるだけでも十分だろ」

「作戦会議しなくていいなら、私もう行くけど」

「悪かったよ」


 両手を掲げて、白旗を揚げた。作戦会議は欲しい。たとえ、大した解決策が見つけられなかったとしても、同志がいるということを確認しなければめげてしまいそうだ。今は目の前に見える時雨の感情を慮ることで、立ち向かう感情を震わせている。

 情けないことかもしれないが、そうでもないと気が沈んで戻ってこられる気がしない。俺だって、雪菜にスルーされることは苦しかった。


「あのね、」


 俺の白旗を受け入れた時雨は、おもむろに口を開く。そうして切り出しながらも、言葉の間がやけに開いた。はくりと動く唇が、僅かに震えている。こちらまで緊張してきた。


「……もう、親族だって答えちゃわない?」

「それで、収まると思うか?」


 どちらにしても探りを入れられるだろう。今と状況が変わるとは思えない。もちろん、雪菜のことを思えば、恋人の噂を多少なりとも消せるほうがいいのは事実だが。


「思わないけど、雪ちゃんに恋人だって誤解させたままにしておくよりはずっといいでしょ? 親族だから同じマンションに住んでるって言っちゃえば、嘘じゃないし。同じ部屋だって知ってるわけじゃないんだから」


 顎に手を当てて、じっと考える。

 最善手とはとても言えない。それはもう、噂が出た時点で取れるものではないだろう。後手に回っているのだから、どうしようもなかった。

 それを思えば、まだ悪手ではないのかもしれない。


「……それしかないかもな」


 それを言ったところで、まず信じてもらえるものかというところもある。親族だと伝えたことで、恋人と何か違う探りになるのかも不明だ。

 時雨は目立つ。今回のことでよく分かったが、時雨の表現にはとっても可愛いだとか、美人だとか……まぁ、おっぱいが大きいだとか。そうした情報が含まれていて、目を惹いていることが瞭然だった。その時雨について聞かれることは増えるだろう。

 だが、それくらいならば安い。

 当たり障りのないことを答えておけばいいし、それくらいしか分からないと知れば、仲のいいという評価も薄れるだろう。楽観視はできないが、今よりも幾分かはマシになる未来を掴めそうだった。

 バレたくないのは、具体的な関係性と、ともに住んでいるという部分だ。そこが誤魔化せたうえで、恋人だという噂を否定できるのは悪くない。


「じゃあ、今度から聞かれたそう答える?」

「軌道修正かけ過ぎるのもまずいよな」

「もっと早く手を打っておけばよかった」

「連絡する暇もなかったしな」

「でも、マンションに入るところまで見られることってある?」

「駅とマンションは別の人らしい」

「……なるほど」


 納得したくないことではあるだろう。目撃者が複数人いるのは歓迎できることはない。

 けれど、駅と自宅付近のどっちも同一人物に視認されているのも怖かった。野次馬というより、なかばストーカーになりかねない。下手すると、次の突撃をかまされる心配もしなくてもならないだろう。

 渋い相槌になるのはようよう理解できた。


「とにかく、さっきの言い訳で」

「言い訳って言わないでよ。気まずいから」

「……悪い」


 後ろめたさはあるらしい。それはこちらも同じで、謝罪するより他になかった。そうして、バラバラになって教室に戻る。

 回答案ができあがっただけで、多少気持ちに余裕が出ていた。楽観的にはなれないが、対応策があるのとないとのでは月とすっぽんだ。その余裕がいい流れを呼び込んだのかは分からない。

 何にしても、さりげない調子で透流が近付いてきてくれた。


「大丈夫か?」


 あまりにも普通の心配に、面食らってしまう。透流は苦々しい顔をした。


「別に俺は何とも思ってないから」

「何ともって……」

「いや、そりゃ何かあるの黙ってたんだなぁとか。雪菜ちゃんが傷ついててどうしたもんかなぁとか。そういうのはあるけど、別に貴大たちを責めようとかそういう気持ちはあんまりないよ。そりゃ、ちょっとは寂しいけどな」

「……悪い」

「いいよ。俺は別に、何もかも打ち明けてなきゃいけないなんて思わないしな。俺だって、他校に想い人がいるとか言ってないし」

「え」

「そういうことは往々にしてあるだろ?」


 緩く肩を竦める。イケメンだと騒がれている男のそういった態度は実にさまになっていた。


「でも、雪菜ちゃんとのことはちゃんとしてやれよ」

「ああ……分かってる」

「ところで、噂はどこまで本当だ?」


 透流は俺と時雨が一緒にいたことは知っているが、その後は知らない。雪菜を追いかけてくれたのは、他でもない透流だ。


「同じマンション、までだな」

「俺も知っているところまでだな」

「……親族なんだよ」


 呟くように告げれば、透流は緩く目を丸くした。


「加藤」

「そういうこと」

「同じマンションなのか」

「まぁな」

「しかし、同じ学校に来るとは……近しいんだな」

「俺も最近知ったばっかりだよ」


 これは嘘ではない。同じ学校に行くほど近くになるとは、知らされていなかった。予防線ではあるが、真実でもある。


「その割には仲良いよな」

「まぁ、その辺は同級生だしな。不仲のままは気まずかったんだよ」

「なるほどなぁ」


 ぼんやりとした答えは、心情を悟らせない。

 そのまったりとした口調で、


「でも、兄妹とかじゃないんだから、好きでも問題ないよな」


 と爆弾を放り込む。あまりにも緩慢な態度から放り投げられたことに度肝を抜かれて、反応が遅れた。

 透流をまじまじと見つめてしまうことになったが、透流もまじまじとこちらを見ている。男同士で見つめ合うこと数秒。俺は視線を逸らして、顔を覆った。


「そういうんじゃねぇんだよ」

「でも、雪菜ちゃんはやっぱり誤解してると思うよ。ナンパ避けもやり過ぎだった」

「……分かってる。ふざけてただけだ」


 これも嘘ではない。その感情もあった。半分以上が本気の心配だったし、苛立ちではあったけれど。けれど、僅かにはあったのだ。時雨がまともに受け取ってしまったから、マジ要素が強くなってしまっただけで。

 ……時雨のせいにしている時点で、言い訳なのかもしれない。


「まぁ、仲のいい親族だってことで納得しといてやるよ」

「ありがとう、透流。雪菜と話したりしたか?」

「あの後、無言で去って行くのを送っていったけど、それくらいしかできてない。今日もほとんど無言だな……」

「顔は合わせてる?」

「それくらいなら」


 透流がそばに行くことに拒否反応はできていないらしい。一切合切スルーを食らっている俺たちよりも、ずっとマシな状態だ。


「一応、伝えておいてくれないか」

「直接言えよ」

「分かってるよ。ただ、まったく取り次いでもらえないし、逃げられてるんだよ」

「……しょうがないな。貸しひとつだぞ」

「分かったよ」


 苦笑しながら頷く。

 借りを作るのはあまり嬉しくはないけれど。けれど、ここで躊躇っていたら、更なる後手に回ることになる。今でも十分後れを取っているのだから、これ以上遅れるわけにはいかない。

 借りられるものは猫の手でも借りたかった。

 そうして、透流に伝えたことを皮切りに、探りを入れてくるものには親族としての言葉を返すようになった。一度始めると、コツが掴めてくる。

 透流は雪菜に伝えることはしてくれたらしい。反応は芳しくなかったというが、それでも一応の弁明を聞いてはくれたと聞く。予断は許さないが、微々たるものでも進展は進展だ。

 ほっと肩の力を抜いたのが、運の尽きだったのかもしれない。

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