おじとめいの外聞②

 直接話すべきだろう。

 その考えのもと、学校で雪菜を掴まえることにした。欠席されてしまえばそれまでだが、学校という場は逃げ場がないのでありがたい。同時に、こちらも逃げられないが、それほど後がないほうがいいだろう。

 翌日、時雨は青い顔をして起きてきた。とても調子が良いとは言えず、


「休むか?」


 と口に出してしまったほどだ。

 時雨はふるりと首を左右に振った。

 説明を俺が担うと言ったって、引っ込んでいればいいとは割り切れないのだろう。時雨はそういうやつだ。

 そうして、真実を話す心の準備をしていても、家をバラバラに出るのは変わらない。友人たちに打ち明けるだけだ。不特定多数に流布したいわけじゃない。どれほど衝突の原因になったといっても、そればかりは譲れなかった。

 その点の感情は、時雨と合致している。家庭事情を基にしているわけだから、それは今までにもあったことだ。今、それをひしひしと感じるのは、昨日の抱擁の影響だろう。

 あの後、俺の胸元から顔を上げた時雨は、目元も頬も真っ赤にしていた。それを誤魔化すみたいに不器用に笑って目を擦るのに、胸が痛くなる。

 そのまなじりに触れて涙を拭ってやると、時雨がぽかんと俺を見た。それから、へにょりと笑う。あまりにも気を抜いた表情に、胸がいっぱいになってしまった。

 それから、俺たちは日常に戻っている。両親に疑われることはなかったから、それなりに上手く繕えていたのだろう。……繕う、というよりも、調子が取り戻せていたのだろう。

 当然、その場限りのものでしかなかったが。

 学校に行く段になった時雨は、正直見ていられなかったが、頭を撫でてから別れた。時雨は俺の行動に驚いたようだったが、俺だって緊張しているのだ。らしくもないアクションを取ることもある。

 いつもより、自転車を漕ぐ足の力が弱いのも自覚があった。とはいえ、どんなにまったりした運転だろうと、進んでいる以上問題なく辿り着いてしまう。駐輪場へ自転車を入れて、教室へと向かった。

 透流とも雪菜とも、時雨ともすれ違いもしない。いつものことではあるが、いつもよりも気になってしまう。周囲に敏感になっているようだ。時雨を励ましはしたが、やはり緊張感は思った以上にあるらしい。

 クラスメイトでなくてよかった。

 そう思ったところで、時雨の緊張感の理由にようやく思い至る。そりゃ、あんな青い顔もするなと顔が引きつった。そして、こっちだって呑気にしていられないことにも気がつく。

 透流がいるのだ。

 状況を知っているし、透流にも事情を話すことを決めた。胃がキリキリとしてくる。それを押さえつけながら、クラスの扉を開いた。

 透流がいないことを目視してほっとしたのも束の間。何やら、空気がおかしいことに気がついた。なんだ? と疑問を考えるよりも先に、席に着いた俺の元へクラスメイトがやってくる。

 人付き合いが悪いと時雨も雪菜も思っているようだったが、クラスメイトと口を利かないほどじゃない。だが、用事もないのに、こんなふうに寄ってこられるほど仲良くもなかった。

 特に、今近付いてくる男子生徒とは、接点などない。用事があったこともないのではなかろうか。

 怪訝に男を見上げると


「聞いてもいいか?」


 と、前置きもなしに問いを投げられる。お伺いを立てる体ではあったが、聞かないという選択権はないようだった。


「なんだ?」


 周囲の目が集まっている。無視することもできないし、困ると断じることも難しかった。内容を躱す方向でことなきを得たいと願いながら、嫌な予感がしている。


「一組の加藤さんと付き合ってんの?」

「……なんで?」

「昨日、一緒に歩いてるのを見たってやつがいるから」


 時雨と二人になったのは、駅からの帰路だ。公共施設に制服を脱いだ同級生がいても、認識していない相手では気がつけない。だから、いつもは気をつけていた。

 けれど、昨日は雪菜と透流と別れて、気が抜けていたのだろう。乗り切った、という達成感で、周囲に目を向ける余裕がなかった。

 俺が口ごもっていると、男は追撃をしかけてくる。


「一緒のマンションに入っていったとも言ってたけど」


 ざわりと心臓がざわめいた。

 だとしたら、雪菜たちとの奇妙なやり取りも認識されているのではないか。

 それも杞憂だったが、何よりも同じマンションに入ったという情報はちっとも笑えない。同じマンションだというのは、雪菜たちですら知らない情報だ。


「……人違いじゃないか?」

「ダブル加藤だったって噂になってるぞ」


 胃痛が悪化する。頭痛や腹痛、倦怠感など、さまざまな体調不良に陥りそうだった。


「マジで?」

「マジだよ。仲睦まじかったって」

「気のせいだよ」


 空惚けるしかない。

 俺は決して目立つ容姿をしているわけではない。昨日だって、デニムにシャツという平凡な格好をしていた。そんな人はその辺にいくらだっている。俺ができることは認めないことだけだ。


「……そうか。でも、もうかなり広まっているぞ」


 男のもたらした情報に、ひくりと頬が引きつる。

 それだけ言うと、男は去って行った。なるほど。教室に漂う妙な雰囲気は、これのことだったらしい。それを察することはできたが、だからと言ってどうしようもなかった。

 噂。

 それが回らないように気をつけようと、時雨と感情を共有していたはずだ。噂を取り消すのは、相当に手間取る。無謀にも等しい。時雨だって分かっているのだろう。母子家庭として、口さがないことを言われたこともあるはずだ。

 時雨のほうはどうなっているのか。雪菜がいて、この噂に晒される。不安が加速度的に増した。事情を話すことよりも、噂の内容のほうがよっぽど重要案件であるような気がする。

 そして、その感覚は間違っていなかったのだ。

 透流や雪菜に弁明する時間が取れない。

 最初にやってきた男は、違うと言っていたなんて噂を流してくれたりはしなかったようだ。そりゃ、そうだろう。好奇心で聞いただけだろうし、そんな噂に対応する必要なんてない。

 ひっきりなし、とまでは言わないが、噂について聞いてくるものはいた。俺は一貫して否定を続けたが、どうやらまったく信用してもらえていないらしい。透流も距離を測りかねているのか。俺を遠巻きにしている。

 学校は逃げ場がない。

 だが、逆に言えば、授業が始まってしまえば、こちらも身動きが取れない。休み時間をやり過ごされてしまうと、もう会話は成り立たなかった。

 透流でこの調子であるのだから、雪菜となれば尚のこと掴まえることは一筋縄でははない。恐らく、向こうも噂を耳にしているはずだ。俺を避けようとする意志は強くなっていそうで、難易度は跳ね上がっている。

 一度、一組に顔を出そうかとも考えた。時雨の様子を見ておきたいのも本音だ。

 だが、それは悪手だとすぐに思い直す。雪菜に会いに行ったとしても、時雨に会いに行ったとしても、ろくなことにはならない。

 時雨のいる前で他の女子と会おうなんてことは、今の状況下ではまず過ぎる。かといって、時雨に会いに行ってしまうと、それはそれで噂を肯定してしまいそうでいいことはない。完全に詰んでいる。

 会うのは諦めて、スマホで呼び出すか。

 まずは、雪菜に話があると連絡を入れた。すぐに見てくれるとも思わなかったが、既読もつかない。

 時雨のほうに、


『大丈夫か?』


 と送ると、こちらはすぐに既読がついた。


『そっちは?』

『聞かれまくってる』

『とぼけてるけど、それでいい?』

『俺もそうしてるけど、時雨は意味ないんじゃないか?』

『どういうこと?』


 俺は少しだけ間を置いて、それでも思っていた返事をそのまま打ち込んだ。


『可愛いんだから、時雨が見間違われるなんてことはないだろ。俺みたいなのはその辺にいるだろうけど』


 平静を装ったそれに対する返信には、今までよりもラグがあった。気まずい思いをさせているかもしれないと思ったが、時雨はそれに触れることはなく、会話を進めることを重視したようだ。


『貴大君だって、背が高いんだから、バレるんじゃない? うちの学校で、貴大君ほど高い子なんて、そんなにいないよ』


 毛ほども思いついていなかったところを突かれて、頭を抱えてしまう。

 大丈夫だと思っていた。だから、否定を続けていたし、それで済むとまでは思わずとも、どうにかやり過ごそうと目論んでいたのだ。けれど、身長のことを取り沙汰されると、誤魔化せなさが溢れかえってくる。

 道理で、俺がしらばっくれても、信用している節がないわけだ。見たやつが一体誰なのか分からないが、どうやら信用度が高い人らしい。ここまで情報が的確に流れているとなると、噂が消えるのに期待を抱くことはできない。

 そして、時雨とのこのやり取りの間、雪菜からの反応がないことに、冷や汗が垂れた。

 一体どう伝わってしまったのか。同じマンションに入っていく恋人。そこまで言われれば、肉体関係を噂されていることくらいは分かる。俺だって、そう邪推するだろう。その発想に辿り着くのを否定はできない。

 できないからこそ、厄介さも想像に容易かった。

 精神がげっそりと削られる。そのままテーブルに突っ伏してしまった。返信していなかったことに気がついてなかった俺に、時雨の次の一手がやってくる。


『昼休み、図書室で作戦会議ね』

『分かった』


 密かに会うのもどうかと思った。だが、このままでは埒が明かない。返信をしたところで、チャイムが鳴る。強制的に授業に流れ込んだ時間を、俺は窓の外を眺めながらやり過ごした。

 ……弁明の機会が与えられないのであれば、授業中のほうが気は楽だった。

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